今週はホッピー65周年を記念して
改めてホッピー社の歴史を紐解いています
赤坂でラムネを作り始めた創業者の秀さんが
雪国なら冬もラムネが売れるよと言われて長野に進出
当時は、ノンビアと呼ばれる商品が流行していたけど
そんなものは、ラムネに毛が生えたようなものであって
ビアとは関係ないよ!と作らなかったそうですが
そんなある日、ラムネ作りをはじめた信州で
ホップ畑が広がっているのに出逢った秀さん
これを使えば ラムネ作りの技術を活かした
本物のノンビアが作れるかもとひらめいたそうです
そこから研究をはじめられたそうですが
何度も何度も試行錯誤を続けた結果
ホッピー発売までには20年以上の月日が必要となりました
忙しかったというのもあるかもしれませんし
戦争に突入したという時代の巡り合わせも重なったといえます
けれど敗戦で焼け野原になった東京の街で復興にガンバル人々が
粗悪なアルコールを飲む姿をみて、いまこそ本物の原料を使った
ノンアルコールビアを出して 人々を支えられればと
満を持して発売されたのですから
世に出るべき時に出るという運命だったとも、言えます。
そしてミーナさんが三代目を襲名した直後に起きたのが
東日本大震災というのも、ある意味宿命なのかもしれません
これからミーナさんが、そしてホッピー社が進むべき道を
みなさんも見守って頂ければ幸いです。
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