• Facebook
  • Twitter
  • LINE

日本薬剤師会の山本信夫会長。文京区の老舗薬局屋さんの三代目!

  • LINEで送る

3月24日(日)の放送では公益社団法人日本薬剤師会の山本信夫会長をお迎えして「薬剤師になられたきっかけ」をお伺いしました。

淵澤 山本信夫さん。1950年生まれ、現在68歳。東京薬科大学卒業後、
             日本初の調剤専門薬局を創った「水野睦郎先生」から
             薬剤師のイロハを学び、1981年に保生堂薬局に入局。
            2014年から2018年まで国際薬剤師薬学連合の副会長を務められました。
            また2014年より社団法人・日本薬剤師会の会長に就任されました。

自見 この番組では、毎回ゲストの方に
          「子供の頃」のお話をお伺いしています。
            山本会長はどんなお子さんだったのでしょうか?

山本 本人はごくごく普通の子だと思っていたのですが、最近になって周辺の
            人に聞くと、とてもいたずら小僧だったと、言われます。

自見 育った場所は文京区?

山本 文京区の北の方で、坂を下りると北区や荒川区でした。
   少し歩くと日本医大や東大という地域なので割と静かな場所でした。
   生まれてからしばらくの間は昔の地域の自治体などが残っていた時代で
   近所の子の中で年上がリーダーになって何人も集まって遊んでいました
   その方々から今になって聞くと「お前はとんでもない、いたずら小僧
   だった」と。

自見・淵澤 (笑)

自見 部活やスポーツはされていましたか?

山本 高校、大学は写真部でした。
   みんなは明るい場所で活動されていましたが、
   私たちは暗い場所(暗室)で酢酸の匂いにまみれながら
            活動していました。
   
自見 おじい様の代から文京区で保生堂薬局をやられておられましたが、
   山本会長も、小さい時から薬剤師さんになろうと
            思われていたんですか?

山本 生まれた時から薬局の小僧ですから、自然とそうなってしまいました。
   今にして思うと、まあ選んで悪くはなかったのかなと思います。

自見 ご両親も薬剤師さん?

山本 はい。父も母も病院薬剤師から薬局を継ぎました。
   私はそこで生まれたので3代目を継ぎました。
   たぶん継ぐのが一番便利そうだ、
            というぐらいの想いだったのかもしれません(笑)

ニッポン放送の番組一覧

他の番組を見る >