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2019年9月12日
射撃・田口亜希さん (2)

今回も射撃の田口亜希(たぐち・あき)さんをゲストにお迎えしてお送りしました。

 

田口さんは、昨年5月に射撃の国際団体である世界パラ射撃連盟の選手代表に就任されました。世界中の選手たちの声を集めて代弁するポジションですが、実際に選手からの声で多いのは、射撃場の環境やルールに関することだそうです。

また、射撃競技のみならず、パラスポーツの普及活動や東京2020大会に関わる仕事でも活躍されています。

例えば、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会アスリート委員、東京2020聖火リレー公式アンバサダー、エンブレム選考委員、マスコット審査会委員…等など。どれも大会には欠かすことのできない重要な仕事ばかりです。

 

選手ではなく“裏方”の仕事をするなかで大きな影響を受けたのは、2016年のオリンピック・パラリンピック招致活動だったといいます。

結局、2016年の大会はブラジルのリオデジャネイロに決まりましたが、それまでの招致活動の中で多くのオリンピアンの方たちに会い、その方々のオリンピックを盛り上げようとする熱意や、自分たちの競技を盛り上げようと尽力している姿に心を動かされました。

それまでは、自分は選手だからずっと射撃をやっていればいいと思っていたそうですが、「パラリンピックを見てほしい」と思うのであれば、自分たちでしっかり活動していかなければいけないと思うようになりました。

それに、2012年のロンドンパラリンピックでご自身を追い込みすぎて、田口さんはしんどさを感じていました。大会後、半年から1年くらいは射撃以外の競技を見ても過呼吸気味になるくらい辛かったといいます。

少し射撃から距離を置こうと思った時、今まで自分はずっと誰かに支えてもらっていたので、今度は支える側になろうと思ったそうです。

“支える側”となって活動を始めてみると、豪華客船の乗務員だった以前の仕事と同じように、誰かを楽しませるという仕事に喜びを感じ、こんなことをやってみたらどうだろう、あんなことをやってみたらどうかな、と自分が選手の時に感じていた不自由な部分をどう変えていけるのか、楽しみながら仕事をしていると話します。

 

東京2020パラリンピックでは、全部の会場の観客席が満員になって、みなさんにパラスポーツを楽しんで見てもらい「また見に来たい!」と思っていただけるような大会にしたいと成功にかける思いを語る田口さん。

それだけではなく、2020年の大会が終わった後、それがどう残るかというのが大事で、会場となった施設の使い方、バリアフリー、共生社会について…等、大会以降も続くように活動していきたいと言葉に力を込めました。

 

最後に、上をめざして進もうとする方に伝えたい“Going Upな一言”を伺いました。

『君のことを“チャレンジャー”って呼ぶよ!』

学生時代や豪華客船の乗務員をしている頃、英語を使うことも多かったという田口さんですが、「障がい者」という単語をうまく表現できなかったといいます。その頃、日本で聞くと、”handicapped person”というような答えが返ってきたそうです。それがしっくりこなかったという田口さん。ある時、シンガポールから出張してきた人がいて、その方に話すと「僕たちの国では君たちのことを”チャレンジャー”と呼んでいるよ」と言われたそうです。それを聞いて、田口さんは号泣したそうですが、それ以来、(私にそんなことできるのかな・・・)と不安になる時には、この言葉を思い出して、(きっとチャレンジャーだからできる!)と思うようにしているそうです。

2019年9月5日
射撃・田口亜希さん (1)

今回のゲストは、射撃の田口亜希(たぐち・あき)さんです。

 

田口さんは、射撃の日本代表選手として、アテネ・北京・ロンドンと3大会連続でパラリンピックに出場し、アテネでは7位、北京では8位入賞を果たしました。

お仕事ではかつて、豪華客船「飛鳥」のパーサーとして勤務され、初代の飛鳥が1996年に世界一周を始めた際にも乗船したそうです。

 

射撃は、パラリンピックの正式競技で、大きく「ピストル」と「ライフル」種目に分かれます。

種目によって、使用する銃や標的までの距離・大きさが異なります。

今回、実際に田口さんに標的を持ってきていただいたのですが、例えば、10mエアライフル種目の場合、標的の中心の円は直径0.5mm!

思わず鈴木亮平さんも「小さい」と言ってしまったほどです。

 

射撃を行う時の姿勢には、立って腕だけで銃を構える「立射(りっしゃ)」、伏せて地べたに腹ばいになって打つ(腹ばいになれない選手は車いすにテーブルを置き両肘をついて打つ)「伏射(ふくしゃ)」、座って片膝を立て肘を片方だけ置いて構える「膝射(しっしゃ)」の3つの姿勢があります。

そして、時間と打つ弾の数も決められており、エアライフルの場合は、60発を50分間で打つのですが、現在の世界のレベルでは60発すべてを真ん中の10点に当てないとベスト8に残れない、という状況だそうです。

 

田口さんは25歳の時、脊髄の血管の病気を発症し車いす生活となりました。

病気になる前、飛鳥に乗船するためにホテルで研修を受けていたときに、あるお客様から「君の船ではクレーン射撃ができるの?」と聞かれました。

そこでクレーン射撃の存在を知り、楽しそうだと思っていたものの、実際にやってみるチャンスにはなかなか恵まれませんでした。

それから4年が経ち、病気を発症した田口さん。

リハビリとして車いすに乗りながらできるスポーツはないかと探していたところ、友人から射撃もあるという話を聞いて、(いきなり銃は持てないため)まずはビームライフルに挑戦してみました。

すると、初めて出場した大会でいきなり優勝。

コーチから「もしよかったら実弾の銃を打ってみないか」と言われて、銃の所持許可を取ることにしました。

ビームライフルで連続優勝後、エアライフルを始めてすぐに出場した試合でも優勝。

そうして、日本代表選手に選ばれ、パラリンピック出場を果たすまでになりました。

 

アテネ、北京、ロンドンと3大会連続で出場されましたが、2004年のアテネパラリンピックの時には、日本に「パラリンピック」という言葉すら知らない人も多く、アテネオリンピックが終わったあと、「次は亜希ちゃんの番だけど、パラリンピックはどこでやるの?」と上司に言われたこともあったといいます。

新聞の取材を受けても、スポーツ面ではなく社会面で紹介されることがしばしばで、「試合をやってもきっと関係者ばかりなんだろうな」「オリンピックみたいには盛り上がってないんだろうな」と思っていたそうです。

ところが、パラリンピックの開会式で「JAPAN!」と言われてスタジアムに入場すると、会場はお客さんで埋め尽くされていて、みんなが「ジャポン!」と言ってすごく声援を送ってくれたのです。

ボランティアもとても盛り上げてくれて、「スポーツってすごい!」と感じた田口さんの目からは思わず涙がこぼれたそうです。

 

実際の試合ではすごく緊張して、ガタガタ震えだす時もあるといいます。

ここに打てば(最高得点の)10点だなと思って当てようとするも、もしかしたら違うかも…という考えが少しでも頭をよぎると、引き金が引けなくなってしまうこともあるです。

(絶対にこの大会が終わったらやめてやる・・・)と思う事もあるそうですが、だからといって、試合中に諦めたり、手を抜くことは絶対にしません。

それが達成感となり、また次も頑張ろうと思える。

そういうところが、射撃の魅力だと語りました。

 

来年に迫った東京2020パラリンピックには、競技者としてではなく「裏方」としてサポートにまわり、大会成功に向けての活動を積極的に行っていらっしゃる田口さん。

そのお話については、次回、伺いたいと思います。

どうぞ、お楽しみに!

 

田口亜希さんのリクエスト曲: あぁ / 大黒摩季

2019年8月28日
車いすラグビー日本代表キャプテン・池透暢選手 (2)

今回も車いすラグビー・池透暢(いけ・ゆきのぶ)選手をゲストにお迎えしてお送りしました。

 

車いすラグビー日本代表は、リオ2016パラリンピックで、日本車いすラグビー史上初の銅メダルを獲得!来年の東京2020パラリンピックでは金メダル獲得を目指しています。

リオ大会以降、日本が強化しているのは「キーアタック」と呼ばれる攻撃のパターンです。

バスケットボールと同じ広さのコートで試合が行われる車いすラグビーでは、ゴール前に「キーエリア」という8m×1.75mのエリアがあります。

トライするためには、このキーエリアで守る相手チームのディフェンスを突破しなければいけませんが、これまで日本は、高さやフィジカルで勝る海外勢を前に、パスが通せなかったり、狭いスペースに突っ込んでタックルをしてもこじ開けることができず、このキーアタックに苦労してきました。

そこにフォーカスして強化したことで、今は経験値も上がり精度が上がってきているといいます。

 

そして、ケビン・オアー氏が日本代表のヘッドコーチ(HC)に就任して、さらに磨きがかかったのがディフェンス。

これまではコート半分のエリアでのディフェンスがほとんどでしたが、現在ではコート全体を使い、コート内の4人全員がディフェンスに参加し、1人が抜かれたら次の選手が2枚目、それでも突破されたら3枚目、4枚目…と、波状攻撃のようにディフェンスを行い、最後にキーエリアでディフェンスをして、ターンオーバーを狙うという「一切、手を抜けないディフェンス」をしています。

自分が抜かれても、必ず誰かがカバーをしてくれているので、その仲間のカバーを信じて最後まで戻る。

そういう、”チーム全員で戦いぬく”というディフェンスが今できているからこそ、昨年の世界選手権で金メダルを獲得することができたと、池選手は話します。

 

池選手は車いすラグビー日本代表のキャプテンを務めていますが、キャプテンを任されたのは、なんと車いすラグビーに転向して2年目のこと。

「僕は一切キャプテン向きだと思わないんですけど・・・」と言う池選手ですが、中学時代に所属していたバスケットボール部でもキャプテンを任されていました。

ご自身の中ではすごくそれがコンプレックスで、もうやりたくないという思いがあったといいますが、車いすラグビーをスタートしてキャプテンをやってくれと言われた時、「その時の自分を越えたい」と思い、引き受けることを決めたそうです。

 

日本代表として選ばれるメンバーは12名ですが、キャプテンである自分だけがチームをまとめるのではなく、12人全員の力でチームをまとめる、12人みんなで手を取り合うようなチームを作りたいというのが、池選手のモットーです。

「キャプテンは一人で悩んでいる時間が多い」と胸の内を明かした池選手。

一番大事なことは「みんなが考えていることを感じること」。そのため、キャプテンはすごく感度がよくなければいけない、と言います。

それぞれが今何を考えて、今何を悩んでいるのか、チームが強くなるために監督は何を考えているのか・・・そこのズレをなくしていきたいと語りました。

 

日本代表は9月に、韓国で開催される「IWRF 2019 Asia-Oceania Zone Championship」に出場。

そして、ラグビーワールドカップ期間中の10月にも大きな大きな大会が控えています。

それが、”もうひとつのラグビー世界大会”とも言える、世界最高レベルの国際大会『車いすラグビー ワールドチャレンジ 2019』

世界の強豪8チームが東京に集結。パラリンピック本番を1年後に控え、ぜひ見ておきたい大会です。

 

この大会の見どころについて池選手に伺いました。

「日本は2020年のパラリンピックで金メダル獲得を目指していますが、その、パラリンピック前哨戦と言えるような大会です。ふだん海外の試合に行くと、会場に日本人がほとんどいないのですが、今回は日本の人たちがいる中で自分たちがいかに結果を出すかという、自分たちにとってもチャレンジとなる大会です。自分たちが今持っている能力を応援の力でさらに上げられるように、応援を変換できるトレーニングが必要です。例えば、接戦の中スタンドを見上げた時に、自分の両親の顔が見えたら、ふっと集中が切れそうになるかもしれないと想像したんです。それでも緊張が切れないトレーニングが必要だし、それを力に変えられる、変換する能力が必要です。そういう意味では、実は、僕らはプレッシャーになっているのですが、でも今回、その”日本”で金メダルを獲るということが、2020年につながると思っています。僕たちは、この大会で金メダル獲ることを目指しているので、ぜひ戦いを見にきてください!」

 

世界の強豪が、頂点を目指して熱い戦いを繰り広げる『 車いすラグビー ワールドチャレンジ 2019』

東京・千駄ヶ谷にある東京体育館で10月16日から20日まで開催されます。

ぜひ、会場で車いすラグビーの迫力と興奮をじかに感じながら、日本代表に熱い声援を送りましょう!!

 

最後に、上をめざして進もうとする方に伝えたい“Going Upな一言”を伺いました。

『逃げなければ必ず道は開ける』

交通事故で左足を失い、右足も左手も動かない。できるのは、右手を動かすことだけ。自分にできないことが多すぎて、生きていくことが恐かったという池選手。それでも、自分を変えていきたいという思いで、ひとつずつ、できることや自信になるものを増やしていきました。嫌だなと思うこともたくさんあったそうですが、挑戦してやり通したことで、少しずつ成功が積み重なり、自分の成長を感じることがエネルギーとなって、前に進むことができたといいます。努力し続けたことで、パラリンピックの舞台に立つことができて、メダルを獲ることができたー「逃げたくても逃げなかった自分がいたから今がある」。
そんな、池選手ご自身の壮絶な経験と絶え間ない努力、信念によって導かれた言葉です。

 

次回は、射撃の田口亜希さんをゲストにお迎えしてお送りします。

どうぞ、お楽しみに!