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ナックル姫・吉田えりさんの道を切り拓いた言葉とは?

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今回のゲストは、
日本初の女子プロ野球選手で
「ナックル姫」の愛称で脚光を浴びた
吉田えりさんです。

現在は、栃木県の社会人野球チーム、
エイジェック女子硬式野球部で
選手権監督を努めていらっしゃいます!


【吉田えりさんのプロフィール】

吉田えりさんは、1992年生まれ、横浜市出身。
小学2年の頃、2歳上の兄の影響で野球を始め、中学では軟式野球部に入部。
女子は1人だけでしたが、3年で内野手のレギュラーを掴んだ。
高校2年生だった2008年に、関西独立リーグのトライアウトに合格し、
ドラフト会議で7巡目指名を受けて『神戸9(ナイン)クルーズ』に入団。
日本球界ではほとんど使用されない変化球「ナックル」を武器とすることから
「ナックル姫」の愛称で一躍脚光を浴びた。
2010年からは、アメリカ独立リーグにも挑戦し、
史上2人目の女性の勝利投手となった。
2012年には、国内初勝利を挙げ、2017年、
栃木県の会社に新設された女子野球部の選手兼任監督に就任。
去年、独立リーグ時代のチームメイトと結婚。

 


–中学校で軟式野球部に入部されましたが、これって珍しいですよね?
正直、中学生になって女の子が野球をできる環境がなかったので、
続けられないと思っていたんです。
中学校1年生の時に仮入部で1回だけ野球部を見てみようと行ってみたら監督が女性の方。
元々ソフトボールをされていた方で、
保健室の先生がユニフォームを着てノックをしているんです。
それにびっくりして。それが嬉しかったですし、
やっぱり野球が楽しくて、初日で入部届けを出しました。


-野球部に1人だけ女子。関係を築くのは大変だったのでは?

中学生は思春期になってくるので難しかったですし、
私自身も中3になったら男の子は一気に身長が伸びてきて、
圧倒的にパワーが敵わなくなってきて、
それがなかなか受け入れることができませんでしたね。


-辞めようと思うことはなかったですか?
パワーで勝てないのは中学生に限らず、
高校生、社会人とずっとつきまとってくることなので、
何度も思うことはあったんですが、

それ以上に野球が好きだったんで辞められなかったですね。


-ナックルとの出会いは?
中学生の時に体力の差を感じて、
このままだったら野球をできる環境にないと悩んでいた時に、
中3の時に父が、メジャーのナックルボーラーの
ウェークフィールド投手を教えてくれて、
それまでナックルの存在を知らなかったんですけど、そこからですね。

-なぜナックルだったんですか?
父は、野球をやったことがないのであまり分からないと思うんですが、
ウェークフィールド投手の投げるナックルが105キロぐらい。
それなら女子でも投げられるんじゃないかって。
そこからお父さんとの試行錯誤が始まりました。
本屋さんに行ったり、ネットで調べたりして投げ方を調べて。
でも文章だけじゃ難しくて。
とりあえずやってみようと思ってお父さんとキャッチボールの日々が始まりました。
最初は無回転ってなに?った感じでした。


-なぜ続けられたんですか?
このボールでNPBに行きたいって思いました。
ウェークフィールド投手がこのナックルだけで、
メジャーで200勝しているって聞いて。
自分も単純なのでそれが投げられるようになれば
プロになれるかもしれないって思ったんです。


−リクエスト曲は?
lecca の「First Sight 」です。
独立リーグ時代に、入場曲をずっとこの曲にしていました。


そんな吉田さんに、金子がより突っ込んで聞いていくコーナー!
『金子の深堀り!』

−ナックルを習得するのにどれぐらいかかった?
結果的に自分はまだ習得できていないと思います。
実践で初めて使ったのは、高校2年生の時のトライアウトで初めて使いました。
高校生の頃は社会人のクラブチームに入っていたんですけど、
社会人は女の子は試合に出られないんです。
試合経験を積めなくてブルペンでバッターに立ってもらったりしかしていなかったんです。
どうやったら無回転になるのかっていうので、
上からじゃなくてサイドスローより少し下で投げるようになりました。

-手応えを感じたのはいつぐらい?
高1の冬ぐらいですね。無回転でちょっと動いたというか。
10球のうち1球あるかないかっていうぐらいだったんですけど、
それがちょっとずつ増えてきたので。
トライアウトの時はナックルしかないと思っていたので。
3日間あったんですけど、見ていた人が「変化したね」って反応していたので。
面白いねって多分思ってくれたのかなって感じていました。


-トライアウト合格の連絡がきた時はいかがでしたか?
正直、どういうところかっていうのを理解していなくて。
ただただ野球がいっぱいできる。
受かることで、自分が新聞に載っていたり、
注目を浴びているということが分かっていなくて。
合格の電話を聞いたときは純粋に嬉しかったです。
その時から“ナックル姫”って言われたんですけど、
誰がつけてくれたんでしょうね?


-周囲はどんな反応でした?
もちろん親にも相談したんですけど、自分で決めなさいっていうスタイルで。
自分のやりたいことを応援してくれるというか支えてくれるので。
反対する人はいなかったですね。自分自身の気持ち。
友達と別れることだったり、
家を離れることがいままでなかったのでそれは悩みました。
高校の野球部の監督に相談したら
「来年受かるかどうかは分からないよ」って言われて、
その一言は背中を押してくれましたね。


そんな吉田えりさんが今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?
『可能性はゼロじゃない』
誰かに言われた言葉ではなくて、自分の中で出てきた言葉なんですけど。
高校生の頃に独立リーグに入ってナックルが納得できるように投げられなかったんですけど、
そうやって挑戦することによって道が拓けて。
可能性ってゼロじゃないんだなって。
それがキッカケで色んな挑戦ができるようになりました。
怖いもの知らずとも言われるんですけどね(笑)


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