• Facebook
  • Twitter
  • LINE

ノルディック複合の元日本代表・荻原次晴が語る双子の兄・荻原 健司への想い

  • LINEで送る

今回のゲストは、
ノルディック複合の元日本代表で、
引退後はスポーツキャスターとしてもご活躍!

荻原次晴さんです!



【荻原次晴さんのプロフィール】

荻原さんは、1969年、群馬県草津町(くさつまち)生まれ。
小学5年生からスキージャンプを始め、
双子の兄・健司さんとともにノルディックスキー複合選手として頭角を現します。

1994年からワールドカップに参戦。
1995年の世界選手権では、団体金メダルを獲得されました。

1998年は、念願の長野オリンピックに出場、
個人で6位、団体で5位入賞を果たされました。

長野オリンピック後に現役を引退、
現在は、スポーツキャスターとして活躍されながら、
ウィンタースポーツをはじめ広くスポーツの普及活性にも取り組まれています。


-小学5年生から始めた?
僕はおっそい方でした!
怖かったですね〜・・・。
15メートルくらいの小ちゃなジャンプ台だったんですけど、
やっぱり怖かったですね〜!

−楽しさを実感できていた?。
3歳からゲレンデスキーをはじめて、
あらゆる斜面をスイスイ滑れるようになっちゃって!
スキー場のコブを超えてみたり、
深い雪のところを滑ってみても、刺激が足りなくなって、
だったらもっと刺激的なスキーはどうか!
そんな時に友人からジャンプを勧められて、
行ってみたらすっごく怖かったんですけど、
まだ子供ですから、恐怖心よりも好奇心の方が
旺盛な時ですから、怖いながらにも楽しかったですね〜!

−クロスカントリーはいつ始めた?
中学生になった時に、
コーチからジャンプとクロスでやる複合というものがあるんだ!
そっちで頑張れば全国大会に行けるかもしれないぞ!
とコーチに勧められて始めたんですけど、
いやでいやでたまらなかったです!走るのが!
辛いし、苦しいし・・・。
外は寒いのに汗だくになるし・・・。
でもいやいやながらやっているうちに、
楽しくはないんですけど、成績が出てきちゃったんですよ!
中学3年生になった時には、全国大会で、
双子の兄・健司が優勝して、僕が2位になったりして、
ノルディック複合の選手として、成績が出て、
このままやっていくのかな〜となっていきましたね!

−いつ世界を意識?
初めて国際大会に出たのは、高校2年生の時!
イタリアで行われたジュニアの世界選手権があったんですよ!
健司がそこそこ頑張って15位くらいになって、
僕はほとんどビリだったんですよ!
その成績から、僕はもう国内だけでいい!

レベルが違うと思ったんですけど、
健司が凄い本気になっちゃったんですよ!
その健司が一生懸命やる姿を見て、
俺もやるのかな〜とういう感じで、
その後はノリでついて行ったって感じですかね〜・・・!



そんな荻原さんに、金子がより突っ込んで聞いていくコーナー!
『金子の深堀り!』

-兄弟で違う競技は考えなかった?
それも考えたんですよ!
92年に健司が金メダルを獲得した時に!
健司が金メダリストで有名になったなら、
僕は違う方法で有名になってやるぜみたいなのがあったんですよ!
僕も健司もスキーを始める前に、体操の選手だったんですよ!
バク転だったり、宙返りだったりできたので、
それを生かして有名になれないかなと。
今もそうですけど、ジャニーズさんとか有名だったんで、
ジャニーズに入れないかなとか・・・笑
色々考えたんですけど、僕もスキーをもう一度、
一生懸命やるのが一番の近道じゃないかなと思い、
スキーを選びました!

-お兄さんとの埋められぬ大差は感じていた?
埋めがたい大差を感じながらも、
本気になれば追いつけるんじゃないかなという
甘い気持ちもありました!

-兄に届かないと気づいたのは?
健司が世界の大会で勝ちまくっていた時ですかね・・・。
その頃は、僕も割と頑張っていたんですよ。
でも、全然一等賞が取れなくて、
どうにか二等賞に届く時はあったんですけど、
その時は必ず健司が一等賞でしたね!
その差がやっぱり埋められなかったですね!
しかも、ほぼ同時の1位2位じゃなくて、
いつも健司がダントツでゴールしていて、
僕がかなり遅れての2位なんですよ!
その時はこいつスゲエな・・・。
もう無理だ、無理かもしれないみたいなのはありましたね!


-同じトレーニングをしていた?
同じトレーニングをしてました!
でも、健司の方が一番苦しいときの
粘りみたいなのがあったと思います!
限界なんかとっくに超えているよというのが健司でしたね!

-お兄さんにとって、弟に負けるのは屈辱だったのでは?
それはあると思うんですよ!

そのきっかけが中学1年生の時に、
僕が全国大会に行ったんですけど、
健司は行けなかったんですよ!
僕は後に、聞くことになったんですけど、
その経験が健司を変えたらしいんですよ!
そんな昔の悔しいことをずっと忘れずに、
健司はやってきていたんですよ!


そんな荻原さんが今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?
『次晴は有名になんか、ならなくていいんだよ。』

うちのお袋から、健司が金メダルを取った直後に、
言われた言葉ですね。
オリンピックの後、テレビの取材や、
全国の親戚などが訪ねてきて、本当に大変だった。
そういうことに、お袋は凄い疲れちゃって。
そういう時にポロっと僕にかけた言葉。
お袋の喜びを超えた悲しみを感じて、
息子として可哀想に思った。
でも、俺も有名にならなきゃ行けないんだ。
お袋の優しさを感じながらも、心の中ではそう思っていましたね・・・。


〜〜〜〜お知らせ〜〜〜〜
伊達公子さんと、金子達仁さんの著書
Date of DATE 伊達公子の日』 ¥1,500-(税抜き)
文藝春秋より2018年7月27日発売!
九年半のセカンドキャリアのすべてを綴る
三十七歳で現役復帰した伊達公子が四十六歳で二度目の引退をするまでの九年半の日々とファーストキャリアからの心境の変化を明かす。

テニスファンはもちろん、そうでない方も楽しめる一冊です!
是非、ご一読ください!
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163908014

聖教オンライン

ニッポン放送の番組一覧

他の番組を見る >