3月15日
■キックの鬼〜沢村忠■
「キックの鬼」沢村忠。
リアルタイムで知らない世代はアニメの主人公だと思っている人もいるようだが、
現実世界の格闘技のヒーローである。空手の全日本学生チャンピオンだった彼は、
その実力を買われてキックボクシングに転向した。
キックボクシングは新しい格闘技であり、プロモーターで野口ジム会長の野口修が
日本キックボクシング協会を立ち上げ、1968年にはTBSが全国ネットで週1回、
ゴールデンタイムに放送するようになった。

メインイベントは沢村忠VSタイの選手。タイから送られる刺客を最後は沢村が、
必殺の「真空飛び膝蹴り」で仕留めるというパターン。
沢村忠は東洋ミドル級(のちにライト級)のタイトルを19度も防衛し、
通算成績は241戦232勝(228KO)4分5敗。
必殺の「真空飛び膝蹴り」よりも、その前のキックが綺麗で、テレビ解説の
寺内大吉は「流線型の美しさ」と呼んだ。
沢村は顔もハンサムでスター性があった。1973年には日本スポーツ大賞を受賞。
プロ野球で三冠王を獲得した王貞治を差し置いての大賞獲得。
いかにキックボクシングが一大ブームを巻き起こしていたかがうかがえる。

沢村忠の強さを引き立てたのは対戦相手のムエタイの選手たちである。
梶原一騎原作の漫画では、こんな場面があった。
タイの子供が川で魚をとっている。竿も網も使わず、川の中を泳ぐ魚を蹴るだけ。
川から蹴りだされた魚が岸でぴょんぴょん飛び跳ねている。
子供心に「タイはなんて国なんだ」と震え上がったものだが、梶原一騎得意の
ギミックかもしれない。当時、ムエタイの猛者に負けた極真空手・黒崎健時は
「武器を使わずに素手で戦争をやったら、アメリカよりもタイが強い」と言った。
沢村はそのタイ人をばたばたと倒しまくった。

沢村忠に最後に勝った相手が20歳のチューチャイ・ルークパンチャマ。
これは強かった。沢村忠が失神して担架で運ばれたのだ。
それまで54連勝していた沢村がリングに沈んだ。子供たちは、ウルトラマンが
ゼットンに倒されて以来のショックを受けた。
しかし、沢村が負けることで逆にキックボクシングのリアリティーが増したことも
事実である。こんな強い選手がいるなら、なんで今まで来なかったのかという疑念
も生まれた。そのあたりはいまだに謎である。

翌年に沢村忠は現役を引退。リングネームを捨て、本名に戻った彼は自動車修理工
となり、やがて独立して、自分の自動車修理工場を営んだという。
素晴らしく強かったヒーロー、「キックの鬼」沢村忠の遺伝子は、今、
K−1などに確実に受け継がれていることだろう。








 
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