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2月20日の放送では、前回に引き続き、車いすバスケットボールの香西宏昭(こうざい・ひろあき)選手にリモートでご出演いただきました。
香西選手の背番号は「55」。
子どものころ野球がすごく好きで、なかでも松井秀喜さんの大ファン。
それで、松井さんが現役時代につけていたのと同じ背番号を使用しているそうです。
その憧れの「55」がついたJAPANのユニフォームを着て、数々の国際大会に出場した香西選手。
特に印象に残っているのは、日本代表強化試合として3年連続で開催された「三菱電機 WORLD CHALLENGE CUP」だと話します。
「2018年の優勝はすごく嬉しかったですが、何よりも、毎回たくさんのお客さんが会場に観に来て、スティックバルーンで日本を応援してくださるという光景が、車いすバスケットボールの試合で見られるようになったのがすごく嬉しいことでした。子どもの頃から観ていたバレーボールの大会とか、そういうのを思い出すんです。ああ、この中で試合ができてすごく光栄だな、幸せだなって思いました」
鈴木さんも試合会場を訪れ日本代表を全力で応援しました。
香西選手の話に大きく頷きながら、「2018年の大会で日本が全勝優勝した時は本当に盛り上がっていましたし、選手たちも輝いていましたよね!」と、歓喜の渦に包まれた会場の様子を思い返していました。
世界選手権やアジアオセアニアチャンピオンシップスをはじめとする国際大会で経験を積み重ね、東京2020パラリンピックに向け最後の追い込みに差し掛かった2020年3月。
パラリンピック開幕まであと5ヶ月というタイミングで、新型コロナウイルスの世界的なパンデミックにより状況が一変しました。
東京2020大会の1年延期について、香西選手は、2つの思いがあったと語ります。
「選手としての自分は、延期はちょっときついなというふうに思っていました。リオパラリンピックで悔しい思いをして東京にすべて賭けようと思っていて、正直、東京大会の後のことはあまり考えられていないんです。がんばらなきゃいけないのがまた1年延びるのかと思うと、体は大丈夫かもしれませんが、メンタル的にやれるのかと一瞬よぎってしまう自分がいました。
もう一つは、いち人間としての自分で、『そりゃ延期だよな』とも思ったんです。世界的にパンデミックでたくさんの方が亡くなっている中、オリンピック・パラリンピックをやるとは言えない・・・冷静な自分と、選手としての自分の2つの捉え方がありました」
昨年春の外出自粛期間中は、体育館も全く使用することができなかったため、家でトレーニングができるように器具を揃えたといいます。
新型コロナウイルスがどういうものかわからず、外に散歩に行くのも「怖い」と思っていたと胸の内を明かしました。
その頃は、競技に対するモチベーションも下がっていたと話します。
「モチベーションが下がるのも仕方ないなと思うようにしていました。無理に上げる必要もないなって。またバスケットをできるようになれば勝手に上がるだろうと思って過ごしていました。なので、モチベーションが下がってしまった時期は、バスケットの動画を見ることができなくなってしまったんです。見るとウズウズしてバスケットをやりたくなってしまいそうで、そうなるのが怖かったりもしました。バスケがしたいのにできない、みたいな状態になるのが嫌だったので、あまり見ないようにしていました」
久しぶりに練習を再開した時、バスケットボールは香西選手の「五感」に響きました。
「ああ、ダムダムの音っていい音だなって。ダムダムの音、ボールがゴールネットに入っていく音、ゴールが外れた音でも、そうだそうだ、こんな音してたなって。ボールが入った後のネットの動きだったり、そういうのを見ていると、ああ、こんな感じだったなって。シュート打つのってこんなに疲れたっけ、みたいなこともありました。忘れていた“バスケットボールが楽しい!”という感情を思い出すことができました」
その感覚や感情に刺激され、モチベーションも「ぐんぐん、ぐんぐん上がっていった」そうです。
12歳で車いすバスケットボールに出会い、アメリカ留学やドイツリーグでのプロ選手活動と、自分の道を切り拓いてきた香西選手。
前に進む“原動力”となっているものとは?
「うまくなりたい、成長していきたい、という気持ちはずっと持つことができています。それが原動力だと思っています。趣味みたいな感覚かもしれませんが、もっともっとうまくなりたい、勝ちたいっていう思いがあって、もしかしたら子どもの頃とあまり変わっていないかもしれないですね」
そして今後の目標については、「『東京2020パラリンピックで金メダルを獲る』という目標でリオ大会以降進んできています。もうそこに向かうのみだと思っています!」と力強く語りました。
最後に、上をめざして進もうとする方に伝えたい“Going Upな一言”を伺いました。
『階段を上るように一歩ずつ成長しよう』
13歳の頃に出会い、香西選手が恩師と呼ぶマイク・フログリーさん。来日したマイクさんが別れ際に空港で、紙ナプキンに階段と右上に上がる矢印を描いてこうおっしゃったといいます。13歳だった香西選手に「イリノイ大学に来ないか」と話し、本当にイリノイ大学に来る気があるならば、勉強もがんばる必要があるよと話したそうです。「課題や目標に向かって、2段跳び、3段跳びはなく、一歩ずつ一段ずつでいいからひとつずつ着実に上がっていこう」今でも心に残っている、大切な言葉だということです。
次回のゲストは、陸上の中西麻耶選手です。
どうぞ、お楽しみに!
2月13日放送のゲストは、車いすバスケットボールの香西宏昭(こうざい・ひろあき)選手。リモートでご出演いただきました。
32歳にして競技歴20年の香西選手。
12歳のときにクラブチーム「千葉ホークス」の体験会に参加したことが、車いすバスケットボールを始めるきっかけとなりました。
実は、競技をやり始めた頃は「あまりバスケットボールが好きではなかった」といいますが、競技用車いすが日常生活で使っている車いすよりも速く走れたり、くるくるターンができて、それだけでも楽しかったと当時を振り返ります。
その数年後、高校時代には日本選手権で2度のMVPに輝き、日本代表として出場したU23世界選手権では銀メダルを獲得、大きな存在感を示していきます。
そして、高校卒業後にはアメリカの大学に進むため単身渡米しますが、出発の1週間前から食事が喉を通らないほど不安で、日本を発つ日には空港でびやびや泣いたそうです。
そんな不安を跳ね除け、アメリカで2年半、留学生用の英語プログラムを受け、晴れてイリノイ大学に編入。バスケットボールの練習もふだんの生活も授業もテストも、英語漬けの毎日を過ごしました。
正式に大学生になる前は、練習生という形で練習に参加することができましたが、試合に出場することはできず、悔しい思いをしていたといいます。
その悔しさを晴らすかのように、全米の大学リーグに出場すると快進撃が始まります。
全米大学選手権優勝、そして、個人では2年連続で全米大学リーグのシーズンMVPを受賞。
「毎日、朝練をして授業に出て、合間に筋トレをして。アメリカの大学は宿題も多くて、空いている時間は宿題に費やすか筋トレか、みたいな感じであっという間でした。今考えると『充実』という言葉が一番合う6年間でしたね」
イリノイ大学に留学するという大きな目標を抱くようになったきっかけは、13歳の頃、車いすバスケットボール界で世界一のコーチとして名高いマイク・フログリーさんと出会ったことでした。
大学在学中にマイクさんの指導を直接受ける中で、プレーだけではなく選手として姿勢も学んだと語ります。
プレーにおいては、バスケットボールの基礎的な部分をはじめ、ひとつひとつのプレーの細部にまでこだわること、ひとつのフェイクがどれだけ大きく次のプレーの影響に与えるか…等、多くを学びました。
なかでも、マイクさんから言われたある言葉が心に刻まれていると話します。
「ふだん生活をしている自分の姿は、コートの自分に反映される」
例えば、レポートをこれぐらいでいいかなと提出する人は、バスケットボールにおいてもこれぐらいでいいかなという選手になるということ。
成績が良いか悪いかは別として、どれだけひとつのレポートと向き合ったかということが大切なのでは、と香西選手は考えたそうです。
「迷いそうになったり甘えてしまいそうになる時は、マイクさんの言葉を思い出して過ごすようにしています」
そうして大学を卒業した香西選手は、ドイツでプロ選手としての道を歩み始めました。
「びやびや泣いてアメリカ留学に行きましたが、卒業が近づくにつれて、どこか他の国でやろうと思うようになりました。(アメリカでの経験によって)免疫が付いたというか。ヨーロッパにはプロ契約を結んで車いすバスケットボールをやれる環境があるというのは、ヨーロッパで活躍する先輩選手たちのSNS等を見て知っていたので、僕もそこに行くのが自然になっていました」
大学卒業が近づきチームを探す中で、ドイツ・車いすバスケットボールリーグに所属するハンブルグのチーム(BG Baskets Hamburg)とコンタクトを取ることになりました。
当時のBG Baskets Hamburgは、1部と2部を行ったり来たりしているようなあまり強くないチームでしたが、ちょうどその頃ビッグスポンサーを得られたことで「5年後にはドイツチャンピオンになりたい」という目標を掲げていました。
率直にその目標に共感し、自分もチームと一緒に成長できたら面白いのではないか、と思い、チームへの加入を決めました。
ドイツリーグでの挑戦を始めた2013年には、すでに日本代表として北京、ロンドンのパラリンピック2大会を経験。
そして、前回の2016年リオ大会は日本代表の副キャプテンとして臨みました。
香西選手はリオ大会での戦いをこのように振り返ります。
「(リオでの戦いを表すと)『後悔』という言葉でしょうかね。北京、ロンドンの大会の時はチームの中で最年少で、周りに先輩方がいる中で思い切ってプレーするっていうだけだったんです。でも、リオ大会では初めて副キャプテンという役割を頂いたり、藤本怜央(ふじもと・れお)選手と一緒にダブルエースと言ってもらったり、チームの中でもそういう位置づけになっていて、本当の意味で初めてパラリンピックに出たような大会だった気がします。
僕たちの目標は6位以内でしたが、チームの状態もすごく良かったですし、もしかしたらベスト4ぐらいまでいけるかもしれない、と思って臨みました。結果、予選ラウンドも突破することができず、負け続けていく中、どうにか次の日の試合に向けて切り替えなければいけない、みたいな毎日が続きました。まだ試合はあったのですが、予選ラウンドを通過できなくなった時に、『あぁ終わってしまったな、目標は達成できなかった』『このままでは東京2020大会で自分が日本代表に選ばれることも本当にありえない』と思ったんです。とにかく焦燥感だったり、後悔だったり、もっとできたのでないかとか、そういうのを感じることができたのがリオでした」
このリオでの経験と思いが、東京2020パラリンピックへとつながっていきます。
この続きは次回、たっぷりと伺います。
どうぞ、お楽しみに!
2月6日(7日)の放送では、引き続き、馬術の稲葉将(いなば・しょう)選手にリモートでお話を伺いました。
昨年11月、東京2020大会の馬術競技会場となる馬事公苑で「第4回全日本パラ馬術大会」が無観客で開催されました。
稲葉選手はこの大会で、前回大会に続き「グレードⅢ」クラス(※)の 3部門で優勝を果たしました。
※パラ馬術では障がいの程度により5つのクラスに分かれて競技が行われる。グレードⅢは真ん中のクラスにあたる。
大会に出場するときには「自己ベストの得点を常に狙うこと」「メダル争いのひとつの基準となる得点率70%を獲得すること」を掲げて臨んでいると話します。
今大会に向けた練習では愛馬・カサノバ号に良い感触で乗れる時間が増えていたので、練習に近い状態が本番でも出せれば、難しさはあるとはいえ70%というのは出せない得点ではないと思っていたといいます。
しかし実際の試合では、「東京2020パラリンピック本番の会場である馬事公苑の雰囲気と久しぶりの試合という緊張感でどうしても力が入ってしまった」と振り返ります。
目標だった得点率70%には届かず、一番点数の良かった種目でも67%後半に終わり、「馬の調子はすごく良かったが、練習場と試合会場とで変わる馬の状態に(自身の緊張によって)うまく合わせることができなかった」と課題を口にしました。
優勝しても「満足はしていない」と語る稲葉選手は、「僕が目標としているのは馬術の本場といわれるヨーロッパの選手たちと対等に戦えるような選手になりたいということ。そこに行くにはまだまだやることがあるというのを痛感させられた」と続けました。
それでも、東京2020大会本番の会場を一回経験できたのは「大きな財産」だったと前を向きました。
昨年、東京2020大会の1年延期が決まった時には「2020年に向けて準備をしていたので少し残念だという気持ちはあった」と率直に語ります。(昨年春の)外出自粛によりパートナーの愛馬とは2カ月半触れ合うことができず、「すごく寂しいし不安な気持ちになった」といいます。
それでも、自宅ではバランスボールを使ったトレーニングをするなど、「東京オリンピック・パラリンピックがあるなしに関わらず、日々自分がうまくなるためにはどうしたらよいかを考え、そこに対するイメージトレーニングは欠かさずしていた」と話します。
競技歴としては長くないため、現在では、東京2020大会が延期されたことでまた一年練習できる時間が増え、より世界のトップ選手と対等に戦えるチャンスや確率を上げることができたとポジティブに捉えています。
そして、自身のホームページを立ち上げたり競技生活の基盤を整える活動もこの期間だからこそできたことだと、充実感をのぞかせました。
学生からベテランまで、幅広い年代の選手に親しまれているパラ馬術。
稲葉選手はどのような選手を目指しているのでしょうか。
「第一線でできるだけ長く活躍できるような選手になりたいというのが目標のひとつです。でも競技生活を続けていくにはなかなか厳しい環境というのもあるので、成績はもちろんですがいろいろな形で情報発信をしていきながら続けていきたいと思っています」
馬術ではこれから東京2020パラリンピック日本代表の選考が行われます。
改めて、東京2020大会にかける思いを伺いました。
「まずはパラリンピック出場をしっかり決めて、まだパラ馬術競技では日本の選手でメダルを獲得した選手がいないので、日本人メダリストの第1号になれるように、残りの期間練習をして万全の状態で臨めるようにしたいと思います!」
最後に、上を目指して進もうとする方に伝えたい“Going Up な一言”を伺いました。
『 Always try to be better than used away 』
昨日より今日、今日より明日という気持ちで、日々ひとつでも良いポイントを増やせるように練習に励んでいるという稲葉選手。よくコーチから言われるこの言葉を大事にしてコミュニケーションをとりながらレッスンを受けているということです。