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義足のプロアスリート・陸上の山本篤選手を迎えてお送りした2回目。
夏は陸上、冬はスノーボードと、夏冬“二刀流”アスリートとして活躍する山本選手の「冬」に迫りました。
今年3月、山本選手はスノーボード日本代表として、平昌2018パラリンピック出場を果たしました。
17歳の時、バイク事故により脚を切断して義足になってから、初めてやったスポーツがスノーボード。
その前から家族旅行でよくやっていて、すごく楽しかった印象だけが残っていました。
「脚を切ってもやりたいことって何かなと考えた時に、今一番やりたいこととして思い浮かんだのがスノーボードでした」
その後、義肢装具士になるための専門学校で競技用義足に出合い陸上を始めましたが、夏は陸上、冬はスノーボードというような感じで一年を過ごしていました。
その当時、スノーボードは、まだパラリンピックの種目ではなかったため、パラリンピックを目指すというような特別なトレーニングはしていなかったそうです。
そして、陸上でパラリンピック出場が見えてきた頃、陸上に専念するため、怪我の多いスノーボードはいったん休むことにしました。
山本選手が陸上競技で活躍する中、スノーボードは、2014年のソチパラリンピックで種目として採用され、平昌大会では新たに競技として行われるようになりました。
実は「ソチの時もちょっと行きたかった」という山本選手ですが、その時、まだ日本にパラスノーボードの協会や連盟といった組織はありませんでした。
パラリンピックに出場するためには、まず連盟を作って、出るための手続きをしなければならず、(自分一人にはそんなことできないな・・・)と諦めました。
ところが、2016年、リオパラリンピックから帰って来ると、パラスノーボードの組織ができていたことがわかりました。
大会も日本で行われており、日本の選手たちが海外の試合にも出ていました。
(やれるかもしれない!)
そう思った山本選手は、すぐに連盟に連絡し、スノーボードをやりたいと伝えました。
返ってきたのは「(パラリンピックに出られる)可能性はゼロではいけど、すごく低いよ」という言葉。
しかし、山本選手にとって、それは希望でした。
「ゼロじゃないんだったら、僕、挑戦します」
そうして、冬季パラリンピックへのチャレンジが始まりました。
けっして楽な道のりではありませんでしたが、日本の大会で優勝して強化選手に選ばれ、海外の試合に出場してパラリンピック出場に必要なポイントを獲っていき、念願のパラリンピックへの切符を掴みました。
自身初の冬季パラリンピック。
スノーボード競技の2種目に出場した山本選手は、「スノーボードクロス」で決勝トーナメント1回戦敗退、3回の滑走でベストタイムを競う「バンクドスラローム」では、記録なしという結果に終わりました。
「結果だけを見ると、残念ですね。でも、自分の実力はこのくらいなんだろうなっていうのを感じさせられましたし、バンクドスラロームの時に肩を脱臼して記録なしに終わったのは、ものすごく悔しかったですね」
しかし一方で、アスリートとして大きな刺激を受けました。
「選手村で、間近に金メダリストがいて。同部屋であった成田緑夢選手がスノーボードで金メダルを獲ったり、同じ部屋だった新田佳浩選手がクロスカントリーで金メダル獲ったりっていうのを間近で見たことによって、金メダルを獲るために大切なことっていうのを学んだのかなと。
それぞれいろんな思いがありますけど、金メダルを獲る人たちは、いろんな覚悟をしながら、いろんな形ですごく金メダルを獲るために考えてやってるなっていうのを感じましたね」
苦手な種目は捨てて、自分の得意な種目に絞って、絶対そこで金メダルを獲る!といういう新田選手の姿勢。
常に挑戦しながら、一本一本違う滑りをして、現状一位で満足することなく、さらにその上をいくタイムを出していこうという成田緑夢選手の気持ち。
日本代表として共に戦ったアスリートから、たくさんのことを学びました。
平昌大会後、“陸上”選手として、例年のようにシーズンが始まりました。
しかし、6月下旬、練習中に 左肩を脱臼し、翌月に手術。手術から3カ月が経ち、最近、ようやくトレーニングを再開しました。
ただ、気持ちは常に東京2020パラリンピックに向いています。
そんな山本選手から Going Upリスナーの皆さんへ、メッセージを頂きました。
「東京2020パラリンピックでは、金メダルを獲りたいと思います。たくさんの人に応援していただけると、金メダルにより近づきますので、応援よろしくお願いします!」
最後に、上をめざして進もうとする方に伝えたい“Going Up”な一言を伺いました。
『挑戦』
この言葉には「義足になってから、いろんなものに挑戦してきて、これからもずっといつでも挑戦する人生でありたい」という強い思いが込められています。
山本選手のお話を聞いてファンになった! 山本選手についてもっと知りたい!というリスナーのみなさん。ぜひ手に取って頂きたい本があります!
『義足のアスリート 山本篤』(鈴木祐子・著)/ 東洋館出版社
「僕の小さい時の性格だったりっていうのも載ってるので、ぜひ手にとってみてください」と、山本選手からコメントをいただきました。
そして、この本を読んだ鈴木亮平さんは「いい事書いてあるんですよ。特に、メンタルがすごい。『思い描いたものは実現する』。勇気をいただける本になっています」と大絶賛していました。
山本篤選手のリクエスト曲 : Viva La Vida / コールドプレイ
次回は、パラサイクリング(自転車)の小池岳太選手をゲストにお迎えしてお送りします。
どうぞお楽しみに!
今回のゲストは、義足のプロアスリート・陸上の山本篤選手です。
山本選手の種目は走り幅跳びと短距離。
これまで、夏季パラリンピックには、2008年の北京大会から、ロンドン、リオと3大会連続で出場を果たし、北京では走り幅跳びで銀メダル、リオでは走り幅跳びで銀メダル、4×100mリレーで銅メダルを獲得しました。
スプリンター、そして、ロングジャンパーとして活躍する日本パラ陸上界のリーダー的存在です。
義肢装具士になるための専門学校で競技用義足を見て、陸上を始めた山本選手。
“ブレード”と呼ばれる競技用の義足を目にして「おっ!かっこいい!」と、心を鷲掴みにされました。
(このかっこいい義足をつけて、速く走れば、遠くに跳べるようになれば、ヒーローになれる)
17歳の時、バイク事故により左脚の太ももから下を切断した山本選手には“膝関節”がありません。
義足には膝のパーツがあって、それを曲げたり伸ばしたりするのですが、筋肉がついていないので、基本的には「太ももで(義足を)振ってコントロールをしていく」といいます。
膝関節をうまく使うことが歩く時にも走る時にもものすごく重要で、それがわからないと転んでしまうのだそうです。
子供の頃からスポーツ万能な山本選手でも、最初は何度も転んでしまったようですが、「でも、走れるっていうのが楽しくて」陸上の世界へと入り込んでいきました。
“アスリートはかっこよくなければいけない”
これが、山本選手の哲学。
たわんだ義足でパーンと跳び上がり宙で足を回す、走り幅跳びでのあのダイナミックな空中姿勢も、いかにもトップアスリートらしいオーラを醸し出すあのサングラスも、写真に “かっこよく” 写るため。
その理由をこう語ります。
「小学校の時、野球をやってたんですけど、やっぱりプロ野球選手で憧れる人ってかっこよかったんですよね。かっこいいから自分は好きになった。なので、自分がアスリートになった時には、かっこいいって思ってもらいたいなと。そしたら、憧れたり、応援したり、気にしたりするのかなと思って、僕自身はかっこいいっていうところにこだわってますね」
パラリンピックには2008年の北京から3大会連続で出場するなど、国内・海外を問わず、数多くのレースを経験してきた山本選手。
そんな山本選手が、これまでの陸上人生で“一番印象に残っているレース”として挙げたのは、2004年3月に行われた「アテネパラリンピックの最終選考会」
パラリンピックに出場するための100mの標準記録は13秒70。
しかし、選考会での山本選手の記録は、13秒89。
わずか0秒19足りず、アテネパラリンピック出場を逃しました。
「それがやっぱり僕の中では、一番すごく悔しい思いをさせられた。でも、その悔しい思いがあったからこそ、次の北京の銀メダルに繋がったし、その後の世界記録にも繋がったと思うので、そこで悔しいと思った気持ちっていうのが、今までの中では一番思い出深いです」
その悔しさをバネに努力を重ね、4年後の北京大会で初めてのパラリンピック出場を果たします。
北京では走り幅跳びで銀メダルを獲得。
そして、2013年と2015年に行われた世界選手権では走り幅跳びで金メダルに輝き、2016年春には世界記録も更新しました。
「こりゃもう来たな」
リオパラリンピックを控え、山本選手は自信に満ち溢れていました。
もちろん、リオで狙うは、自身初のパラリンピック金メダル。
しかしーー。
その輝くメダルを手にすることはできませんでした。
「『来たな』と思ったところがいけなかったですよね。(自分が世界記録を出した)その後に4回世界記録を出されて、その時にしっかり自分の状態をもっともっと上げていかないといけなかったのに、5月の時点で来たなと思ってしまった僕がよくなかったのかなと」
嬉しく楽しい瞬間と同時に、人一倍悔しさも味わってきた山本選手。
そんな時は気分転換をして、頭をリフレッシュさせるといいます。
アテネの出場を逃した2004年の夏には、バイクで北海道一周ひとり旅をしたそうです。
最近は、好きなゴルフでリフレッシュしながら、さらなる高みを目指します。
今年3月。
“陸上”の山本篤選手は、韓国・平昌の地にいました。
次回は、その新たな挑戦について伺います。どうぞお楽しみに。
山本篤選手のリクエスト曲 : HERO / 安室奈美恵
リオパラリンピックの時聴いていた曲。「走り幅跳びで銀メダル、4×100mリレーで銅メダルという2つのメダルを獲ったという嬉しい思い出がよみがえる一曲」だということです。
車いすダンサーのかんばらけんたさんを迎えてお送りした後編。
今回は、リオ2016パラリンピック閉会式で行われた、2020年東京大会のプレゼンテーションについて伺いました。
本番の2、3か月前くらいに出演が決まったかんばらさん。
日本国内での練習は6日間くらいと意外と少なかったと話します。
東京近郊には、リオパラリンピック閉会式のステージ並みの広い練習場所がなく、プロジェクトもシークレット進んでいたため、ある時は、静岡の山の中にある展示場のようなところで、カーテンを閉め切り、泊りがけで練習することもあったそうです。
プレゼンテーションのテーマは『ポジティブスイッチを押そう』
「障害を新たな可能性・魅力に切り替えよう!」というメッセージのもと、「感動をあおるわけではなく、純粋にカッコいいと感じたり、純粋にいいなと思ってもらえるパフォーマンス」を意識して演出が行われました。
そのため、「感動をあおるような映像なども全部排除して演出が決まっていった」といいます。
リオに現地入りしてからも、何かあっては代わりをみつけることはできないということから、ホテルから出ず準備を行いました。
そんな中、本番の2日前に急遽ソロパートを任されることになったかんばらさんは、少し不安な気持ちで当日を迎えました。
本番直前。ステージのすぐ下で出番を待つかんばらさん。
スタジアム中に君が代が流れ、目の前で日の丸が揚がっていきます。
6万、7万もの人が静かにその様子を見つめる時には「ちょっと震え上がった」そうです。
君が代が流れ終わって、観客がわぁーと一気に盛り上がり、地面が揺れて、空気が揺れていました。
ステージを上って行くその時、かんばらさんの緊張はMAXに達していました。
しかし、本番のステージでのかんばらさんのパフォーマンスはとても堂々としていて、緊張していたなどとは微塵も感じられない力強いものでした。
総勢20名ほどのパフォーマーが、リオの地で東京2020大会をPRして、『See You in Tokyo』のメッセージとともに、プレゼンテーションは終わりました。
あれから2年。
東京大会を2年後に控え、かんばらさんは「パラリンピックに興味ある人がまだまだ少ないので、どうやったら興味もってもらえるかなというのが、今、模索しているところ」だと語ります。
そして「障害者のダンスを生で見たことがある人も少ないと思うので、見たことがない人の前で踊るというのを今一番優先している」といいます。
小学校や幼稚園などで、障害者や障害者のダンスを見たことがない子の前で踊ると、すごく盛り上がるんだそうです。
“最初はかわいそうって思っていたけど、ダンスを見て、かわいそうなんて気持ちが吹っ飛んでいって、楽しそうでした”
そんな感想をもらったりすると、(すごく夢があるな)とやりがいを感じるそうです。
もうすぐ1歳になる娘さんがいる、かんばらさん。
実は、まだ生でダンスを見てもらったことがないので、まずは見てもらう機会を作りたいと話し、「東京パラリンピックの開会式とか閉会式で、踊る姿を見てもらえたら…」と2020年に思いを寄せます。
最後に、上をめざして進もうとする方に伝えたい “Going Upな一言” を伺いました。
『チャレンジし続ける』
ダンスを始めて半年でリオパラリンピックのステージに立ったことは、自分にとってすごい“チャレンジ”だったと語る、かんばらさん。今も、表現について、舞台でチャレンジすることが多いので、自分で限界を決めずにどんどんチャレンジしていきたいと思う、とこの言葉に込めた思いを語りました。
システムエンジニアの仕事をしつつ、ダンサーとして活躍の場を広げるかんばらさん。
公演情報など、SNSやブログでぜひチェックしてみてください!
かんばらけんたさんのリクエスト曲:長く短い祭 / 椎名林檎
「リオパラリンピックの閉会式は、自分にとって、まさに“長く短い祭り”。この曲の歌詞には共感できるフレーズがたくさんあり、本番に向けてこの曲を聴いて気持ちを高めていました」と、この曲にまつわるエピソードを語ってくれました。
次回は、義足のプロアスリート・陸上の山本篤選手をゲストにお迎えしてお送りします。
どうぞお楽しみに!