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12月19日(20日)の放送では、卓球の岩渕幸洋(いわぶち・こうよう)選手にリモートでご出演いただきました。
中学1年生のときに部活動で卓球を始め、中学3年生でパラ卓球に出会った岩渕選手。
2016年(大学4年生)には自身初となるパラリンピック・リオ大会への出場を果たしました。
先日、12月14日に26歳の誕生日を迎えたばかり。
「26歳が僕にとっては大きなターニングポイントになると思うので、東京2020パラリンピックで良い成績を残せるようにがんばりたいと思います!」と抱負を語りました。
今年7月、岩渕選手は東京2020パラリンピック卓球日本代表に内定し、地元・東京で開催されるパラリンピックの切符を手にしました。
本来なら4月に内定の発表が行われる予定だったため、東京2020大会の延期に伴いその対応が懸念されましたが、正式に内定を獲得したことで「すごく安心した」と率直に当時の心境を話しました。
パラリンピック競技としての卓球(パラ卓球)では、選手の障害の重さやプレーに影響する度合いによりクラス分けされ、クラスごとに試合が行われますが、基本的なルールは一般の卓球とほとんど同じです。
岩渕選手のクラスは、立位(立ってプレーする)クラスの中で障がいが2番目に軽い“クラス9”。
左足の足首を自分の力で動かすことができないので、足首を固定し卓球の動きに耐えられるように(左脚の)膝下に装具を着けています。
パラ卓球は障がいの部位でクラスが分かれておらず、例えば、足に障がいのある選手と手や腕に障がいのある選手が同じクラスでプレーします。
そのため、相手の障がいをよく理解することが戦ううえでとても重要です。
「相手選手のどこに障がいがあるかで卓球のプレースタイルも全く変わってきます。相手の障がいを徹底的に突くというのがパラ卓球のセオリーなので、お互い何ができて何ができないのかを常に考えながらそこを巡って駆け引きをしています。
障がいがどこにあるかということは卓球台を前にしたら関係なくて、それがプレーヤーとしてひとつの得意・不得意になります。他のスポーツでもそうですが、例えば、フォアハンドは強いけれどバックハンドが苦手な選手が対戦相手だったら苦手なバックハンドを攻めるように、パラ卓球の選手たちはそのセオリーを受け入れてその場に立っているので、それがお互いをリスペクトすることでもあると思います」
そして、それがパラ卓球の魅力のひとつだといいます。
「一般の卓球でももちろん駆け引きはありますが、とても技術が高くて、不得意な部分も不得意に見せないような高度な駆け引きが行われています。パラ卓球ではそういった高度な駆け引きの部分が目に見える障がい、目に見える弱点だったりするので、観ている方にもわかりやすいですし、そこを巡って選手が考えていることや試合の流れというのがより一層伝わりやすいと思います」
岩渕選手は高校3年生のころからパラ卓球の国際大会に出場して、大学2年生のときに世界選手権(2014年)に初出場。同年開催されたアジアパラ競技大会ではシングルスで銅メダルを獲得しました。
世界を舞台に戦い始めたその頃、東京2020大会の開催が決まりましたが、“パラリンピック”を意識したのはいつだったのでしょうか。
「僕がパラリンピックを意識したのは、初めて世界選手権に出た時です。世界の選手たちが一堂に会する舞台はその大会が初めてでしたが、ふだんひょうひょうとプレーするヨーロッパの選手たちがすごくガッツを出してプレーしているのを見て、世界一の大会というのは独特な雰囲気があって本当にすごいなと感じました。僕もそういう舞台に出て行きたいと思い、そこでパラリンピックというのが初めて見えてきました」
そうして、2016年に卓球日本代表としてパラリンピック・リオ大会に出場。
自身初のパラリンピックをこう振り返ります。
「リオの大会はパラリンピックを知るうえですごく印象的な大会でした。最初のパラリンピックということで、大会の雰囲気だとかお客さんが観てくださるところ、そういったことをすべて含めて他の大会とは全く違う大会だという感触で、本当に緊張しすぎて何も覚えていないという形で終わってしまった大会でした」
その経験は、東京2020大会で生かされると力強く語ります。
「リオを経て、パラリンピックは本当に素晴らしい大会だということを知れたのが自分にとってすごく大きなことでした。パラリンピックという舞台をイメージして臨むことで、次の東京はもっとしっかり自分のプレーができると思います!」
東京2020パラリンピックでの活躍が期待される岩渕選手。
今年最後の放送となる次回、引き続きお話を伺います。
どうぞ、お楽しみに!
12月12日(13日)の放送では、前回に引き続き、柔道の廣瀬悠(ひろせ・はるか)選手、廣瀬順子(ひろせ・じゅんこ)選手ご夫婦にリモートでお話を伺いました。
夫婦そろって出場した2016年のパラリンピック・リオ大会。
順子選手は初出場にして日本女子柔道初となる銅メダルを獲得しました!
メダル獲得を喜ぶ一方で、リオ大会では「海外の選手に力負けをすることが多かった」と振り返ります。
それまではコーチを務める悠選手と二人三脚でトレーニングを積んできましたが、リオ大会での経験から、新たにパーソナルトレーナーをつけ、筋力トレーニングに取り組むようになりました。
視覚障害者柔道は選手同士が組んだ状態から試合が始まり、お互いにずっと力を入れ合うので、力負けすると試合にも負けてしまうといいます。
そのため、一般の柔道よりもさらにパワーが必要で、引く力と押す力の両方をうまく使い分けることが大事だということです。
パラリンピックのメダリストになったことで、周りの環境やご自身の心境にも変化がありました。
「自分が思っている以上に周りの方々が『おめでとう』と言ってくださったり、今でも街なかで声をかけてくださる方たちもいらっしゃいます。メダルを獲った当初はその応援がプレッシャーになってしまい試合でボロ負けしたこともありましたが、そういう試合を乗り越えて、今はあまりプレッシャーに感じずに、応援を力に替えて競技できるようになりました」
リオ大会後の国際大会で悪い負け方をして、また一からのスタートになったこと、そしてその試合に負けた時にコーチである悠さんから「試合で負けても死ぬわけじゃないんだからもっと気楽にやりなさい」と言われ、自分は考えすぎていたんだと気づいたことで、気持ちを切り替えることができたと語ります。
それからは、メダルを意識せず「自然体で柔道をする」ようになり、試合では「勝たなきゃ」と思わないようにしているそうです。
そうして、リオから2年後、2018年4月のワールドカップ・トルコ大会では金メダル、同年11月の世界選手権では銀メダルを獲得しました。
「トルコの大会では“優勝”というものを意識せずに臨んだ結果、優勝することができました。そのあとの世界選手権は大会の1か月前に怪我をしてしまい、ほとんど練習をせずに出た試合でした。最後は負けてしまいましたが、そういった状況で銀メダルを獲ることができてすごく自信になりました」
世界を舞台に戦う順子選手。柔道においてのご自身の強みを伺いました。
「私はあまり技がキレたり柔道のセンスがあるタイプではないので、“最後まであきらめない気持ち”というのが一番自分の強みだと思います」
悠選手はこれまで北京、リオのパラリンピック2大会に出場しました。
現在41歳、年齢と向き合い最後のパラリンピックにしようと考える東京2020大会。
リオからの4年間、強い思いを持って新たな柔道に挑んできました。
「リオ大会ではあまり成績が良くなかったので、次は少しでも勝てるようにスタイルを変えました。僕はディフェンス型で防御がメインでしたが、順子さんのような攻撃型の柔道を取り入れ、順子さんには逆に防御を教えました」
夫婦といえども「教えているやつには負けたくない」というプライドが、モチベーションになっているといいます。
防御が強く「投げられないのが最大の武器」だと話す悠選手。
ご自身の中で”G”と呼ぶ「圧」を相手にどんどんかけていき、技をかけさせないようにするのが秘訣なのだそうです。ただ、Gのかけ方は「企業秘密」だということです。
これまでに経験したことがない一年となった2020年。
お二人に、今年一年を漢字一字で表していただきました。
悠選手は、「忍」。
コロナ禍という状況を耐え忍ぶという思いが込められているそうです。
そして、順子選手は「共」。
「外出自粛期間中も悠選手とふたりでいたから練習を頑張れたので」と穏やかな表情で語りました。
最後に、リオ大会に続き夫婦そろって出場が内定している東京2020パラリンピックに向け、意気込みを伺いました。
「大会は延期になってしまいましたが、変わらず金メダルを目指して精一杯がんばりたいと思います!」(順子選手)
「順子さんがリオで銅メダルを獲って夫婦の格差ができたので、東京2020大会では順子さんに銀メダルを獲ってもらって、僕は金メダルを獲って夫婦の格差を埋めたいと思います!」(悠選手)
ご夫婦の愛と絆でコロナ禍を乗り越える廣瀬悠選手と順子選手。
東京2020大会、大舞台での活躍が楽しみです!
廣瀬悠選手のリクエスト曲:裸の心 / あいみょん
外出自粛期間中にドラマにハマったという悠選手。この曲が主題歌だったドラマも見ていたそうで、中年男性に希望を与えてくれてすごく良かった!としみじみ語っていました。
次回のゲストは、卓球の岩渕幸洋選手です。
どうぞ、お楽しみに!
12月5日(6日)の放送では、柔道の廣瀬悠(ひろせ・はるか)選手、廣瀬順子(ひろせ・じゅんこ)選手ご夫婦にリモートでお話を伺いました。
おふたりとも小学生のとき柔道を始め、悠選手は25歳、順子選手は大学時代に視覚障害者柔道へと転向しました。
2015年にご結婚され、2016年には夫婦そろってパラリンピック・リオ大会に出場。順子選手は女子57kg級で銅メダルを獲得しました。
Going Upには2017年3月以来、2回目のご出演となりました。
今年8月、日本視覚障害者柔道連盟より悠選手は男子90kg級で、順子選手は女子57kg級で東京2020パラリンピック柔道日本代表候補に内定したことが発表され、リオ大会に続きご夫婦でパラリンピックへの切符を手にしました。
順子選手は「パラリンピックが延期になり内定が出るのも延びていたので、やっと内定を出してもらえたことですごく安心しました」と、お知らせが届いた時の率直な気持ちを語りました。
悠選手によると「ちょうど、地元・愛媛県のテレビ取材が来ていた」そうで、内定の連絡メールが届き、一緒に練習をしている方たちと喜びを分かち合ったというエピソードを教えていただきました。
新型コロナウイルスの世界的な感染拡大により、東京2020大会の1年延期が決まりましたが、その時の心境を伺いました。
「今年の8月に向けてこれまでやってきたのでショックでしたけど、社会の状況を見たら仕方ないなというふうに思いました」
そう語るのは、順子選手。
「目標がいきなり遠くなってしまったので、モチベーションが下がり練習もしたくないなっていう感じだった」と振り返りますが、悠選手が「家にいたらダメになるよ」「周りの選手、練習しているよ」と声をかけてくれたことで、「休んでいたらダメだと思って前向きになれた」と話します。
一方の悠選手は、「2020年の東京大会で年齢的にも最後にしようと思っていたので、1年間また練習しないと…いうのが一番嫌でした」と延期が決まった時の率直な気持ちを語ります。
(悠選手は現在41歳。東京2020大会を42歳で迎えます)
新型コロナウイルスの感染拡大によりさまざまなことが制限されてしまいましたが、「家にこもって何もやらなければコロナに負けている感じがしたので、気持ちを切り替えて、今(順子選手と)二人でできることをやろうと思って乗り越えた」といいます。
「僕らはアスリートなので練習することが仕事だと思っています。仕事を怠ったらいけないという気持ちで、いつでも試合ができるように自分たちを整えていました」
悠選手は順子選手のコーチも務めているので、練習も日常生活もつねに一緒。
自粛期間中も「ずっとラブラブでした♡」と表情を緩めます。
いつお会いしても仲睦まじいおふたり。“ラブラブ”でいられる秘訣は…?
「僕自身はON/OFFを切り替えないように生活しているので、『自分のテリトリーに入ってきている』というふうに思わないのでイライラしないです」(悠選手)
「私もあまり一人になりたいと思わないですし、悠さんといる方が楽しいのでとくに苦労してないです」(順子選手)
スタジオが甘〜い空気に包まれました。笑
視覚障害者柔道は、選手が組み合った状態から試合が始まり、他の競技と比べても選手同士の距離が近いため、競技再開に向け難しい状況が続いています。
感染拡大により3ヶ月ほど柔道の練習ができなかった期間があったそうですが、7月からは道場での練習を再開。
しかし、日本代表候補による強化合宿は年内いっぱい中止、そして、今年度に行われる予定だったすべて大会が中止となりました。
一番近いもので来年4月にイギリスで国際大会が予定されてますが、試合がない状況が続く中、パラリンピックに向けての計画や見通しは立っていない、と悠選手は語ります。
今年は実践的な柔道の練習ができなかった分、ウエイトトレーニングを強化したといいます。
「デッドリフト」(※)に取り組んでいるそうです、順子選手は初め50kgぐらいしか持てなかったのが今では100kgを持ち上げられるようになり、悠選手は始めた当初は100kgぐらいだったのが、現在では180kgまで持てるようになり、パワーが上がったことを実感しています。
男子高校で練習をすることもあるそうですが、順子選手は男子選手にも負けないような力が身についているということです。
※デッドリフト:バーベルを下から持ち上げ、太ももの後ろにある筋肉やお尻にある大臀筋、 腰にある脊柱起立筋などを主に鍛えるトレーニング。
ただ、「体重は二人ともすごく増えてしまって、今は2階級上の体重になっています…笑」と順子選手。「減量する期間になったら二人でがんばって痩せようかなと思っています」
試合でおふたりの姿を見るのが楽しみですね。
次回も、廣瀬悠選手・順子選手にお話を伺います。
どうぞ、お楽しみに!
廣瀬順子選手のリクエスト曲:KANZAI BOYA / KinKi Kids
昔から好きだというKinKi Kids。ふたりの自由な空気が伝わってくるこの曲はお気に入りの一曲だということです。