3月29日
■天才と秀才の両性具有・江夏豊投手■
江夏豊は伝説の宝庫である。
阪神、南海、広島、西武でプレーした18年間で数多くの逸話を残している。

球が速くてコントロールが抜群によく、その上、コンピューターのような頭脳を持っていた。
配球もいつの試合でどの打者にどんな配球をしたのか細かく記憶していた。
その記憶力に加えて観察力にも優れていた。バッターの構えを見て狙い球がわかったという。

あまりにも有名な「江夏の21球」も偶然じゃなく必然だった。
1979年の日本シリーズ第7戦、近鉄対広島。
9回裏、無死満塁から佐々木恭介を三振にとって尚も一死満塁の場面。
一塁走者は平野光泰だった。平野は江夏の一年年下で大阪・明星高校出身。
大阪学院の江夏は平野と何度も対戦している。
左投手の江夏がマウンドに立つと一塁走者と向かい合う形になる。
そのとき、平野がかすかに微笑んだ。それを見逃さなかった江夏は、スクイズを察知した。
それが、石渡の打席でスクイズ外しの伏線になった。
江夏は五感を働かせてあらゆるところから情報を取っていたのだ。

354個の三振を奪ってシーズン最多奪三振を記録した巨人戦でのこと。
江夏は新記録となる三振を王貞治から奪うつもりだった。
ところが計算違いで353個目の三振を王から奪ってしまった。
354個目を王から奪うためには、三振を取らずに打者を一巡させないといけない。
そこで江夏はどうやって三振にしないかを考えたという。
打たせて取るピッチングを続けた江夏だが、9番が投手の高橋一三だった。
ゴロを狙ってコントロールしても、高橋が三振してしまえば元も子もない。
驚くべきことに江夏は、高橋のバットの軌道を見て、そこに当たるように投球したというのだ。
「王から三振を奪うより、高橋に内野ゴロを打たせる方が難しかった」と述懐している。
目論見どおり、王から354個目の三振を奪った江夏。恐るべき技術である。

有名すぎる伝説としてオールスターゲームの9連続三振がある。
9人目の打者・加藤英司がファウルフライを打ち上げたとき、江夏が「取るな」と叫んだ
と言われる。捕手をつとめていた田淵幸一は「あれは<取るな>ではなく<追うな>だった」
と話している。江夏はフライが上がると瞬時にどこに落ちるのかわかったという。
ファウルがスタンドに入るのがわかったから「追うな」と言ったのだ。
晩年の江夏は打者が飛球を放った瞬間、打球の方向を見ずにスタスタとベンチに帰る場面があった。
打球の速度や角度で野手が取るかがわかったのだ。

野村克也楽天監督も「今、野球の話ができるのは江夏と落合だけや」という。
彼らはプロの中のプロ。彼らの野球はアカデミズムの域に到達している。

二宮氏は「江夏は天才と秀才の両性具有」だという。
長島茂雄は天才、王貞治は秀才。普通はどちらかなのだが、希に天才と秀才の両方を
併せ持つ選手がいる。それが江夏豊であると。
それは、江夏がとにかく野球が好きだったということに尽きる。
江夏は常にボールを握っていた。感触を忘れないために眠るときも握った。
広島時代、宿舎で同室になった衣笠祥雄がこんな逸話を語った。
江夏が布団に寝転がって天井にボールを投げる。また取る。
天井にボールをぶつけてはまた取って投げ上げ、何度も繰り返す。
衣笠が見上げると、天井にたったひとつのボールの跡が点になって残っている。
恐るべきコントロールは、こうした陰の努力で養ったものだった。
努力という言葉も違うのかもしれない。江夏はただ野球が好きだった。
やらされたわけじゃなく、ボールから離れられなかった。

今後、江夏以上の投手が現れるかという命題は、すなわち江夏以上に野球が好きな選手が
現れるかということを意味する。





 
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