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なでしこジャパンの元監督、佐々木則夫さんが上司に言われた言葉

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今回のゲストは、
サッカー女子日本代表なでしこジャパンを、
2011年のサッカー女子ワールドカップドイツ大会で優勝に導いた
佐々木則夫さんです。

 


佐々木則夫さんのプロフィール】

佐々木さんは、1958年、山形県生まれ。
帝京高校3年の時に、サッカー部のキャプテンとしてインターハイ優勝、
高校選手権では、ベスト4に貢献されました。
明治大学卒業後は、大宮アルディージャの前進となる、
電電関東サッカー部でプレー。
現役引退後は、大宮アルディージャの監督などを経て、
2007年にサッカー日本女子代表監督に就任。
2011年、女子ワールドカップドイツ大会では世界一に輝かれ、
FIFA年間表彰式で、
アジア人として初となる女子世界年間最優秀監督賞を受賞しました。
さらに2012年ロンドンオリンピック、
2015年女子ワールドカップカナダ大会では準優勝と見事な手腕を発揮。
2016年、代表監督を退任され、十文字学園女子大学副学長に、
また大宮アルディージャトータルアドバイザーに就任されました。

 



–地獄の帝京高校と言われるほど練習が厳しかった

行ってみたらですね。知らなかったんです。
小学生のときは人数が居なくて試合をやれず、
中学生のときはスキーで骨を折り、
試合の前に鎖骨を折って出れず。
それまでに順風満帆でサッカーをやっていたら
高校は公立高校で普通に楽しみながらやっていたでしょうね。
  
  
–帝京高校はどうでした入ってみて?
人数が多過ぎました。
1年だけでも最初に100人くらいいました。
2、3年合わせたら150人くらいですかね。
だんだん淘汰されていって、
夏の合宿を越えて初めて部員て感じですね。

  
 
–後の
名将、古沼貞雄先生はいかがでしたか?
サッカーの経験が無かったわけですが。
日大の駅伝部ですよね。
習志野高校や清水東高校へ試合に行くと、
念入りに学んで来んじゃないですかね。
変なジレンマが無くて、
いい指導者からいい情報を真っ白な状態で吸収してくるので
我々に伝える時にはストレートに伝わっていたんじゃないですかね。
あと、細かいことを言わないで考えさせる指導でしたね。
自分たちで考えることを要求されました。
  
 
–先生が大事にしていののは?

ぶれない基本、あと、ダッシュでも
少し早く出ようとする人とかいるじゃないですか。
そういうのは怒られるんです。
ターンする時にラインをちゃんとまたがないとか、
許さないんです。
ごまかしでやるな、基本をしっかり、
誠心誠意やれと言われましたね。
   
 
−リクエスト曲は?  

カノンの『明日への鼓動』
指導者になってからのモチベーションソングです。
この歌を聞いて、勇気をもらったり、
もやもやしていることを整理したりしていました。
選手にも聞いてほしいなと思って、
モチベーションビデオでも流していましたね。



そんな佐々木則夫に、金子がより突っ込んで聞いていくコーナー!
『金子の深堀り!』
 
  
−明治大学に進学されて、その頃のモチベーションは?
この頃は選手よりも指導者になりたいと思っていました。
教育者とか、それを意識してプレーしていましたね。
ボランティアで子供に指導をしたりしていました。
そういう場に身を置いて、
子どもたちに教えるのが得意なのか苦手なのか
見極めようとしていました。
 
 
−どうだったんですか?向いていました?
そうなんです、結構うけていましたし
子供を扱うツボは抑えていたので、
これはすごく合うんだなと確認しました。
   
 
   
−選手としてはご自身で見切っていたんですか
そうですね。
大学の後半は、指導者に目を向けていました。
どんなカテゴリーでもいいから携わりたいなと。
古沼先生もサッカー経験が無くてあれだけのことをやっていたので、
オレだってやれないことは無いだろうと。
あと、3年の時に古沼先生と二人三脚でインターハイ優勝、
選手権もベスト4と、凝縮した1年が僕のパワーになったので、
そこから指導者に目が向きましたね。
 
 
  
−2007年、女子の監督になるわけですが、抵抗はなかったんですか?
その時は、NTT関東の監督を終わって、
大宮アルディージャのユースの監督をやっていたときですね。
NTT関東の選手は、仕事をやりながらサッカーをやっている。
ユースの選手は、フィジカルが無い、でも真面目。
なでしこを見たら似てるんですよね。
フィジカルは無いけど真面目で、性格も良い。
これなら一助になれるかも知れないと思いましたね。
 
 
−当時はどのくらいまで行けると思っていました?
世界のベスト8までは行けるんじゃないかなぁと思っていました。
でも、東アジア選手権で優勝して、
彼女たちも、これ行けるかもと変わりましたね。
次の年にアメリカとやるんですけど、
0-2で2試合とも負けるんです。
でも、すごくいい内容だったんです。
それで自信が付き、アメリカは点を取るとトーンダウンすると。
それが2011年の決勝で、2度同点に追いついた場面に結びついたんです。
 


そんな佐々木則夫さんが今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?
『誠心誠意』
 
NTT関東にいたときの上司の言葉ですね。
社会人になった時に非常に学びがあったと思っています。
埼玉支店の広報にいたんです。
その時、課長が志として言ってたいのが、
誠心誠意何事も取り組めば絶対いいことがあると。
とにかく小さなことでも大きなことでも誠心誠意。
上司から学びましたね。

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