放送局・放送日時

ニッポン放送
土曜日 22:00~22:30
ABCラジオ
日曜日 12:30~13:00
南日本放送
日曜日 17:00~17:30
2018年10月2日
車いすダンサー・かんばらけんたさん (1)

今回のゲストは、車いすダンサーかんばらけんたさんです。

 

かんばらさんは、リオ2016パラリンピック閉会式で行われた、2020年東京大会のプレゼンテーションに、ダンサーとして出演されました。

車いすのダンサーは4人いらっしゃいましたが、『東京は夜の七時』の曲に乗って、横に倒した車いすの上でくるくると回るパフォーマンスをしていたのが、かんばらさんです。

近未来的でとても印象に残るステージでしたが、実は、当時、ダンスを始めてまだ半年くらいだったそうです。

 

「まさかダンスにハマるとは思ってもいなかった」という、かんばらさんの人生を変えたのは、ある“車いす”の存在でした。

タイヤの横には太鼓、後ろにはヨットの帆のような飾り。

動くとキラキラキラという音が鳴り、LEDが光る、パフォーマンス専用の白い車いす。

(かっこいい!乗りたい!)

この車いすに乗るパフォーマーを募集しているのを知り、「パフォーマンスをしたいというよりは、そのかっこいい車いすに乗りたい」という気持ちで、応募しました。

憧れの車いすに乗るチャンスを掴んだかんばらさんは、上半身の強さを活かしたパフォーマンスを披露。

すると、それを見た人々はみな驚き、とても良いリアクションが返ってきました。

かんばらさんは一気にダンスにのめり込んでいきます。

そして、ダンスを始めてわずか数か月で、リオへの切符を手に入れることになるのです。

 

実は、パフォーマンス専用車いすのプロデュースしていたのは、リオパラリンピック閉会式のキャスティングに携わっていた方でした。

「かんばらさん、この日ちょっと来てくれる?」と声をかけられて行ってみると、なんとそこは、オーディション会場。

「ここで踊ってみてください」

急にオーディションが始まり、有名な振付師の前で急遽踊ることに。

結果は・・・合格!

その場でOKをもらい、なんとダンサーとしてリオパラリンピック閉会式でのパフォーマンスに参加することになりました。

ただ、あまりに急な話で、合格と言われても「奥さんや会社に確認をするので、ちょっと待ってください…」と伝え、すぐに家族会議を開いたそうです。

話し合いの末、奥様が介助者という形で一緒にブラジルに来てもらうということで話がまとまりました。

とはいえ、治安の問題や、そもそもそんな大舞台に上がるダンサーが自分で大丈夫なのか・・・

不安が8割、楽しみ2割。不安の中での決定だったといいます。

 

それから3か月後の、2016年 9月18日(ブラジル現地時間)。

リオ2016パラリンピック閉会式。

かんばらさんの目の前には、これまで想像もできなかったような光景が広がっていました。

スタジアムには人、人、人。後ろの客席の人たちは、点にしか見えません。

その大舞台で繰り広げられた、東京大会PRのステージは大成功!

歓声で地面は揺れ、空気がビリビリ震え、まるで別世界にいるような感覚でした。

現実ではなかったのでは、と日本に帰ってきても、夢の中の出来事のように思えてなりませんでした。

 

今では、ダンス中心の生活。

システムエンジニアとして働きつつ、ダンサーとしても活動しており、忙しい毎日を送っています。

かんばらさんは、障がい者ダンスの魅力についてこう語ります。

「例えば、脚が動かないという制限がある中で踊るからこそ面白いものができたり、筋肉のつき方のバランスが違うのでふわっと逆立ちができたり、車いすを横に倒してぐるぐる回ったり・・・多分、みなさんが考えたことがないようなパフォーマンスが見られます。他にも、義足で踊っている方もいたり、考えられないような超人がいっぱいいて、そんな面白さがあります」

 

ぜひ、みなさんも、インターネットで検索して、リオパラリンピック閉会式でのかんばらさんのパフォーマンスをご覧になってみてください!

(車いすダンサーのパートで、横に倒した車いすの上でクルクル回っているのが、かんばらさんです!)

 

かんばらけんたさんのリクエスト曲:エソテリック/ トウ

初めてソロを踊った、思い出の一曲。歌手のAIさん主催のイベントで、会場はなんと日本武道館!今でもこの曲でよく踊っているそうです。

 

次回も、車いすダンサーのかんばらけんたさんをゲストにお迎えしてお送りします。

どうぞお楽しみに!

2018年9月24日
パラパワーリフティング・マクドナルド山本恵理選手 (2)

パラパワーリフティングのマクドナルド山本恵理選手をお迎えしてお送りした2回目。

今回は、競技者としての山本選手に迫りました。

 

2016年からパラパワーリフティングを始めた山本選手は、競技を始めてわずか1か月で37kgを挙げ、その年の全日本選手権では女子55kg級の日本記録を更新…と、スタートから順調にきているように見えますが、実際は「全然、順風満帆ではないです」と話します。

競技を始めてから1年弱くらいは「何をしても挙がった」といい、1ヶ月で37kgを挙げた時は、まだ右も左もわからない時期だったと当時を振り返ります。

「今までの試合で一番気持ちよかった!」と語るのも、まだ背負うものがなく、勢いに乗っている1年目に出場した、2016年12月の全日本選手権。

(持ち上げる)バーがバーじゃないようで、“何でも挙げられるという感覚になった”そうです。

後にも先にも、そんな感覚は、その一度きり。

初めて“ゾーン”に入ったのを感じた試合でした。

感覚のみならず、そこに結果もついてきて、見事、優勝を果たしました。

 

しかし、そこからスランプに入ります。

50kg級に階級を落としたことも影響して、どんどんバーが挙がらなくなり、伸び悩んでしまいます。

考えすぎてしまい、試合に行ってもどこを目指して挙げたらいいのか、わからなくなることもあったといいます。

結果が出ないし、強くもならない。

(やっている意味があるのか・・・)

前進を感じられない自分に、そう問いただしたこともあったそうです。

バーと向き合い、悩む。

競技を始めて2年目だった昨年1年間は、そんな辛い日々が続きました。

 

世界との差。

そこにも大きな壁が立ちはだかっています。

山本選手の自己ベストは、53kg。

しかし、山本選手と同じ55kg級のトップ選手は130kgを挙げるそうです。世界3位の選手でも113kg。

最低でも100kgを挙げられないと、メダル争いにはくい込むことができません。

筋肉はすぐに育つものではないので、長い道のりの先を考えると、気が遠くなってしまうこともあるといいますが、バーベルと向き合い、バーを挙げたりするのは面白くて楽しいと、明るい笑顔で話します。

 

“メンタルスポーツ”だと言われていてるパラパワーリフティングは、メンタルひとつで、バーベルが挙がるか挙がらないかが決まるほどの競技。

毎日の練習でも、昨日挙げた50kgの重さと、今日挙げる50kgの重さは、メンタルひとつで重さの感じ方が変わるんだそうです。それに、何kgを挙げたい、挙げたい…と思えば思うほど、挙がらなくなるといいます。

メンタル面でコーチに言われるのは、『それが何キロだろうとkg数は関係ない。“バーがあったらそれを挙げるだけ”というのを学べ』ということ。

見た目とは逆に、とても繊細なスポーツです。

山本選手は、以前、パラ水泳日本代表のメンタルコーチを務めていましたが、自分のメンタルとなると別の話。

自分で自分のメンタルを見ることはできないので、メンタルトレーナーに会いに行って、話を聞いてもらい頭を整理してトレーニングしているそうです。

 

山本選手はアスリートであると同時に、日本財団パラリンピックサポートセンター(通称:パラサポ)の職員として働いています。

山本選手が担当しているのは、パラリンピック教育。

現在は、健常者と障害者とのコミュニケーションの方法を教える『あすチャレ!Academy』というセミナーで講師を務めたり、講師の育成も担当しています。

パラパワーリフティングは、練習をやり過ぎると、肩や肘、手首を壊したりするので、練習は週3回。

トレーニングの合間を縫って、全国各地の学校などをまわり、パラリンピック公認教材である『I’mPOSSIBLE 』の普及活動も行っています。

 

『パラリンピックを見てもらいたいというのが一番の目標』だと語る山本選手。

「あの人を応援したらこんな競技に繋がったし、パラリンピックのムーブメントに参加できたって思われる選手になりたい」と言い、「実際に見に来てもらえる、“マック”を見に来てもらえる、そんな選手になりたい」と抱負を述べました。

 

最後に、上をめざして進もうとする方に伝えたい “Going Upな一言” を伺いました。

『 i enjoy! 楽しむ人は強い』

パラサポのキーメッセージであるこのフレーズ。

初めて見た時から、その通りだなと思っていたけど、パワーリフター2年目で悩んで3年目になった今、選手として、この楽しむということが本当に重要で、苦しい時も楽しい時も両方含めて楽しむというのが深いと感じると、この言葉に寄せる思いを語りました。

 

マクドナルド山本恵理選手のリクエスト曲:Walk / Foo Fighters

今までもやもやしていた主人公が、一念発起してチャレンジしていこうという気持ちを表したこの曲。
山本選手がカナダにいる時、人とコミュニケーションがうまくできなくて英語ですごく悩んだり、ホッケーで自分のやりたいプレーができなかったなとか、あそこで私がミスをしたから負けたんじゃないかとか、そんな事を思うこともたくさんあったといいます。そんな時に「もう一度頑張ろう」「明日はまた新しく来るから」からと思いながら、聴いていたのがこの曲だったそうです。

 

次回は、車いすダンサーの、かんばらけんたさんをゲストにお迎えしてお送りします。

どうぞお楽しみに!

2018年9月17日
パラパワーリフティング・マクドナルド山本恵理選手 (1)

今回のゲストは、パラパワーリフティングのマクドナルド山本恵理選手です。

ふだんは親しみを込めて「“マック”と呼んで」と言っているそうです。

 

パラパワーリフティングは、ベンチに寝転んでバーベルを挙げる、いわゆる、ベンチプレス1種目の競技で、下肢に障害がある選手が対象です。

ただ、ベンチプレスといっても、健常者が行うベンチは、幅が狭く、背中がベンチに着いた状態で足を踏ん張り、全身の力を使って挙げるのに対し、脚に障害を持つ選手が行うパラパワーリフティングは、ベンチの幅が広く、脚をベンチの上に投げ出しベルトで固定し、上半身だけの力を使って、バーベルを挙げます。

パラリンピックにおいて、パラパワーリフティングの歴史は古く、1964年の東京大会から正式競技として採用されています。

障害の度合いによるクラス分けはなく、体重別に男子10階級、女子10階級に分かれ競技が行われます。

 

山本選手がパワーリフティングに出合ったのは、2016年5月。

「パワーリフターとしては、まだ2歳です」と話す山本選手ですが、これまでに選手として、また、パラスポーツを支えるスタッフとして、たくさんの経験をしてこられました。

 

パラスポーツとの出合いは9歳の時。

生まれつき障害を持つ山本選手は、幼い頃、水が嫌いで、お風呂も入れないくらいだったそうです。耳に水が入るのが嫌で、髪も母親の膝の上で洗ってもらっていました。

それを心配したお母様が、何かやらせたいなと思って始めたのが、水泳でした。

 

「パラリンピックに行ってみないか」

水泳を始めて、コーチから言われたこの言葉で、パラリンピックの存在を知ります。

(パラリンピックってなんだろう…)

そう思った9歳の頃から、パラリンピックへの憧れはずっと続き、高校生になると、水泳部に唯一の障害者スイマーとして入部して泳ぐようになりました。

ところが、高校2年生の時に大きな怪我を負ってしまいます。

屋外のプールで泳いでいた、暑い日のことでした。

プールサイドのコンクリートはかなり熱くなっていましたが、足の裏や脚に感覚がない山本選手は、熱いのに気づかず、プールサイドに腰掛けました。同じ場所に座り続けてしまったのが原因で、太ももの裏を火傷していまい、それが化膿して入院することになりました。

1日練習を休むと、それを取り戻すのに3日間かかると言われている水泳。

結局、高校2年生の1年間を病院で過ごした山本選手は、(1年間も休んだら、もうダメだろう)と、水泳選手としてのキャリアをあきらめました。

 

(次に自分ができることって何だろう)

そう自分に問いかけ、出した答えは「人を助ける仕事がしたい」

“心”に興味があった山本選手は、心理学を学ぶために大学に進みました。

当時は、感情心理学が専門で、笑いがどういう効果を生むのかという、「笑いの研究」をしていたそうです。

そんな時、かつて「パラリンピックに行ってみないか」と言われたコーチに、今度は、選手を支える側にまわらないかと声をかけられます。

心理学をやってるんなら、メンタルトレーニングで選手を支える仕事があるよと言われ、そういう仕事があるのかと思い、大学に4年間行った後、大学院でスポーツメンタルトレーニングを学びました。

そうして、2008年のパラリンピック・北京大会では、メンタルトレーナーとして水泳の日本代表に同行しました。

 

その後、2010年にカナダに留学した山本選手は、なんと、アイススレッジホッケー(現・パラアイスホッケー)の女子カナダ代表に選ばれます。

パラアイスホッケーのカナダ代表といえば、世界でもトップレベルのチームですが、それは、男子チームの話。(※パラリンピックでは「男子」「女子」という種目ではなく、男女混合の一種目で行われます)

女子だけのチームは、世界にまだ数か国しかなく、女子を正式種目にしたいという動きもあり声をかけられました。

大学院の入学式当日、「ホットドッグ食べに行かない? そして、パラアイスホッケーやらない?くらいなノリ」で友達に誘われたのがきっかけでした。

アイスホッケーは、カナダの国民的スポーツ。

冬になると、マイナス40度になるところもあって、池はアイスリンクとなり、“ポンドホッケー”という感じで気軽にホッケーを楽しみます。

山本選手は、女子カナダ代表チームで2年間プレーしましたが、もし日本でチームを作れば、一か国チームが増えるので、パラリンピックに近づくんじゃないかと思い、奮闘していました。

しかし、カナダでは週5〜6日、スケートやホッケーの練習ができるのに対し、日本では週に1回、しかも夜中の2時や3時という、厳しい環境面での現実に直面します。

この環境は、アスリートとしてどうなのか・・・体が衰えてくるし、技術も上がらない。

しかも、トレーニングをしようとジムに行っても断られることが多く、次第に、アイスホッケーから遠ざかっていきました。

 

帰国後、2015年11月から財団法人パラリンピックサポートセンター(パラサポ)の職員として、活動を始めた山本選手。

パラリンピックを支える側として、いろんな競技を知らなければと思い、パラパワーリフティングを見に行きました。

そこで、ふと上司から「これやってみたら?」と言われた山本選手。

やってみるだけなら・・・と、20キロを挙げて見たら、すんなり挙がったのです。

次に、40キロを挙げてみてと言われ、「絶対無理です。こんなの挙げたことないし」と言いながらやってみると、またもやバンと挙がりました。

(おー!けっこう挙がるんだ!!)

さすがに、50キロは挙げることができず、悔しい思いをしたといいますが、それがきっかけで、パラパワーリフティング競技を始めることになりました。

 

いろんなスポーツ、いろんな経験を経て、現在は、パラサポの職員であり、アスリートでもあるマクドナルド山本恵理選手。

次回は、パワーリフターとしての競技生活について伺います。

どうぞ、お楽しみに!