12月21日
■サッポロの恋人〜ジャネット・リン《フィギュア》■
1972年、札幌冬季オリンピックのフィギュアスケートで
金メダルを取った選手は憶えていなくても、演技の途中で転んで尻もちをついた、
銅メダリストを記憶している人は多いだろう。

ジャネット・リン。「銀盤の妖精」「札幌の恋人」と呼ばれたアメリカのフィギュア選手である。
4年連続全米選手権を制した実力者であったが、彼女を世界的なスターにしたのは、
間違いなく、あの「尻もち」だった。

当時18歳のジャネットが転んだとき、誰もが「あーっ」と声をあげた。
大きな減点となる失敗にも顔をゆがめることなく、笑顔で立ち上がり演技を続けた。
競技者としての素晴らしさ以上に、愛嬌と無垢な笑顔がファンの心をとらえた。

その後、145万ドルという当時としては破格の契約金でプロに転向したが、
あのとき転倒せず、金メダルをとっていたら、あれほどの世界的スターになっていなかったかも
しれないと思うと、まさに「100万ドルの尻もち」だったといえる。

今ほど「美人アスリート」が取り上げられることは少なかった当時、
彼女の可愛らしさは際立っていた。赤い衣装が可愛らしかった。
少年少女向け雑誌の付録にもジャネット・リンのピンナップがあった。
当時12-13歳だった二宮清純氏も当時、壁にジャネット・リンのピンナップを貼っていた。
(壁にピンナップを貼ったスターはアグネス・ラムとジャネット・リンだけだったそうです)

ジャネット・リンは、札幌での転倒について、のちにこう語っている。
「あのときはさすがにがっかりしましたが、あの体験では金メダル以上に大事なことを学びました。
 誰でも人生なんてささいなことで挫折感を味わいます。そんなとき常にベストを尽くし、
 忍耐をもって努力すれば得るものはたくさんあります。たくさんの子供を育てながら、
 その思いは強くなります」
ジャネットは5人の子供に恵まれた。

あの頃と、今のフィギュアを比べれば、技術的には間違いなく今のほうが進化しているだろう。
しかし、当時の選手のほうが楽しんでいるように見える。
思わず唸るような大きな技はないが、ジャネット・リンの演技を見ると幸せな気持ちになれる。
札幌の選手村に書き残された彼女のサインの横には、
「Peace and Love」と書かれていた。
彼女はアスリートであり、表現者であった。「Peace and Love」を意識して演技していた。
36年前の牧歌的なフィギュアと比べて、今はどうだろうか。
技術は高度になり、採点は細かくなり、
選手はスポンサーやテレビ局などいろんなものを背負って演技している。
ジャネットリンのように幸せそうに演技をしている選手はいるだろうか。


(二宮氏のコメントより抜粋して構成しました)







 
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