3月22日
■炎の男〜輪島功一(ボクシング)■
二度王座から陥落しながら、32歳で三度目のチャンピオンベルトを巻いた
ボクサー輪島功一。人呼んで「炎の男」。

32歳9ヶ月の世界王座は当時日本ボクシング界の最年長記録ではあったが、
記録よりもむしろ「記憶に残るボクサー」であろう。

樺太出身で中学卒業後に上京。運転手や土木作業員などで生活するうち、
ボクシングと出会い、25歳ときわめて遅い年齢でプロデビューした。
Jミドル級(現スーパーウェルター級)のランクの割にはリーチが短く、
アマチュア経験もなく、デビューも遅い。
とても世界など狙えるプロフィールではなかった男が世界の頂点に
立った軌跡はさながら大河ドラマのようだった。
イタリアのローマ五輪メダリストでJミドル級チャンプだった
カルメロ・ボッシに挑戦した試合の第5ラウンド、誰もが驚く技を見せた。
「カエル跳び」。一瞬、しゃがみこんで相手の視界から消え、
跳びあがりながらパンチを放ったのである。
リーチの短さを補うために編み出した技だが、
なめられたと思ったボッシは顔を真っ赤にして怒っていたという。
平常心を失なったテクニシャンを自分のペースに引きずり込んだ輪島は
15回判定勝ちでベルトを奪取した。

ボッシには悪ふざけと見られた「カエル跳び」だが、実際はかなり下半身を
強化しないとあそこまでの低い姿勢はとれない。
またリーチの短さを補うため、「鎌で槍に勝つ」といってストレートではなく
フックを磨いた。輪島のクレバーさ、創造性。そしてアイディアを自分の技に
していった鍛錬の成果が、「カエル跳び」に象徴されていた。


その後、輪島はアメリカのオスカー・アルバラードに奪われたベルトを
リターンマッチで奪い返したが、韓国の柳済斗に敗れて再び王座陥落。
32歳という年齢的にも、もう引退だと誰もが思った。

ところが、輪島は三度目のベルトを狙って、柳と再戦する。
その調印式の日に彼は大きなマスクをつけて現れた。季節は2月。
トイレで柳のマネージャーがいるのを横目にゴホンゴホンと咳をした。
柳陣営は「輪島は風邪を引いた」と油断したのである。
リングで向かい合った柳と輪島。青白い顔の輪島が目をあわせた瞬間、
にこっと笑う。柳はぎょっと驚く。この瞬間、輪島は勝ったと思った。
試合は15ラウンドKO勝ちで輪島が三度目の王座に返り咲いた。

ボクシングでは「リングには、逃げ場はあっても隠れ場所はない」といわれる。
ところが輪島はこの言葉を否定する。
「相手の打つタイミングをちょっとずらしただけで、
 隠れ場所はいくらでもできるんだよね〜」
なんとも形而上的な言葉だ。
相手のパンチの通り道から消えれば、実存しないのと同じということである。

引退後は団子屋の親父。テレビでは関根勤に物まねされるオモロイおっちゃんであるが、
本当はかなりクレバーな人なのだろう。

次男の大千(ひろかず)は父よりもさらに遅く25歳からボクシングを始め、
31歳でプロのリングに上がった。当初、プロになるのを反対した輪島だが、
「将来はジムを継ぎたい」という意思をくんでこれを認めたという。

炎の男の遺伝子がどんな形で発揮されるのか注目したい。







 
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