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2019年8月23日
車いすラグビー日本代表キャプテン・池透暢選手 (1)

今回のゲストは、車いすラグビーの池透暢(いけ・ゆきのぶ)選手です。

 

高知県出身、現在39歳の池選手。

19歳の時、交通事故に遭い大やけどを負って左足を切断、左腕まひの障がいにより車いすでの生活となりました。

治療は2年半にも及びましたが、入院中、中学時代に所属していたバスケットボール部の顧問の先生から、「一般のバスケットボールよりもシンプルだけどすごく楽しいし、パラリンピックという舞台にも挑戦してみたらどうだ」と、車いすバスケットボールを勧められます。

それまで、車いすバスケットボールを見たことがなかったので最初は想像もつかなかったといいますが、高みに挑戦したいという気持ちが湧き、その瞬間に「やる!」と決めました。

 

退院後、車いすバスケットボールを始め、ひとつひとつ、努力を重ねていきました。

そうして、2011年には車いすバスケットボールの日本代表候補に選出。

しかし、翌年、ロンドンパラリンピック日本代表のメンバーには名を連ねることができませんでした。

「私は左手の感覚がなく握ることも全然できないんです。激しいトレーニングをしていて、左手が2回も疲労骨折を起こして、鍛えたり、トライすることさえ許されない体なのかという、いろいろな葛藤がありました。左手が全く使えない状態で、シュートをしたり、パスやドリブルをしたり、車いす操作をしなければいけないという厳しさがあって、自分にはやっぱりこの競技は向いていないんじゃないかなという思いはあったものの、10年近く打ち込んできたものへのプライドや、やり遂げるという心をずっと持ち続けていました。でもやっぱり、監督の選びたい選手の色に自分はなれなくて、悔しい思いがありました」

 

転機が訪れたのは、その数ヵ月後。

悔しい思いを抱えるなか、ロンドンパラリンピックでの車いすラグビー日本代表の試合を見たことが大きなきっかけとなりました。

日本とアメリカによる、3位決定戦。

車いすラグビーは、手足に障がいのある選手たちがプレーしますが、試合中、障がいの重い選手にパスが通らないシーンがたくさんありました。

パスの精度に自信のあった池選手は、その映像を見ながら、自分だったらあそこにパスを正確に入れられる、自分が入ることで日本のラグビーをさらに違う形で活かせないか、と思いを巡らしました。

日本はこの試合で銅メダルを逃しましたが、池選手の心は大きく動きました。

「自分はこの競技に入って、メダルを獲りたい!」

車いすラグビーであれば、自分の体の機能を言い訳にせずに、思い切り世界の舞台でぶつけて、自分自信の高みに挑戦できる。

そうして、車いすラグビーへの転向を決意しました。

 

すぐに頭角を現した池選手は、転向した翌年には車いすラグビー日本代表強化指定選手に選ばれ、2014年からは日本代表のキャプテンを任されます。

そして、2016年。

ついに、車いすラグビー日本代表としてリオパラリンピックの舞台に立ち、日本車いすラグビー史上初の銅メダルに輝きました!

念願のメダルを手にした瞬間、いろいろな思いがこみ上げてきました。

「19歳で事故をして、その時に友人を亡くして。残された自分が友人のために何ができるのか、友人たちの分まで”生きた証”を残そうって、それがこの車いすラグビーでメダルを獲るということでした。メダルをかけてもらった瞬間に、友人たちへのこれまでの思いだとか、友人のご両親にも自分が生きて、彼らの分まで成し遂げるということを、あきらめずにやり遂げて、自分自身も褒めたいと思ったし、やっと自分が友達の分まで生きた証が残せたかなという思いが現れてきました。なので、メダルを上にかざして、天国の友人たちにこれを見てくれと。今の自分の実力ではもう最高の色でしたし、東京へ向けて、さらに金メダルを目指していくという自分の道が開けました。2020年に向かって、次は絶対金メダルを獲るということを決意した銅メダルでした」

 

そして、昨年8月に開催された車いすラグビー世界選手権。

日本は、決勝で世界ランキング1位のオーストラリアに競り勝ち、金メダルを獲得!世界チャンピオンとなりました!!

東京2020パラリンピックでは金メダル獲得を目指す日本代表に、この優勝は大きなものをもたらしました。

「今までの大会では、世界の頂点に届かなかった悔しさしか残りませんでしたが、金メダルを獲ったことによって”自信”が生まれました。勝者としての自信が生まれたことによって、それから後の試合に関しては、今自分たちに何が足りないのか、あと2年の中で何をやっていくべきか、それまで、がむしゃらに、ひたすらあがいていたものが、これを埋めていこう、あれを埋めていこうというふうに冷静に整理されました。でも世界一になった時、実は、日本はまだまだ未完成なままでの金メダルだったんです。それがよかったというか、今後やっていくべきことがたくさんある中で世界チャンピオンになれたということは、伸びしろがさらにあるということなので、これからが楽しみだなと思いましたね」

 

世界選手権を終えて、池選手は昨シーズン、アメリカリーグに挑戦しました。

アメリカは車いすラグビーの強豪国で、国内のチーム数は40を越え、世界で一番強いリーグだと言われています。

「競技者として一番ピークの時期に世界で一番強いアメリカリーグに挑戦して、個人のスキルアップ、経験値を上げたい。今後、選手を終えたときに、海外に挑戦したことが自分の人生の中で生きてくる。文化も言葉も違う場所でラグビーをすることによって、今自分が持っていない能力がさらに高められるのではないか」

さらなる高みを目指して、新たなチャレンジに挑みました。

 

アメリカで所属したのは、アラバマ州バーミンガムのチーム「LAKESHORE DEMOLITION」。

その拠点となっているのは、コート3面がとれる体育館に陸上トラック、トレーニングジムやプール、そして、宿泊棟も備わる充実した施設でした。

トレーニングやラグビーのことだけを考えられる環境のもと、今後のラグビー人生について考え、自分自身をもっと深く見つめなおす貴重な時間となりました。

「日本では日々の日常に流されて、ラグビーに向き合えないものがありました。アメリカに来て、トレーニングにおいてもトライできていないことにトライしようだとか、すごく自分と向き合うことができて、今後、自分がパフォーマンスを上げていくべきときに何が必要なのかということを見出すことができました」

日本とアメリカを何度も往復するハードなシーズンとなりましたが、池選手はアメリカでのチーム練習にも積極的に参加。LAKESHORE DEMOLITIONは、上位16チームだけが出場することができる全米選手権への出場を果たし、5位という結果でシーズンを終えました。

 

数々の挑戦を経て、ラグビープレーヤーとして、人として、さらに厚みと深み、そして、魅力を増す池選手。

次回は、池選手がキャプテンを務める、車いすラグビー日本代表について伺います。

どうぞ、お聞き逃しなく!

 

池透暢選手のリクエスト曲:Story of Our Life / 平井大

家から海がすごく近くて、小さな頃から海でよく遊んでいたという池選手。行き詰まったときには海に行って、もの思いにふける日もあったそうです。ご自身をいつもリセットさせてくれる海を思いながら、この曲をリクエストしていただきました。

2019年8月17日
竹内圭さん (2)

今回も、株式会社つなひろワールド 代表取締役の竹内圭(たけうち・けい)さんをお迎えしてお送りしました。

 

竹内さんが仕事のかたわら、情熱を注いでいるのが「車椅子ソフトボール」。ご自身もプレーヤーとして活躍しています。

その名の通り、車椅子に乗って行うソフトボールですが、アメリカでは40年以上の歴史があり、日本に入ってきて7年くらいの競技だということです。

グレープフルーツくらいの大きさ(16インチ)の少し柔らかいボールを使うため、ほとんどの選手がグローブではなく手袋をしてプレーします。(バットは一般のソフトボールと同じものを使用します)

大きな特徴としては、プレーヤーが9人ではなく10人だということ。

一般のソフトボールのポジション”フリーマン”と呼ばれる、どこを守ってもいい選手が一人入ります。外野を4人にして打力が弱いバッターの時は前に出てくるというチームが多いそうです。

また、スローピッチの1m80cmを越える山なりのボールしかストライクにならないというルールがあり、バッターの方が圧倒的に有利となるため、1ストライク1ボールからカウントが始まります。そのため、試合の展開が早いのも特徴です。

 

障がいの程度によるクラス分けは、4つ。

頸椎損傷や脳性麻痺、四肢に障がいがある選手など、一番障がいが重いクアードクラスの持ち点が0点(日本国内では上肢に障がいがある選手も車いすが漕ぎにくいということでクアードクラスになっています)、障がいが軽くなるごとに持ち点が1点、2点となり、片足切断や腹筋・背筋の機能が残っている選手たち、そして健常者プレーヤーも3点となります。

競技用の車椅子は、屋外でプレーするため前輪の部分(キャスター)が大きいのが特徴で、ゴロのボールが入らないように、前の部分(バンパー)が低くなっています。そして、脚を開いて打てるように脚を置くステップがついています。車椅子メーカーの松永製作所が日本で初めて車椅子ソフトボール用の競技用車椅子を製作しました。

 

日本車椅子ソフトボール協会の副会長を務める竹内さんは、車椅子ソフトボールの魅力について「障がい者と健常者が一緒にできること」だと語ります。

現在、日本には20チームあり、競技人口は300人程。障がい者と健常者がチームメイトとしてプレーしています。

アメリカにはジュニアチームも含めると約80チームあるそうで、最近では、ガーナやベルギーといった国でもやる人がでてきて、少しずつ世界にも広がっているようです。

今はまだ、パラリンピック競技ではありませんが、車椅子ソフトボールという競技を世界的に普及させて、「(2028年の)ロサンゼルスパラリンピックで金メダルを獲る!」というのが竹内さんの目標。

ただ、金メダルを獲ることだけが目標ではなく、この車椅子ソフトボールという競技を通じて、障がい者への理解を深め、障がい者と健常者という垣根をなくして、よりよい社会を作っていきたいと言葉に力を込めました。

 

最後に、上をめざして進もうとする方に伝えたい“Going Upな一言”を伺いました。

「いま頑張らずに いつ頑張る!」

いつも全力投球の竹内さんらしい言葉ですね。

 

竹内圭さんのリクエスト曲:不協和音 / 欅坂46

仕事でも車椅子ソフトボールでも大きなビジョンを掲げて活動している竹内さん。不協和音を恐れていたら前に進めない、自分の道を貫くんだと思いながら、カラオケで歌う一曲だそうです。

 

次回は、車いすラグビー日本代表・キャプテンの池透暢選手をゲストにお迎えします!

どうぞ、お楽しみに。

2019年8月9日
竹内圭さん (1)

今回のゲストは、株式会社つなひろワールド・代表取締役の竹内圭(たけうち・けい)さんです。

 

株式会社つなひろワールドでは、障がい者アスリートの就職支援、就職後のマネージメントを展開しています。

現在、障がい者アスリートの働き方としては大きく分けて3パターンあるといいます。

一つ目は、競技に専念するという働き方。会社には月に1回とか2カ月に1回出社します。

二つ目は、週に2~3日出勤するというケース。

三つ目は、週5日出社して時短勤務、例えば、毎日15時まで仕事をして夕方から練習という働き方。

障がい者アスリートにとって、競技生活を続けるため、そして、現役引退後の生活や人生においても仕事は重要な問題です。

もともと親会社の新規事業として2012年にスタートした事業ということですが、2012年のロンドンのパラリンピックが終わって、メダルを獲った選手、入賞した選手からも就職相談を受けたそうです。

しかし、当時はまだ、競技に専念するというような働き方が浸透していなかったため、企業からは「一体それはどういう働き方ですか」という声も多く、面接にすらこぎつけないというような厳しい状況だったといいます。

事業を開始して、これまでに7年間で150名のアスリートの就職支援を行なったそうですが、大きくその状況が変わったのが2013年。

東京2020オリンピック・パラリンピックの開催が決まったことで「一気に神風が吹いた」のです。

 

パラアスリートを雇う企業側のメリットについて、「障がい者の雇用率という観点で言えば、選手を雇用することで雇用率が達成できるということもありますが、ただ単に雇用率を達成するだけではなく、選手が活躍する姿を一緒になって応援することで社内に一体感を作るという効果がある」と語ります。

選手からの声で多いのは、東京2020パラリンピックまでもうすぐということもあって、練習時間や費用といった「競技の環境を整えたい」ということ。あとは、雇用率のためとか、ただ単にお金をいただいてスポーツをやるだけではなく、雇ってくれる企業に応援してもらい、一緒に戦っていきたいというマインドを持つ選手も多いそうです。

そして、企業からは、「東京2020大会に出そうな選手がいいです」という声もあり理想が高くなっているという状況がある一方で、東京大会の先を見据えて、若い選手を支援していきたいという企業もちょっとずつ増えてきているそうです。

 

竹内さんは、現在の仕事に携わるようになって、自分の中でも考え方が変わったといいます。

「この事業を始めた時は、(相談を受けた選手には)障がいがある、だから支援しなければというスタンスでした。でも、選手たちが人生をかけて競技に取り組んでいるのを知る中で、その自己実現を手伝いたいと思うようになりました。病気や事故によって、車いすユーザーになったり、視覚に障がいがあったり…でもその中で、競技でトップを目指していることに対して尊敬の念もありますし、一緒に遊んだり飲みにいくこともあって、人対人、一個人としての付き合いでもあるなと思います」

 

アスリートと企業をつなぐにあたって、竹内さんが大事にしているのは「アスリートファースト」ということ。

しっかり選手の意向を聞いて企業に伝え、双方が納得いく状況を作るというのを目指しているそうです。

 

雇用支援事業の一方で、株式会社つなひろワールドでは、パラスポーツ専門のニュースメディア『Glitters』を立ち上げ、パラスポーツに関するニュースをwebやSNSで発信しています。

昨年には、パラスポーツマガジン『Glitters』も創刊されました。

“Glitter”という言葉には「輝く」という意味があるそうで、『Glitters』という名前には「キラキラと輝くアスリートたち」という思いが込められているそうです。

鈴木亮平さんも創刊号と2号を手に取って、「写真がすごく多いですね。選手のかっこいい姿がすごく多い!」と見入っていました。

9月上旬には3号も発売されることで、ぜひリスナーのみなさんもご覧になってみてはいかがでしょうか?

 

次回も、竹内圭さんをゲストにお迎えしてお送りします。

どうぞ、お楽しみに!

 

竹内圭さんのリクエスト曲:美しい日 / SUPER BEAVER