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日本小児科学会の高橋孝雄会長。子供は本当に苦しい時、それを感じないチカラを持っている。

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1月13日(日)の放送では日本小児科学会の、高橋孝雄会長をお迎えして
4歳の時に亡くなられたお父さんとの想い出についてお伺いしました。

淵澤 簡単に高橋先生のプロフィールをご紹介します。
   高橋孝雄さん。専門は小児科一般と小児神経。
   1957年東京都のご出身。1982年慶応大学医学部を卒業。
   1988年からアメリカのマサチューセッツ総合病院小児神経科に勤務、
   そして、ハーバード大学医学部で、神経学の講師も務められました。
   1994年帰国し、慶應大学小児科で、医師、教授として
   ご活躍されています。そして去年の9月に、マガジンハウスより
   著書『小児科医のぼくが伝えたい最高の子育て』を出版されました。

自見 この番組ではゲストの方に子供の頃のお話をお伺いしています。
    
高橋 本にも書いたんですが、母子家庭で生活保護も受けていました。
   というと、辛い想い出があるのではないか?と思われますが、
   そんなことはまったくありませんでした。
   辛かったことは「体育の授業」です。

自見 淵澤 (笑)

高橋 休み時間の球技についていけない。

自見 淵澤 (笑)

高橋 算数や国語が出来て嫌われる。

自見 淵澤 (笑)

高橋 まあ嫌われはしませんでしたが(笑)

自見 高橋先生は4歳の頃に、お父様がお亡くなりになっているんですよね。

高橋 父との思い出は、一言で言うとほとんどない。
   写真が数枚あるだけ。
   ただ1点。亡くなる間近に私たち兄弟(弟さんと)
   父が病気で寝ている寝室で朝ごはんを食べようとした時に、
   反対した母に向かって父が「いいじゃないか!」と言ったんです。
   その一言が60過ぎの今でもなぜだか、残っている。
   たぶん、心のこもった父の一言だったんだと思います。

自見 そしてお母さまも素晴らしい方、なんですよね。

高橋 生活保護を受けていたのは、ずっと後になって知りました。
   そういえば幼い頃、母は小さな台紙の上に折り紙のような物を
   コテで張り付けていました。
   たぶんあれは内職をしていたんだと思います。
   あるいは、僕と弟が別々に暮らし、色々な家に間借りしていたのは、
   たぶんあれは父が死んだ直後だったんだと。
   振り返ってみると解るんですけど。
   これって子供のチカラだと思うんですね。
   本当に苦しい時、子供はそれをあまり感じないチカラを持っています。
   僕ら兄弟がそうやって育ってきたのは、
   母が僕らに苦労を伝えていなかったんだと思います。

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