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2020年12月2日
陸上・高田千明選手 (2)

11月28日(29日)の放送では、前回に引き続き、陸上の高田千明(たかだ・ちあき)選手にリモートでお話を伺いました。

 

ママアスリートの高田選手。

2008年にご結婚され、息子さんと3人家族です。

夫の高田裕士(たかだ・ゆうじ)さんは、聴覚障がい者のオリンピックである「デフリンピック」に3大会連続出場した、陸上・400mハードルの選手。現在、2021年のデフリンピック出場を目指しています。

夫婦ともにアスリートですが、千明選手はパラリンピック、裕士選手はデフリンピックと目指す舞台も違うし種目も違うということで、おうちでは陸上や競技の話をすることはないといいます。

ただ、たまに、どちらが世界ランキングが上だとか、どのくらい記録が上がっているかといった話題で言い合いになることがある、と笑いながら明かしてくれました。

 

これまで高田家では銀メダルが最高で、幼い頃から「金メダル=すごい」と思う息子さんから「なんでうちには金(メダル)がないんだろう」と言われたことがあったそうです。

高田選手が初めて銀メダルを獲得し、うれしさいっぱいの中、応援に来てくれた息子の首にメダルをかけてあげた時のこと。

「ママ、銀メダルだよ。がんばった!」と言うと、こちらを向いて「金じゃなかったけど、メダルもらえてよかったね」という息子の一言。

ガーンとショックを受けた高田選手は、上を目指してもっとがんばらなければいけないと思ったと語ります。

「僕はママが金メダルを獲れると思っているから、もっとがんばらないとダメなんだよ」

いつもそう言ってくれる息子さんの存在が競技への励みとなり、お父さんとお母さん、どちらが先に金メダルを獲るのか、夫婦で競っています。

「最初に金メダルを首に下げてあげた方が、絶対に印象に残るじゃないですか。2番じゃダメなんです!」

 

パラリンピックという大舞台が待つシーズンを迎えようとしていた今年3月。

新型コロナウイルスの世界的な感染拡大により東京2020大会の1年延期が決定しました。

外出自粛期間中は1ヶ月半ぐらい競技場での練習ができず、大丈夫かな、今の状態はどうなっているのだろう、という不安があったと振り返ります。

本来ならそれまでの跳躍の精度を上げてパラリンピックに臨む予定でしたが、大会が1年延期されたことで、その精度を上げながらも(パラリンピックまで)時間がないから省こうとしていたことにも取り組み、いろいろと試しながら練習を行っていたといいます。

それらがどう噛み合うのかを試す場となったのが、9月初旬に開催された今シーズン初の公式戦「第31回 日本パラ陸上競技選手権大会」でした。

 

この大会で高田選手は、女子走り幅跳びで4m46をマークし優勝。

しかし、昨年の記録が4m69だったことから最低でも4m60は跳びたいと思っていたため、優勝はしたものの記録には「納得できなかった」と話します。

それでも、大会が終わってコーチと今後の練習に続くような改善点などの話ができ、「次につながるものが見えた大会」になったとポジティブに捉えました。

 

この日本選手権は感染症対策により無観客での開催となりましたが、感染拡大後初のパラスポーツの大会として、他の競技に先立ち行われました。

スポーツイベントの中止が続くなか大会が開催されたことに、高田選手は感謝の言葉を述べました。

「(大会が行われて)本当に良かった、ほっとしたという思いと、大会を開催するにあたって支えてくれたスタッフの方々が、マスクだったり、除菌だったり、感染のリスクがないようにとすごく徹底してやっていただいたので、本当にありがたいという気持ちでいっぱいです」

 

アスリートとして、母として。

高田選手の見据える先にあるのは、東京2020パラリンピックです。

「これまでずっと練習を続けるなかで周りの方たちに応援してもらって今があるので、東京という自分の生まれ育った場所、周りでサポートしてくれた人たちがすぐ足を運べる場所での大会に、今までやってきたことの集大成として全力で臨みたいと思います。目標としては、5mを超えて表彰台の一番上に乗って金メダルを首に下げてもらい、コーチと一緒に君が代を聴いて泣きたいです!」

 

最後に、上をめざして進もうとする方に伝えたい“Going Upな一言”を伺いました。

『人生笑って楽しめ!』

人生は一回しかない。どんな事でも、やらないで「やっとけば良かった」と思いたくないし、たとえ周りからできないと言われたとしても「もしかしたらできるかもしれない。一度はやってみたい」と考えるという高田選手。なんでもやってみて、楽しいことを常に見つけながら、人生終わりたい。そんな思いが込められた言葉です。

 

次回のゲストは、柔道の廣瀬悠選手・順子選手ご夫婦です。

どうぞ、お楽しみに!

2020年11月27日
陸上・高田千明選手 (1)

11月21日(22日)の放送では、陸上の高田千明(たかだ・ちあき)選手にリモートでお話を伺いました。

 

高田選手は1984年生まれの36歳。

自身初の出場となったパラリンピック・リオ大会では女子走り幅跳び(全盲クラス)で8位入賞を果たし、昨年ドバイで開催された「世界パラ陸上競技選手権大会」の女子走り幅跳びで4位に入賞し、東京2020パラリンピックの切符を手にしました。

生まれ育った地元・東京で開催するパラリンピックでの活躍が期待されますが、まずは、陸上競技との出会いについて伺いました。

 

生まれつき視覚に障がいがあった高田選手は、小さい頃から体を動かしたり走ったりすることが大好き。

しかし、一般の学校に通っていた小学生時代は、友達と球技をやりたくてもただそこにいるだけで、寂しさを感じていたと話します。

中学から盲学校に進むと、ゴールボールやブラインドサッカーのように視覚に障がいがあってもプレーできるスポーツがとても楽しくてずっと体を動かしていたそうです。

そのときは弱視でまだ少し見えていたそうですが、盲学校を卒業する20歳過ぎ頃には視力を失い、光と影がわかるくらいだといいます。

仕事を始め会社と家との往復になっていたころ、学生時代にずっと体を動かしていたから何かやりたいと思い、頭に浮かんだのが幼い頃のように「全力で風を切って走りたい!」ということ。

盲学校の先生に相談すると、大会に出して伴走者やパートナーを探してみたらどうかというアドバイスを受け、早速大会に出場。そこで、偶然パラリンピックを目指して練習している選手に会い、それがきっかけで現在(高田選手が)指導を受けている大森盛一コーチと巡り会うことになって、21歳のとき、本格的に陸上競技を開始しました。

 

単純に「走る」ことをやりたいという思いから始めた陸上だったため、最初のころは「100mと200mの短距離でパラリンピックに出たい」というのが目標だったと話します。

走り幅跳びを始めたのは、その数年後のことでした。

 

ロンドンパラリンピックに向けて強化合宿に参加した高田選手。

そこに全盲の女子選手がいて、何の種目?と聞くと「走り幅跳びです」という答え。同じ全盲クラスだと知り、本格的に陸上を始めて4年以上が経って初めて、走り幅跳びに全盲クラスがあることを知ります。

「え~、もしかして、やったら楽しいんじゃない!?」

直感的に“楽しい”と感じ、その選手からいろいろと話を聞くことに。

それでも当時はロンドンパラリンピックまでは短距離でしっかりいきたいと思っていたため、まずは走ることだけに集中しました。

しかし、ロンドン大会への出場内定は取ることができませんでした。

それでも、「どうしてもパラリンピックという大舞台に立ちたい」「日本代表としてその舞台に立ちたい」という思いは消えなかったと振り返ります。

どうしたら日本代表に選んでもらえるんだろう、どの種目だったらもっと記録をあげられるんだろう・・・そこで思い立ったのが走り幅跳びでした。

今までやったことはないけれど、走り幅跳びを一度やって可能性があれば挑戦したい!

そんな思いから、走り幅跳びを始めました。

 

高田選手が走り幅跳びをやりたいとコーチにお願いした時、最初に言われたのが「絶対怖いはずだから、練習中『怖い』って言うなよ」ということ。

「わかりました!絶対言いません!」と約束したものの、1回目の練習から「怖い」を連発。

短距離では伴走者が常に隣にいて、“キズナ”と呼ばれる30cmのロープを握り合って走るので安心感の中で走れるといいますが、走り幅跳びではガイドが踏切エリア(※)辺りに立って声を出し、選手はその声を頼りにひとりで助走しなければいけません。

(※)視覚障がいのクラスでは踏切板の代わりに、1m幅に石灰などが撒かれた踏切エリアが使用されます。

踏切エリアを見て確認することができないため、高田選手は22〜23mを助走距離として15歩で跳躍することをコーチと決めています。

それでも歩数を間違えて13歩で跳んで砂場ではない場所に着地したり、斜めに跳んで砂場の外に放り出されてゴロゴロゴロと転がったりしたこともあったといいます。

練習では、まっすぐ走ること、フォームを大事に跳ぶことを意識しているそうですが、怪我に直結することもあるので「何よりもパートナーとの絆、信頼関係が必要」だと語りました。

 

驚くことに、実は一回も走り幅跳びを見たことがないという高田選手。

見たことがないのでイメージすることも難しく、例えば、跳躍中の空中動作を習得する時には立った状態で「踏み切りました。はい、今跳んでます。足はここ、手はここ、顔はここ」というようにコーチが体の形を示してくれたものを手で触りながら覚えて、自分でやってみるということを繰り返しました。

自分がやったフォームが違っていればコーチが手を取って、「足首の角度はこれです。足首が下に下がるとそれに引っ張られて下に落ちるから足首は上げましょう」というふうに、一つひとつ教わりながら前に進みました。

そうして地道な努力の結果、リオ2016パラリンピックでは走り幅跳びで8位入賞。翌年の世界パラ陸上競技選手権大会では銀メダルを獲得し、2019年の同大会では4m69の日本新記録で4位入賞を果たしました!

 

最後に、高田選手が思う、陸上競技の魅力を伺いました。

「もちろん競技の記録も見てもらいたいですが、視覚障がいのクラスはパートナーがいてこその競技になるので、自分の体を任せて、自分の体の一部となるパートナーとのやりとりも見てもらいたいですね」

 

次回も、高田千明選手にお話を伺います。

どうぞ、お楽しみに!

2020年11月18日
義肢装具士・沖野敦郎さん (2)

11月14日(15日)の放送では前回に引き続き、義肢装具士の沖野敦郎(おきの・あつお)さんをゲストにお迎えしてお送りしました。

 

現在、パラ陸上を題材にした漫画「新しい脚で駆け抜けろ。」の監修に携わるなど、幅広く活動されている沖野さん。

所属している日本義肢装具士協会のプロジェクトで、アフリカ・トーゴの義足アスリートに東京2020パラリンピックに出場してもらおうという企画が進行しているといいます。

トーゴを訪れ競技用義足を作り、初めて競技用義足というものを経験した選手。

せっかくだから、100mのタイムを計測してみよう!ということになりました。

しかし、陸上競技場の数が少なく、どうにか探したところは一般的な競技場とは違い地面がアスファルト。こけるととても痛いうえに底にピンの付いたスパイクは使えないため、普通のシューズで走ったそうです。

競技用義足に慣れていないので最初は36秒ぐらいかかりましたが、無事に完走!

「すごく喜んでもらいましたね。表情でわかりました。初めて走った時のあの笑顔、言葉はいらないです」と、その日のことを沖野さんは満足そうに思い返していました。

 

沖野さんは、義足の方を対象に、東京・新豊洲にあるランニングスタジアムで「ランニング教室」を行っています。

「走るのは楽しいから一緒にやってみない?」というようなノリで、義足の方ならどなたでも気軽に参加できる教室です。

日常用の義足で走れなくはないけど大変、スポーツ用義足を持っていないので靴をスポーツシューズに履き替えるように簡単にはいかない…etc.

そんな心配をされている方もいらっしゃると思いますが、こちらのランニングスタジアムには「ギソクの図書館」があり、1回500円でパーツをレンタルすることができます。

「ギソクの図書館」のランニング教室の時には、競技用義足での走り方を沖野さんに直接教えてもらえるほか、義足のアスリートが教室に参加してお手本を見せてくれることもあるそうです。

 

ランニング教室について、詳しくは「ギソクの図書館」とインターネットで検索するか、沖野さんが所属している会社「OSPO(オスポ)」とURL に入力すると「オスポ(オキノスポーツ義肢装具)」のHPにいくので、その中の「ブログ」で日程を確認し連絡をしてください、ということです。

義足の方ならどなたでも参加できるということなので、ぜひ“走る”楽しさを感じてみてはいかがでしょうか?

 

最後に、上をめざして進もうとする方に伝えたい“Going Upな一言”を伺いました。

『現状維持は衰退以外の何ものでもない』

高校生のとき、陸上競技部の先生が話していたというこの言葉。現状維持というのは楽で、今までと同じルーティーンで今までと同じ生活をしていればいい。でも、世の中はどんどん進化していて、特に自分のようにモノを提供する仕事ではユーザーの希望がどんどん変わっていくなかで、自身もバージョンアップしていかなければ良い物が作れない、と沖野さんは話します。沖野さんの「知識欲」、向上心が表れている一言ですね。

 

沖野敦郎さんのリクエスト曲; Wake Me Up / Avicii(アヴィーチー)

陸上競技では午前中に試合があることも多いのですが、朝はやっぱり眠い。そんな時、テンションやモチベーションを上げて、選手と一緒に走っている気持ちになるためにこの曲を聴いているそうです。

 

次回のゲストは、陸上の高田千明選手です。

どうぞ、お楽しみに!