今回のゲストは、
日本初のプロライフセーバー、飯沼誠司さんです。
【飯沼誠司さんのプロフィール】
飯沼さんは、1974年、東京都のお生まれ。
3歳の時、持病のぜんそくを克服するために水泳を始め、
高校時代までは、背泳の選手として活躍。
東海大学では、ライフセービング部に入部。
すぐに国内の競技会で頭角をあらわし、
ライフセ-ビング競技の花形種目アイアンマンレースをメインに活躍。
大学卒業後は、オーストラリアが主催するアイアンマンレースの
ワールドシリーズ「ワールド・オーシャンマンシリーズ」に
日本代表として選出され、
日本人ライフセ-バーとして、初めてのプロ契約を果たす。
以降、全日本選手権アイアンマンレースを5連覇するなど、
数々の偉業を達成。
2006年からは「館山サーフクラブ」を自ら立ち上げ、
水難救助の第一線に立っている。
競技者だけでなく、2014年からライフセービング日本代表監督を務めるほか、
タレントとしても活躍中。
–意外にも身体が弱かった?
喘息もそうですが、アトピーとか、
内科、耳鼻科、毎日違う病院に通っていました。
高校の競泳部のときも、
あだ名は「もやし」でしたからね。
–水泳やってればマッチョになりませんか?
練習は負けず嫌いで頑張っていたんですが、
身にならないというか、記録が伸びなくて。
みんなが成長する段階でも身体が大きくならなったですね。
高校3年間で1秒しか伸びなかったんです。
–大学で飛び込んだライフセービングの世界はどうでした?
1年目から逞しくなって、筋肉もあっという間について。
筋トレは全然やらなかったんですが、
台風が来ても海に入って、荒れ狂う波に巻かれて、
自然のパワーを吸収しているような感覚でしたね。
1年で海で泳いでいるだけなのに、
高校3年間で出せなかった記録を競泳で出しました。
高校の時は、やっぱりやらされていたんでしょうね。
–ライフセービングの世界では壁はありました?
やればやるほど浜に立つ時の緊張感が増すんです。
1、2年の時は、トレーニングをしていても
平和なビーチで事故が起きなくて、
いつ事故が起きても俺は行けると思ってしまうんです。
でもある日突然、中学生が流された時に、
救助機材を持たずに、自分の身ひとつで行ってしまったんです。
足がつかない、台風のうねりが来ている、
それで中学生にしがみつかれて、溺れそうになってしまったんです。
先輩がボードで来てくれて、助けてくれて、
こういうことなんだなと、勉強させてもらいました。
–もしライフセーバーがいなければ亡くなる方は激増する?
日本には、海水浴場が1200箇所弱あるんですが、
250箇所くらいしかライフセーバーがいないんです。
やっぱり居ないところの事故は圧倒的に多いんです。
ライフセーバーがいるところで泳ぐことを
文化として根付かせたいですね。
日本人は、浜で空いているところを探しますよね。
海外は、まずライフセーバーを探すんですよね。
まず、海デビューする人は、
ライフセーバーがいるところで泳いでほしいですね。
−リクエスト曲は?
Booker T.の「Jamaica Song」
勝手に自分のテーマソングだと思っています。
これを聞くと、海に行けなくても癒やされます。
海に行きたくても行けない人に是非聞いてほしいですね。
そんな飯沼誠司さんに、金子がより突っ込んで聞いていくコーナー!
『金子の深堀り!』
−アイアンマンレースってどんなことをやるんですか?
一番花形の種目です。
「スイム」「ラン」「サーフスキー」「パドルボード」の4種目を
一人で行う競技です。
昔はレスキューカヌーと言うのがありましたが、
いまはサーフスキーという種目になっています。
今はトライアスロンと混同されてしまうので、
オーシャンマンと改名されました。
これらが発展してトライアスロンになったと言われています。
−波を読む能力も必要になってきますよね?
何分かに一回、大きな波の周期が来るので、
サーファーはセットと呼んでいるんですけど、
そのセットが何分に1回来るかを頭に入れつつ
パドリングしています。
−パドリングだけのレースもある?
モロカイチャンネルという究極のパドリングレースもあります。
世界一荒れているモロカイ島からオワフ島の海峡、
58キロをパドリングで渡ります。
僕も3回出たことがあります。
常にサバイバルですね。
−亡くなる方は居ないんですか?
途中リタイアは結構出てきますが、
波打ち際でものすごい波で浅瀬に叩きつけられるよりは、
沖で揉まれたほうが安全ですね。
−ライフセーバーのトッププロってどのくらい貰えるんですか?
僕がツアーを回っている時は、
スポンサードで1億円を超えている選手が沢山いました。
みんな賞金で食べていくよりは、スポンサードですね。
−どういう子がライフセーバーに向いているんでしょうか?
常に向上心があるというか、マインド的な話になると思います。
パドリングは野球経験者が上手かったりしますし、
走るのが早ければ、到達が早ければ、
救助は達成できますので、
水泳を全くやっていない人でも、
自分の強みを生かしてやれますね。
ベースとしては色んな経験がある方がいいと思います。
そんな飯沼誠司さんが今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?
『自分の道は自分で決めなさい』
これは、母親に言われた言葉です。
小学生の時に、水泳とサッカーをやっていて、
競泳は全国大会に出れそう、
サッカーもレギュラーでたくさん出ていて。
でも、毎週日曜日に大会がかぶって来て、
どっちつかずになってきて悩んでいる時に、
母親のその一言で決めました。
最終的には自分で決めたので、
1万メートルとかの練習で、辛くて妥協したくても、
自分で決めた責任のもとやっているので、
小学生ながらも責任を持って取り組めるようになったんですよね。
自分が経験したターニングポイントの言葉を
子どもたちにも伝えていますね。