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2021年1月15日
パラアイスホッケー日本代表 信田憲司HC (2)

1月9日(10日)の放送では、前回に引き続き、パラアイスホッケー日本代表・信田憲司(のぶた・けんじ)HCにリモートでお話を伺いました。

 

冬季パラリンピックでパラアイスホッケー日本代表は、2010年のバンクーバー大会で銀メダルを獲得しました。その後、2014年ソチ大会では出場を逃したものの、2018年平昌大会で2大会ぶりの出場を果たしました。

日本代表アシスタントコーチとして臨んだ平昌大会。信田さんはこのように振り返ります。

「平昌で戦った相手は、パラリンピック予選や海外遠征では勝つことのできたチーム。一番勝たなければいけないところで結果を出すことができませんでした。いろいろな敗因が考えられますが、まずチームとして『平昌大会に出る』という目標を掲げていたことが一つのポイントです。実は、予選通過後の海外遠征では1試合も勝てなくて、その辺りから僕としては非常に不安視していました。ソチ大会に出られなかったので何としても平昌に出ることが目標でしたが、(パラリンピックに出場できたことで)安心感や達成感があったのだと思います」

 

結果、日本は8カ国中8位の成績に終わり、そこから次のパラリンピックに向けて、新たなチーム作りが始まりました。

しかしそこで厳しい現実を突きつけられます。

「平昌大会が終わった後に代表メンバーから8人の選手が引退して、残ったのは7人。そのうちの5人が45歳以上で、このチームをどうすればよいのか悩みました。45歳よりも下の選手たちが抜けてベテランの選手たちが残ってくれましたが、ハードなトレーニングはこの選手たちにはマッチしないのではないか、これ以上体力を上げるのは難しいのではないかと真剣に考えました」

 

それでも、平昌大会に出場したことが、新たな人材発掘の大きな要因になりました。

「平昌大会がテレビで放送されたことがきっかけとなり、パラアイスホッケーをやってみたいという選手がでてきて競技人口が増えてきています。それに、今続けている選手たちが他の競技の選手たちに声をかけてくれて人数が増えていることもあります。あともう一つは、“J-STARプロジェクト”(*)により7名の選手がパラアイスホッケーをやりたいと言ってくれました。そういったところから少しずつ人数が増えています」

*J-STARプロジェクト(ジャパン・ライジング・スター・プロジェクト)

将来オリンピック・パラリンピックを目指す、中・高校生や障がい者の夢を応援し、世界で輝く未来のトップアスリートを発掘するプログラム。※中高生が対象なのは、オリンピック競技のみ

 

パラアイスホッケーは男女混合の競技。

信田HCは「女子選手も一緒にプレーして日本代表になれるスポーツなので、練習環境を整えることで、女子選手にもパラアイスホッケーに参加してもらいたい」と話します。

また、氷上でスレッジ(ソリ)に乗ってしまえば条件は同じということで、国内のクラブ選手権には健常者もチームの一員として出場することができます。

ぜひ、興味のある方、ぜひ一度パラアイスホッケーに挑戦してみてはいかがでしょうか。

 

信田さんは2019年6月、日本代表HCに就任。

就任後、まず取り組んだのは「チームのプレースピードを上げる」ことでした。

もっともっとスピードのある速いホッケーをしなければ世界に勝てないと考え、スピードのあるチームを作るため動き出しました。

予選を乗り越えてパラリンピック出場権を獲得しなければならず、北京への道は「なかなか簡単にはいかない」と率直に話します。

それでも「残ってくれたベテラン選手たちがパラアイスホッケーのことを一緒に考えてくれている」ことが、現在の日本代表チームの強みだと胸を張ります。

加えて、平昌大会後にパラアイスホッケーを始めたいと若手選手が入ってきたことも明るい話題となっています。

中には、中学生の選手も2名いて、ポジションはフォワードとゴールキーパー。

「非常に筋が良い!」と信田HCは大きな期待を寄せています。

「今後、北京、その後のイタリア(2026年)のパラリンピックに向けて、この選手たちが中心となるチームになっていくのではないかと思っています」

 

現在、パラアイスホッケー日本代表が掲げる目標は、「まず北京大会でプレーするということ。そして、今度はパラリンピックに参加するだけではなく結果を出すこと」。

その上で、信田HCはこのような思いも明かしてくれました。

「平昌大会の後に残ってくれた選手の中で45歳以上の選手が5人いますが、僕個人としては、この選手たちになんとしても良い思い出を作ってあげたいという思いがあります。北京の後は指導者になったり引退する選手もいるでしょうし、プレーを続けてくれというのは難しくなるだろうと考えているので、良い結果を持たせてあげたいと思っています」

 

最後に、上をめざして進もうとする方に伝えたい“Going Upな一言”を伺いました。

『スポーツには人を変える力がある、街を変える力がある、未来を変える力がある』

今、勉強をしている「ワールドクラスコーチ」でいろいろな方が口にしているというこの言葉。

全くその通りだと共感する信田HCは、「我々がスポーツでできることがこのメッセージに込められていて、このメッセージをぜひ伝えたい」と話していました。

 

次回のゲストはボートの有安諒平選手です。

どうぞ、お楽しみに!

2021年1月7日
2021年もどうぞよろしくお願いいたします!

あけましておめでとうございます。

本年も「鈴木亮平 Going Up」をどうぞよろしくお願いいたします!

 

 

今年最初の放送では、来年2022年に冬季パラリンピックを控えるパラアイスホッケー日本代表の信田憲司(のぶた・けんじ)ヘッドコーチ(HC)にお話を伺いました。

 

1960年生まれの60歳。

北海道・苫小牧に生まれ、子どもの頃は寒さで道が凍るとスティックとパックを持ち外へ出てアイスホッケーで遊んでいたといいます。

小学5年生のときから本格的にアイスホッケーを始め、高校卒業後は実業団のアイスホッケーチームでプレーしました。

ポジションは、ゴールキーパー。初めて地元チームの試合を観た時、ゴールキーパーをしていた選手がとても印象的でゴールキーパーになりたい!と思ったそうです。

現役時代はアイスホッケー男子日本代表で世界選手権にも出場し、日本の守護神として活躍しました。

 

現役引退を考え始めたころ、チームから1年間選手兼任でコーチをしないかという要請があったと話します。

当時、信田さんは指導者について「自分(選手自身)で考えて、うまくなれば試合で使ってあげようという指導者が多い」という印象があったことから、ご自身が選手を指導するというイメージがわかなかったと振り返ります。

そのため一回は断ったということですが、ちょうどその頃、長野冬季オリンピック前の時期で、カナダからコーチが来たのです。

「指導者はすごくやりがいのある仕事だよ。指導の仕方を教えてあげるから一緒にやらないか」

カナダ人コーチのその言葉がきっかけとなり、指導者の道へと進むことを決めました。

 

その後、アイスホッケー男子U18日本代表やU20日本代表、そして女子日本代表HCを歴任。

2017年からはパラアイスホッケー日本代表アシスタントコーチを務め、平昌2018冬季パラリンピック出場にも大きく貢献されました。

そして、2019年6月、パラアイスホッケー日本代表HCに就任しました。

 

パラアイスホッケーに出会うきっかけとなったのが、日本代表の中北浩仁(なかきた・こうじん)前HC(現・理事長)との再会。

現役選手時代、カナダ・バンクーバーで4週間程のサマーキャンプに参加したとき、カナダ留学中の中北さんと出会い、ともに汗を流しました。

顔見知りだったおふたりは、数年前、パラアイスホッケー日本代表のトレーニング拠点となっている長野県岡谷市のリンクでばったり再開。それからしばらく経って、中北さんの仕事が忙しくなったことから「ちょっと手伝ってもらえないか」と声をかけられ、パラアイスホッケーの指導を行うことになりました。

 

初めてパラアイスホッケーを観た時の印象について、こう語ります。

「動きを見た瞬間に、これはアイスホッケーとほぼ一緒だなと感じました。やっているプレーとか動きを見て、こういうところを変えていくともっともっといいチームになるのではないかと思いました」

プレーヤーとしての経験、指導者としての経験も豊富な信田HCですが、ご自身のポジションでもあった“ゴールキーパー”を指導するのに苦労したと振り返ります。

「健常のプレーヤーはバックスケーティング(後ろに進むこと)が普通にできるのですが、パラアイスホッケーでゴールキーパーはそれができないので、その中でどうやって指導すればよいのか、バックスケーティングを使わないプレーというのを考える時間が多かったですね」

また、パラアイスホッケーは一般のホッケーと比べ、ストックすると動き出すまでに時間がかかるため、「できるだけ止まらない動きをしながらパスを回していく」ことが重要で、パスが少しでもずれるとスピードが落ちてプレーが遅くなるので、パスの精度も高めていきました。

 

「一番スピード感のあるスポーツ」だとアイスホッケーの魅力を語る信田HC。

指導者としてのこだわりを伺いました。

「もちろんアイスホッケーが上手になってもらいたいですし、チームのレベルを上げていきたいという思いがありますが、今までずっと指導者を経験して、スポーツで技術が上がったり結果がでることで、選手が人としても成長するのを見てきました。ですから、スポーツとしてもそうですけど、人としても選手たちと一緒に成長していきたいと思っています」

 

とても穏やかな表情で、アイスホッケーへの熱い想いを語った信田HC。

次回は、パラアイスホッケー日本代表について伺います。

どうぞ、お楽しみに!

2020年12月29日
卓球・岩渕幸洋選手 (2)

12月26日(27日)、今年最後のゲストは、前回に引き続き、卓球の岩渕幸洋(いわぶち・こうよう)選手でした。

 

最近は「ゴルフにハマっている」という岩渕選手。

ゴルフの動きで大事な、体幹を使って打つという意識が卓球にも生きていて、今後もいろいろな動きを取り入れていきたいと話しました。

 

2016年、大学4年生のときに自身初となるパラリンピック出場を果たし、大学卒業後はオリンピック選手も輩出している実業団チームに所属。現在はプロ選手として活躍しています。

プロの道を選んだことで、卓球との向き合い方も変わったといいます。

「プロとしてやることで、結果を出してどのように還元していくかということを考えるようになりました」

そして、チームに所属した当初は周りの練習についていくのが必死だったと振り返りました。

「一から卓球を作り直したというようなイメージで、例えば、バックハンドのラバーをより攻撃的なものに替えたり、健常者のトップ選手たちの技術を間近で見ているうちにどんどん気持ちも攻撃的に変わっていけたと思います」

 

その後、2018年の世界選手権ではシングルスで銅メダルを獲得するなど、世界の舞台で着実に実績を積み重ね、昨年8月に行われた国際大会「ITTF PTT ジャパンオープン2019東京大会」ではシングルスで銅メダル、団体では銀メダルを獲得しました。

パラ卓球の国際大会として日本で初めて開催されたこの大会、会場の雰囲気をどう感じていたのでしょうか。

「ふだんの国際大会はあまりお客さんがいないのですが、ジャパンオープンの時は多くの方が応援に駆けつけてくださって、プレーをしていて、やはりホームでやれるのは有利だなと感じることが多かったですね」

 

岩渕選手はSNSやYouTubeを通じて、パラ卓球の魅力を積極的に発信しています。

自身のYouTubeのこだわりについて、こう語ります。

「“パラ卓球の見方”というのを一番伝えたいです。僕自身はいろいろな方々に取材して頂いて発信する機会が増えてきましたが、実際の試合は僕と対戦相手がいて成り立つので、対戦相手の情報も事前に知って頂けたらと思っています。そうすることで、僕がどういうイメージでそういう戦術をとっているのか、というところまでより深く観ていただけると思いますし、パラ卓球の面白さがより伝わると期待しています。

僕がパラ卓球の世界に入って(自分以外のクラスにも)本当にすごい選手たちがいて、その中で戦えるということが誇りに思えたことだったので、それがみなさんに伝わると嬉しいです。YouTubeでいろいろな選手を紹介していきたいなと思います」

 

今年は新型コロナウイルスの世界的な感染拡大により、3月のスペインオープンを最後に試合から遠ざかっており、現在も国際大会開催の見通しが立っていない状況だといいます。

そんな中、先月11月23日に岩渕選手自ら企画し主催した「IWABUCHI OPEN」を開催しました。このイベント開催への想いを伺いました。

「試合がなくなってしまうと練習したことを試す場所がないので、練習はこれでいいのかと不安になってしまうことがあります。実際の緊張した場面で練習してきたことができるかを試したいという思いがありましたし、試合がないとどうしても多くの人の関心もパラ卓球から離れてしまうため、パラ卓球の魅力を伝える場にもなったらいいなと思って考えました」

当日は、リオデジャネイロオリンピック・銀メダリストで、現在、パラ卓球アンバサダーを務める吉村真晴選手と岩渕選手のエキシビションマッチがあったり、息を呑むようなパラ卓球の真剣勝負があったりと、まさに、パラ卓球の魅力がつまった見どころいっぱいのイベントとなりました。

イベントの模様は、岩渕選手のYouTubeで見られますので、ぜひ一度ご覧になってみてはいかがでしょうか?

 

これまで誰も経験したことがないような一年を振り返り、「充電期間になった」と語る岩渕選手。

一回試合から離れることで、「自分と向き合う時間ができた」といいます。

そして、見据える先にあるのは、東京2020パラリンピック。

改めて、東京2020大会での目標を伺いました。

「東京2020パラリンピックの目標は『金メダル以上』です。もちろん金メダルを獲るのは簡単なことではありませんが、僕は金メダルを獲ってそれで終わりにしてしまうのではなくて、パラ卓球の面白さだったりパラスポーツのすばらしさを発信できるような選手を目指してがんばりたいと思っています!」

 

最後に、上をめざして進もうとする方に伝えたい“Going Upな一言”を伺いました。

『絶対は絶対にない』

織田信長が残した名言として知られているこの言葉。岩渕選手は「“絶対にできないこと”は、絶対にない」と解釈していると話します。できないことがあった時、その方法ではなく違う方法で工夫したらできるようになるのではないか…と考え、何事にもあきらめずにチャレンジしていきたい、という強い思いが込められています。

 

 

今年2020年も、一年間「鈴木亮平 Going Up」をお聴き頂き誠にありがとうございました!

未曾有のパンデミックにより様々な変化を求められ、様々な想いや感情のなか過ごされた方も多いと思います。

それは、パラアスリートも例外ではありません。

しかし、そのような状況のなかでも番組を通して語られたパラアスリートの言葉に「逆境に負けず、気持ちを前向きに切り替えている」「とくにパラアスリートは逆境に強い」と、鈴木亮平さんは感じたと話していました。

2021年も、パラアスリートや関係者の方々の言葉や声を伝え、リスナーのみなさんの心に「何か」を届けられればと思っております。

 

くる年も、どうぞよろしくお願いいたします!

みなさま、良いお年をお迎えください。