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2019年6月21日
車いすで世界一周!三代達也さん (2)

今回も車いすで単独世界一周の旅をした三代達也(みよ・たつや)さんをゲストにお迎えしました。

2017年に日本を出発し、232日間で23ヵ国42都市を巡った三代さん。

旅の途中には各地で世界遺産を訪れたそうですが、今回はその中からひとつ、パルテノン神殿でのエピソードを語ってくれました。

丘の上にあるパルテノン神殿。

実は、車いすルートがあるのだそうです。一般の歩行者用ルートの途中で道が分かれ、そこを進むと階段があり、その先には断崖絶壁が待っています。

階段と断崖絶壁それぞれに昇降用のエレベーターが備わっているそうですが、ちょうど三代さんが行った時に故障していて、せっかくここまで来たのに諦めなければいけないのかと思ったそうです。

すると、道すがら出会ったインド人が三代さんを担いであげると申し出てくれたのです。

ただ、さすがにその険しい道を一人で担いでいくのは難しかったため、屈強な若者を探してきてくれて、二人で何十段もある階段を上り、帰りも同じように下まで連れてきてくれたそうです。

そうして、無事、パルテノン神殿を見ることができたということです。

 

バリアフリーに関していうと、国によって状況は様々で、例えば、南米の一部地域や東南アジアなど、まだバリアフリーの概念があまりない国では、マンパワーに頼ることになります。

「お願いします!」と頼んで担いでもらったり、車いすごと一緒に乗せてもらったり。

必然的に会話が生じることによって、人が助け合う心を感じることにもなったといい、「そこは、助けが必要な僕たちの旅のいいところでもあると思います」と話します。

 

三代さんが世界一周の旅を通じて感じたこと、それは「世界共通のバリアフリーは『人』」だということでした。

そこに住む人たちに手を差し伸べてもらい、助けてもらうことの連続。

「いかなるハード面のバリアフリーよりも心強いバリアフリーです」

そして、こう続けました。

「来年2020年の東京オリンピック・パラリンピックには、世界中から、障がい者の方、車いすユーザーが日本にやって来ます。今度は僕たち日本人が『手伝いましょうか』と声をかけて、本当の意味でのおもてなしができればいいなと思います」

 

秋には、前回行くことができなかったアフリカを縦断する予定だそうです。

エジプトからスタートして、南アフリカでゴールという大冒険が待っています。

どんな旅になるのか、ワクワクしますね。

 

最後に、上をめざして進もうとする方に伝えたい“Going Upな一言”を伺いました。

『 No Rain, No Rainbow 』

世界一周旅のあと、改めてハワイを訪れた時に、一緒に行った先輩が言った言葉。

“雨が降るから虹が出る”。ハワイのことわざのようなフレーズで「何か悪いことがあった後にいい事がある」という意味なんだそうです。

「この言葉は、僕の人生そのものかなと思います。車いす生活になるような事故に遭って、一見するとネガティヴなことかもしれませんが、逆に今はそれを価値にして、こうやって話をさせてもらっています。なので、今、落ち込んでいる人でも、その後に絶対楽しいことがあるからと思ってもらいたいです」

この言葉に込めた思いを、そう語ってくれました。

 

三代達也さんのリクエスト曲:ジョニー・B.グッド / チャック・ベリー

辛いことや、きついと感じた時に元気にさせてくれる一曲だということです。

 

次回は、陸上界に彗星のごとく現れた義足のスプリンター・井谷俊介選手をゲストにお迎えしてお送りします。

どうぞお楽しみに!

2019年6月14日
車いすで世界一周!三代達也さん (1)

今回のゲストは、車いすで単独世界一周旅をした、ウィルチェアートラベラー・三代達也さん(みよ・たつや)さんです。

 

18歳の時のバイク事故により車いすでの生活となった三代さん。

会社員時代、同僚と夏休みの話になり「海外に行ってみれば?」と言われたそうです。

それまで海外に行こうと考えたことがなかったため、飛行機すら乗ったことがないし英語も話せない、バリアフリーになっているかもわからないと最初はネガティブに受け止めました。

でもハワイなら日本語も通じるしバリアフリーだって聞くけどね、という同僚の言葉がきっかけとなり、ハワイ旅行に行くことを決めました。

 

初めての海外ーハワイでたくさんの刺激を受けた三代さん。

帰国して、また会社員生活が始まりましたが、どうしても海外に行きたいという思いが強くなり、仕事が手につかず、一週間もしないうちに会社を辞めたそうです。

一人で海外旅行に行けたことで自信がつき、今度は海外に住んでみたいと思ったのです。

そうして、アメリカ・ロサンゼルスに1ヵ月半、オーストラリアにワーキングホリデービザで半年程滞在。

海外で暮らす中で、「自分はこれがしたいから、今これで生きているんだよ」という人たちの考え方に共感し、人間として魅力を感じたそうです。

 

半年も海外に住んだのでもう十分かなと思い、その後、3年くらいは会社員生活を送りました。

ところが、ある時、このような生活を続けているだけでいいのかと疑問を持つようになったのです。

(バイク事故で車いすの生活にはなったけど、今、生かされている人生。このままでいいのか・・・)

そうして、それまでの経験を振り返ると、旅をしている時が人生の中で一番楽しかったということに気づきました。

車いすでも一人で海外に行けるのか、滞在できるのか、ハワイ旅行もオーストラリアでの生活もすべてが自分への挑戦でした。

ならば今度は、自分の旅を発信することで、海外ってこんなところですよ、一人でも行けるんですよ、世界一周もできますよ…と旅の楽しさを知ってもらい、僕にも私にもできるかなと思ってもらえればと、”世界一周”という大きい決断をしました。

 

世界一周の旅の途中には、苦労したこともたくさんあったといいます。

例えば、車いすということで、パンクすることを想定して、チューブではなくノーパンクタイヤで旅に臨んでいましたが、イタリアのローマは石畳の道が多く、そこでネジが緩んだのか、その後に訪れたフィレンツェで前輪のキャスターが取れてしまったそうです。

その時に助けてくれたのは、通りすがりのイタリア人ファミリー。お父さんが指揮をとり、お母さんは工具を借りに商店を歩き回り、二人の子供たちはネジを探し始めました。

すると、遠くから子供たちの「おぉー」という声。

見事にネジを探し出し、お母さんは工具箱を持ったスポーツ店の店長を連れてきて、お父さんが店長とネジを締めてみると、見事に直ったのです。

観光地のど真ん中、いつの間にか集まっていた大勢の野次馬の人たちからは歓声がわきました。

かなりの大ピンチでしたが、この出来事は今でもいい思い出となっているそうです。

 

世界遺産や世界の観光地も数多く訪れた三代さん。

マチュピチュに行った時のエピソードを話してくれました。

マチュピチュといって思い浮かべるあの場所は、山の上にあるのですが、ふもとのマチュピチュ村までは電車で行けるのですが、そこからバスに乗り、降りると段差も多いバリアフルな坂を上らなければなりません。

バスのドライバーやいろいろな人に手伝ってもらい、おぶってもらったそうです。

現在、マチュピチュは単独では入れず、ツアーに参加しなければいけないということですが、現地のツアー会社には介護者がいないということで断られ続け、困った三代さんは日本でお世話になっている旅行代理店の方に相談することに。

すると、現地の支店からふたり派遣してもらえることになり、おぶったり担いだりして、階段と坂道を越えていき、そこを訪れていた観光客の助けも借りながら、ついにマチュピチュに行くことができました。

 

ウユニ塩湖やパルテノン神殿といった観光地も車いすでまわった世界一周の旅。

232日間をかけて、23カ国42の都市を巡りました。

「楽な日は1日もなかったですが、それでもやってよかった」というのが世界一周旅行を終えての率直な三代さんの感想。

次回も、旅のエピソードをたっぷり伺います。どうぞお楽しみに!

 

三代達也さんのリクエスト曲:Englishman in New York / Sting

“自分らしくいなさい、誰になんと言われようとも”という歌詞が好きで、この曲を聴いて、「いろいろなことを言われる人生だけど、自分が楽しいと思うことややりたい事に対して、その気持ちに素直になってやっていこう」と思うようになったそうです。

2019年6月7日
馬術・高嶋活士選手 (2)

今回も馬術の高嶋活士(たかしま・かつじ)選手をゲストにお迎えしてお送りしました。

 

子供の頃から動物が好きだったという高嶋選手は、騎手になりたいと思い、14歳から馬に乗り始めました。

家族全員、背が低かったため、それを生かせる仕事をということで両親に勧められたのがきっかけでした。

「馬に乗っていれば勉強しなくてもいいかと思ったんです」と正直に当時のことを話す高嶋選手ですが、実際には、騎手になるために必要な条件や競馬をするにあたって必要なことなどの法律を勉強しなければならず学ぶことがたくさんあったそうです。

 

そうして、日本中央競馬会(JRA)の騎手となった高嶋選手。

現役中、障害レースにも挑戦しましたが、そのレース中に馬が転倒して落馬。重傷を負い、右半身にまひが残りました。

その後、復帰を目指してリハビリに励み、馬にも乗れるようになりました。

しかし、知り合いの牧場で競走馬に乗った時、騎手を引退しようと考えたのです。

「馬が僕の右の弱さを感じ取って、そこに甘えて楽をしようとしてきたんです。そうすると馬に変な癖だったり体に支障をきたしたりするのでよくないなと思いました」

 

その頃、インターネットのニュースで、騎手だった方が2020年のパラリンピックを目指しているということを知ります。

そういう道もあるのか、その道に行ってみるのもいいかなと思い、パラリンピック競技の馬術に転向することを決めました。

昨年には、アメリカで開催された世界選手権にも出場し、初の大舞台だったということもあり緊張によりあまり良い結果は残せなかったものの、とても大きな会場で観客も多く、これまで出場した大会の中で特に印象に残る試合だったといいます。

 

高嶋選手の強みは「騎手時代に培った体幹やバランス」。

「馬をしっかり、きれいに、格好良く見せられる、馬を生かせる選手になりたい」と今後の目標を語りました。

 

最後に、上をめざして進もうとする方に伝えたい“Going Upな一言”を伺いました。

『できない事はない やろうとする意志』

高嶋選手自身が馬に乗って実感したことで、いつも心がけている言葉だそうです。

 

今回、高嶋選手に聞いて鈴木亮平さんが驚いたのは、飛行機で馬を移動させる時に乗るのは、飛行機の先端、鼻のあたりだということ。冷暖房完備で快適に作られているそうです。

長時間の移動は馬にとってストレスになると思いますが、飛行機にそんな秘密があったのですね。

 

高嶋活士選手のリクエスト曲: LEMONADE / THE BAWDIES

競技前に気分を上げるために聴いている曲だそうです。