11月18日
フェンシング 日本女子フルーレ 団体メンバー 菅原智恵子選手登場!
今週は『フェンシング』を取り上げます。
    
先月、ロシアのサンクトペテルブルクで行なわれた、フェンシング世界選手権で、
日本の女子フルーレ団体が、日本フェンシング界史上、オリンピック、世界選手権を通じて、
初めての銅メダルを獲得する快挙を成し遂げました。

今週はそのフルーレ団体のメンバーで、
銅メダルの立役者となった菅原智恵子選手にお話を伺いました。


山本:今日はよろしくお願いいたします。

菅原:はい。よろしくお願いいたします。

山本:メンバー(4人)の中では一番のお姉さんということで、
   リーダーシップを発揮しなければいけない責任重大な立場でしたね。

菅原:そうですね。
   一番年上なのでホントにみんなを引っ張らなきゃいけないっていうのは、
   普段から思っているので、それが出来て嬉しいですね。

山本:姉妹の中でお姉さんの元気がないと、妹たちが頑張れませんからね。(笑)

菅原:そうですね。(笑)

山本:菅原選手がフェンシングを始めたきっかけはどんなことだったんですか?

菅原:中学の時にソフトボールをやっていたんですが、
   その時にソフトボール部の先輩が先に高校でフェンシングを始めていまして…。
   で、その先輩に誘われて始めました。

山本:それまでフェンシングのことはご存知だったんですか?

菅原:全然知りませんでした。(笑)

山本:不思議ですね。そんな方が銅メダルを取るまでになってしまったんですね。

菅原:はい。(笑)

山本:最初は「何だコレ?」って、違和感があったんじゃないですか?

菅原:はい。構え方も特殊なんで、「ホントにこんなので競技になるのかな…」と。

山本:横から見るとガニマタちゃんですよね。(笑)
   最初見た時はびっくりしたんですけど、恥ずかしいって思いはありませんでしたか?

菅原:そうですね。ちょっと恥ずかしかったですね。(笑)

山本:それが今や日本を代表する選手になられたワケですが…。
   菅原さんは、サンクトペテルブルクでの世界選手権で、
   アテネオリンピックの金メダリストを破ったんですね。

菅原:はい。今思えば、そうだなぁ…って思います。

山本:試合前はどんなお気持ちだったんですか?

菅原:相手が金メダリストというのは全然頭になくて、
   目の前にいる戦う相手としか思わなかったです。

山本:武士道でいう無の境地だったのが良かったんですかね。

菅原:そうかもしれないですね。

山本:菅原選手は前回のアテネオリンピックではフルーレ個人で出場されていますけど、
   試合をする中で個人と団体では違うものですか?

菅原:個人だと勝った時に自分しか喜べないですけど、
   今回みたいに団体で勝つとみんなで喜び合えたっていうのが、すごく良かったので、
   出来れば団体がイイですね。(笑)

山本:個人で北京を目指すというのは?

菅原:前回、アテネに出ているんで、オリンピックの雰囲気も分かっているので、
   前回に比べたら緊張しないで出来ると思いますけど。

山本:菅原さんは高校で先生もしていたんですね。

菅原:はい。以前、やっていました。

山本:後輩たちの指導もしながら自身の技術の向上もはからなければならないので、
   忙しかったんじゃないですか?

菅原:高校生を教えて、高校生が頑張っているのを見て、
   逆に生徒から私の方がパワーをもらっていた気がします。

山本:自分も再確認ができたと。

菅原:そうですね。
   自分が(生徒に)言っていることを自分も見直さなきゃな、と思いましたね。

山本:変な話になりますが、防具を着ていると冬はイイですけど、
   夏は相当に暑いんじゃないですか?

菅原:もう相当暑いので、出来ればすぐに脱ぎたいっていうか、着たくないっていうか…。(笑)

山本:ダイエットしたい方にオススメかもしれないですね。(笑)

菅原:あ、そうかもしれないですね。(笑)

山本:さぁ、いよいよ北京へ向けてということになりました。
   現在、世界ランクは6位ですね。
   (北京へ行くには)4位まで上げないといけないということですが、
   北京へ向けて手ごたえはどうでしょうか?

菅原:今回の世界選手権でメダルを取れたということが自信になったので、
   あと2つ大会があるので、その大会で北京の出場枠を取りたいと思います。

山本:これからも女剣士たちの活躍を心より応援しております。
   今日はお忙しい中、ありがとうございました。

菅原:ありがとうございました。






 
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