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今回のゲストは、車いすバスケットボールの柳本あまね(やなぎもと・あまね)選手です。
現在、大学3年生。女子若手のエースとして活躍する柳本選手は、5月23日から28日までタイで開催された『女子U25車いすバスケットボール世界選手権大会』に日本代表として出場し、過去最高の4位獲得に大きく貢献しました。
女子U25世界選手権は4年に一度開催されており、今回で3回目。
柳本選手は4年前、2015年の北京大会にも日本代表として出場しましたが、当時はまだ高校生。
「“日本代表”として出場する3回目の大会だったので、すごく緊張していて正直あまり覚えていないというのが本音です。ただ、うまくいかなかったということは覚えてますね。自分の思うようなプレーができず、足を引っ張っていたと思います」と振り返ります。
そこから4年が経った今回の大会では、「自分がチームを引っ張っていかなければいけない」という意識を持って臨んだといいます。
国際大会や強化合宿に参加するのが初めてという選手も多い中で、国際大会をより経験している自分がリーダーシップを取り、勝つためには“仲良しチーム”ではなく全員で高め合いながらやらなければいけないと感じていました。
年齢的にはチームの中で下から3番目ではありましたが、これまで先輩方がしてくれたように、言うときはちゃんと言い、褒めるときは褒める、ということを率先して行いました。
気を使ってしまう性格から、以前は強化合宿に参加しても自分の意見を言えずにいたそうですが、そんな時に先輩たちから言われたのが「コートに立てば年上も年下もなく同じ立場。先輩とか後輩とか関係なく全部言って欲しい」ということ。
この大会では自分がそのような役割を果たさなければいけないと自覚していました。
今回のU25世界選手権には8ヵ国が出場しました。
予選リーグ、日本はイギリス、南アフリカ、タイと同じプールA。
リーグ初戦の相手は、前回大会優勝のイギリス。
「強い相手だけど絶対に勝って、予選を一位通過してメダルを奪いにいこう!」と、チーム一丸となって挑みましたが、30-47で敗れ黒星スタートとなりました。
敗れはしたものの「初戦で、思ったよりもいいゲームができた」という手ごたえを感じていた選手たち。
「あとの試合は全て勝とう」と、しっかり気持ちを切り替えました。
そうして、予選リーグ2戦目の南アフリカ戦では81-8と圧勝!
続く、第3戦の地元・タイとの対戦では47-4で勝ち、2勝1敗で準々決勝を迎えました。
ドイツとの準々決勝。
日本はペースをつかむことができず苦戦を強いられましたが、第4Q、残りわずかというところで同点に追いつき逆転!42-37で勝ち、ベスト4進出となりました。
この試合の一番の勝因は「全員があきらめなかったこと」だと語る柳本選手。
「選手もスタッフも、全員が『勝つ』という思いでやりきったのは、チーム力としてもすごく強かったと思います。そこがドイツよりも勝っていたところだと思います」
準決勝で優勝候補のアメリカと対戦し24-78で敗れた日本は、イギリスとの3位決定戦に進みます。
メダルをかけた一戦に全力で挑んだ日本でしたが、31-63で敗れ、4位という結果に終わりました。
メダルは逃したものの、U25では過去最高の4位という結果を柳本選手はこう受け止めています。
「メダルが本当に欲しかったというのは確かですが、“世界選手権”という場でメダル争いをするという経験が初めてだったので、その場に立てたというのはすごく嬉しく思います」
今回の日本代表メンバーで4年後の大会を目指せるのは3人。
チーム最後のミーティングでは、その3人全員が口を揃えて「メダルを獲ります!」と宣言したそうです。
そんな、頼もしい後輩たちに柳本選手はエールを送りました。
「後輩にはメダルを獲って欲しいです。自分ができるサポートは全てしたいので、絶対にメダルを獲って喜びを感じて欲しいです!」
次回は、柳本選手が車いすバスケットボール選手として歩んできた道のりをたどります。
どうぞ、お楽しみに!
柳本あまね選手のリクエスト曲: GO UP / WINNER
K-POPが好きだという柳本選手。試合前、特に、大事な試合の時によく聴いている1曲だということです。
今回も、陸上界のニュースター・井谷俊介(いたに・しゅんすけ)選手をゲストにお迎えしました。
T64(下腿切断など)男子100m・アジアチャンピオンの井谷選手。
オフシーズンから取り組んでいるのは、“スタートでの前傾姿勢の低さ”。
「前傾でしっかり行って、トップスピードに速く乗せる」ことをテーマに掲げています。
ふだん一緒に練習している陸上のトップアスリート、山縣亮太選手や福島千里選手のスタートを見ると、義足の選手とは比べものにならないくらいの低さで、その前傾姿勢でぱぱぱっと進むんだそうです。
義足の場合、足首がないため、同じようにするには難しい部分もあるといいますが、「スタートで上体をしっかり低くキープして速くトップスピードに持っていき、そのトップスピードで他に差をつけたい」というのが、今、目指している形です。
スタートの反応速度がトップ選手の平均より遅いと話す井谷選手ですが、一方で、ご自身の走りの強みについてはこう語ります。
「スタートして20m、30mくらいからの加速でぐーっとトップスピードに乗る、そこの速度の上げ方は自分の武器だと思います。それに、レースを見ていると、後半、僕がぴゅーっと伸びていくように見えるんですよね。よく、『後半、伸びるね』と言われるのですが、実際はトップスピードからの落ち幅が少ないんです。それで、他の選手と比べて伸びているように見える。その後半の伸びというのも武器かなと思っています」
昨シーズンは「本番での勝負強さ」や「レース慣れ」といったメンタル面での課題も挙げていましたが、一年を通して場数を踏んで経験を積んだことが今年につながり、また、結果を出せたことで自信となりメンタルも強くなったといいます。
本番で練習通りの走りをするため、ふだんから一本一本集中して、質の高い練習を心がけています。
レースに集中しきれず、気付いた時には走っている…といったことが昨年あったため、練習から本当のレースの瞬間だと意識して質を求めているそうです。
一本一本、しっかり間を置いて、何が良くて何がダメだったのかを動画で確認しながら考え、一回リセットをして、集中しなおします。
一本走った後、集中を一回切って、また集中し直すことでオンとオフでメリハリをつけます。
筋肉が疲労して回復するまで20~30分かかると言われているため、一本を大事にする練習の時は、全力で走れるように、それぐらい時間を置くそうです。
反対に、スタミナ系のトレーニングをする時は、100m走って1分休憩し、そのまま100m戻って来るという練習を10本やったりすることもあるそうです。それによって、心肺機能が鍛えられるということです。
東京2020パラリンピック出場をかけて、とても重要になる今シーズン。
「11月にドバイで開催される世界選手権で必ず決勝に進出して、そこで表彰台争いをするのが最低ライン」と目標を語る井谷選手。
昨年、自身がマークしたアジア記録(11秒70)は、昨シーズンの世界ランキング9位のタイム。このタイムでは、入賞が見えているかどうかというくらいの位置というのが現状です。
昨シーズンのトップは、ドイツ人選手が出した10秒67。
まだまだ11秒切るには、壁は高いといいます。
その壁を越えるため、現在、取り組んでいるのは“フィジカルの強化”。
「下半身を強化して左右の筋力差をなくす、そして、そこからもっと下半身の力をつけることによって、さらにスタートが良くなると思います。結局、フィジカルが弱いというところに根本的な原因があるので、今シーズンはしっかり体を強くして、スタートを磨いていきます。そうすることでトップスピードが速くなって、それで落ちる幅も少ないというようにすれば、きっとタイムが上がると思います。なので、今はウエイトトレーニングの時間も増やして、積極的に体づくりに励んでいます」
力強い眼差し。見つめる先にあるのは、東京2020パラリンピックの舞台です。
「新国立競技場で走れる、その姿を想像するとワクワクします。必ず日本代表になりたいという思いがあります。そして、アジア初の10秒台を目標にしています。そうすることで、おのずと金メダルも狙えるんじゃないかと思います。そうして、今までお世話になったたくさんの方たちに見ていただきながら、最高の恩返しができればいいなと思っています」
最後に、上をめざして進もうとする方に伝えたい“Going Up”な一言を伺いました。
『Keep Pushing』
自分を駆り立てる、攻め続けるという意味のこの言葉。競技だけではなく人生においても、立ち止まらずに、常に前に進み続ける、攻め続けるというのが大事だということを、事故に遭ってから思うようになったそうです。いつもこの言葉を胸に頑張っているということです。
井谷俊介選手のリクエスト曲:交差点 feat. EXPRESS / BANTY FOOT
BANTY FOOTは、名古屋で有名なレゲエのアーティスト。自分の学生時代を象徴するような曲で、入院中にもよく聴いていたそうです。アジア記録を打ち立てたアジアパラ競技大会の時、何度も何度も聴いていたそうで、「いつも通りやっていれば大丈夫(いつも通りやってりゃ問題ない)」という歌詞のように、練習通りやれば大丈夫、勝てると自分に言い聞かせて、背中を押してもらった思い出の一曲です。
次回のゲストは、車いすバスケットボール・柳本あまね選手です。
どうぞお楽しみに!
今回のゲストは、義足のスプリンター・陸上の井谷俊介(いたに・しゅんすけ)選手です。
現在24歳。
昨年、インドネシアで開催されたアジアパラ競技大会では、T64(下腿切断など)クラス・男子100mでアジア新記録をマーク、アジアチャンピオンに輝きました。
実は、井谷選手が本格的に陸上を始めたのは2017年11月。
陸上界“期待の新星”として注目されています。
高校まで野球をしていた井谷選手は、その後、カーレーサーになることを目指して、モータースポーツに没頭する毎日を送っていました。
小さい頃からミニカーが好きで、地元・三重県にある鈴鹿サーキットに行くようになると、(カーレースってかっこいい!)と思い、将来はレーサーになりたいと夢を描くようになりました。
ところが、夢に向かって進んでいた大学2年生の時、バイク事故により右脚の膝から下を切断します。
義足での生活が始まると、周りからパラリンピックの話を聞きます。
そこから自分でいろいろと調べてみたそうですが、競技用義足は高額だったため、パラリンピックを目指そうという考えには至らなかったといいます。
そんな時、三重県に義足の人たちが集まって走るコミュニティーがあるのを知り、母親と一緒に訪ねてみることにしました。
義足で生活する上での知識や、義足で楽に生活するための方法を聞きたいという思いからでした。
そこで、子供から年配の方までみんな楽しそうに走っているのを見て、自分も走りたいと思った井谷選手。ジョギング用の小さい板バネ(競技用義足)を借りて走ってみることにしました。
2ヵ月ぶり、しかも義足で走るのは初めて。ドキドキという感情はワクワクに変わります。
「走るのってこんなに楽しかったんだと思いました。走ると風を切るじゃないですか。今までそれが普通だったんですけど、それが気持ちよくて、ただ走っているのが楽しくて、ずっと走っていましたね」
このことが大きなきっかけとなり、陸上競技に転向・・・と言いたいところですが、本格的に陸上を始めることになるのはもう少し先のことです。
「競技用義足が高いというのがあって、なかなか手を出せずチャレンジできないという現状に直面しました。そこから1年くらいは、陸上競技を始められないという状況でしたね。小さい子供がプロ野球選手になりたいと思うような感覚で、僕もパラリンピックに出たいなという感じでした」
当時は、モータースポーツの方に軸があり、レース漬けの毎日。
レーシングカートをするには莫大な費用がかかるため、アルバイトを3つ掛け持ちしていていたそうです。
それでも、カーレーサーという夢に向かって、コツコツと努力を続けます。
苦しいと感じたり、なんでこんなことをやっているんだろうと思ったこともあったそうですが、そんな時、何のためにやってるんだと自分の気持ちを掘り返すと「好きだからやっているし、レーサーになりたいから頑張っているんだ」という答えにたどり着きました。
この答えこそが自分を奮い立たせ、しんどい時でも頑張れる大きな原動力となりました。
ただ、学生にとってこのようなきつい状況が続く中、保険が適用されず自費購入となる競技用義足までは手が届きませんでした。
“青春だった”と夢に向かってアルバイトに明け暮れた当時を振り返る井谷選手が次に考えたのは、自分の夢に協力してくれる「スポンサーやサポーターを集めよう」ということ。
自分で企画書を作り、アルバイト先に来るお客さんに、自分がやっているレースについてや現状を説明しながら企画書を見せていきました。
すると、何人かが興味を示してくれて、応援してくれる人が現れたのです。
出会った人の中に、名古屋でレーシングチームをやっている方がいました。
「義足でレーサーになりたい」「パラリンピックに出場したい」という井谷選手の夢に共感し、頑張って欲しいと応援してくれました。大学4年生というタイミングでの出来事でした。
そしてなんと、「プロレーサーの脇坂寿一さんに紹介したい」と申し出てくれ、2017年、脇坂さんに会うことになったのです。
脇坂さんに出会い、アスリートとしての考え方だけではなく、いろいろな物事に対する考え方を学び、人としても成長できたと話し、今では“東京の父”と慕っているそうです。
「義足になった時も思いましたが、周りの人の存在や環境はすごく大事だなと思っています。今こうして挑戦できているのも、そういうご縁があったからこそ。感謝しかありません」
そうして、その繋がりから陸上競技を本格的に始めることになった井谷選手。
わずか半年後の昨年5月には、自身初の国際大会(北京グランプリ)に出場しました。
ところが、レース前日に肉離れをするというハプニング。しかし、負けず嫌いな性格から、無理を押して「気合い」で走り、優勝を勝ち取りました。
7月には国内初戦となる関東パラ陸上競技選手権大会に出場し優勝。
その後も存在感を増していき、10月にインドネシアで開催されたアジアパラ競技大会で男子100m ・T64のクラスで金メダルを獲得、アジア新記録も樹立しました!
陸上を始めて1年経たずして、著しい成長曲線でトップアスリートの仲間入りを果たした井谷選手。
アジアチャンピオンに輝いたレースをこう振り返りました。
「5月に北京で肉離れをしてしまった時には、やばいなっていう絶望的な感じでした。そこから、国内大会でもなかなか調子を合わせきれない、怪我の影響でしっかり走れないという状況で、すごく悔しいレースが続いていました。でも、最後のアジア大会でしっかり自分のポテンシャルを出せて『よっしゃー、1年間やりきったぞ!』というふうに思えたんです。アジア大会でのレースは自信に繋がりましたし、すべてにおいてプラスになった、価値あるレースだったと思います」
まさに彗星のごとく陸上界に現れた義足のスプリンター・井谷俊介選手。
次回は、井谷選手の走りの秘密に迫ります。
どうぞ、お楽しみに!
井谷俊介選手のリクエスト曲:無限大∞ / 清貴
競技を始めた頃から、大会前のウォーミングアップ中によく聴いている一曲。もともと緊張しやすいタイプだそうですが、この曲を聴くと、その緊張がワクワク感へとパッとスイッチが切り替わり、勇気をくれるそうです。