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高山樹里さんのパワーになった柔道部の先生に言われた言葉とは?

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今回のゲストは、
ソフトボールの元日本代表で、
アトランタ、シドニー、アテネと
3大会連続でオリンピックに出場された
高山樹里さんです。


【高山樹里さんのプロフィール】

高山樹里さんは、1976年生まれ、神奈川県横須賀市出身。
小学1年でソフトボールを始め、埼玉栄高校から日本体育大学へ。
大学2年の時に、96年のアトランタオリンピック代表にチーム最年少の19歳で選出。
2000年のシドニーオリンピックではエースとして、
先発、リリーフとフル回転で5勝を挙げ、銀メダルを獲得。
2004年アテネオリンピックは、銅メダル獲得に貢献。
2009年からは、冬季種目のボブスレーで
バンクーバーオリンピックを目指しましたが代表落ち。
同じそり競技のスケルトンに転向。
2017年の大会を最後に、現役を引退、
現役は、社会人アメリカン・フットボールの支援や、
車椅子ソフトボールの指導者としても活躍。



–子供の頃からスポーツが得意だったとか?

スキー、柔道、水泳、ソフトボール…などなどやりましたね。
うちのお父さんとお母さんが色々やらせてくれて、
スキーは長野への旅行がてらやらせてくれました。

スキー2級、柔道2段、かなりレアですよね
スキーのバッジテストは、高校で取らないといけなかったので。
柔道は、中学3年の半年間、道場に通わせてもらって。
弟が黒帯を持っていて、私も欲しいと思ったので。
だから、中学3年の時は、水泳の練習をしながら柔道もやるみたいな感じでした。
高山家の家訓が、”自分がいい出してやったことは最後まで責任をもってやれ”と。
途中で投げ出すことが許されなかったので。

-いろんなスポーツをやっていた中で、ソフトボールでは特別な存在だった?
埼玉栄から声がかかるくらいですから。
いやいや全然です。中学の時にみんなで勝ち上がって
関東大会まで行って、
そこで見てもらったということが大きかったと思います。


-試合にはいつ頃から出ていたんですか?
1年のインターハイ予選から出してもらっていました。
経験としてですよ。そこから少しずつつ上がっていって。
ただ、実は、95年に世界ジュニア選手権があったんですよ。
それが自分の中での目標になっていましたね。

-急に世界が出てきましたね?
埼玉栄に感謝すべきところなんですが、
1年と3年の時に、海外遠征させてもらったんです。
そこでアメリカと対戦した時に楽しくて!
こんなスゴイバッティングをする人がいるんだって!
スゴイ人を見ると、そこに行きたいなと、
その世界に入りたいと思っちゃうんです。
アメリカに住んでこっちでやろうかなって思うくらい衝撃を受けて。
1年の時にそれを知ったので、また海外でやりたいなと。
世界ジュニア選手権に行きたいと心のなかで思いましたね。


-世界ジュニア選手権には行けたんですか?
行けました。嬉しかったですね。
エースは他にいて、私は2番手、3番手でしたけどね。
決勝でも投げさせてもらえて。
負けちゃいましたけど…。


−リクエスト曲は?
平井堅さんの「哀歌(エレジー) 」です。
切なくていいんですよ。試合前も聞いてます。
私、激しい曲ダメなんですよ。
試合前はオルゴールでもいいくらいなんで…。
癒やされるんですよね。


そんな高山樹里さんに、金子がより突っ込んで聞いていくコーナー!
『金子の深堀り!』

−シドニーオリンピックでは大黒柱でしたよね?高山で勝つという印象。
ソフトボールって先発完投が多いんですけど、
宇津木監督からやったことないリリーフも抑えも任されて。
だから、その練習もさせてもらいましたね。

-あの大会は、金メダルを取れると思っていました?
とにかく上へ上へしか見て無くて、
金メダルとかそういう感じでは無かったですね。
全勝で勝ち上がって、最後決勝敗けてしまった。
それは、日本に足りないところがあったと思ってます。


-決勝のアメリカ戦(延長8回サヨナラ敗け)に悔いはありますか?
ありますよ。やはり打たれたのはピッチャーの責任ですから。
レフトに打たれたのも自分のミスだと思いますし。
その前にフォアボール。
いままでストライクだったところに投げて、
それを審判が急にストライクを取らなくなったんですが、
そこに早めに気がついて対策すれば良かったと思います。

-宇津木さんは、レフトの選手を叱責したことに悔いがあるとおっしゃっていましたが?
聞いてました。あの時私は、監督の隣にいましたから。
「違います、監督」って言いたかったんですが、
その言葉が出なかったんです。
みんななんて言っていいか分からない時に、
宇津木麗華さんが「監督、それは違います。
 一人の責任じゃなくてみんなでやったことです」と言ってくれて…。
最終的にはみんなの責任です。

-届きそうで届かなかった金メダル、アテネへの思いも強くなりますよね?
ピッチャーからベースまでの距離やボールの変更もあって、
私は苦労しましたね。
上野投手とか速球派の投手にはそれほど影響はないんですが、
私の場合、ライズボールの上がり方が変わって
ボール判定になっちゃうので…。
でも、新しい球種を覚えたりして良かったなと。

-アテネへの自信は?
無かったかなぁ。やるべきことはやったんですが、
SARSの影響などもあって、海外遠征にも行けてなくて、
データ収集が出来なかったんですよね。
若手、中堅、ベテランが上手く噛み合ってなかったですね。
ベンチのムードも暗かったかな。
もう一歩上に行けたとは思うんですけど、
最低ラインをクリアしたって感じですね。
私の悔いはずっと残っています。一生。
オリンピックの借りはオリンピックで返さないと行けないんですけど。


そんな高山樹里さんが今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?
『1回目はまぐれ、2回、3回目は実力』
アトランタ行った時に、中学校の柔道部の先生に言われました。
弟の柔道の顧問で、私も仲良かったんですが。
その先生に、1回目はまぐれだから、2回、3回がんばれよって言われたんですよ。
それがパワーになりました。
2回、3回でないと周りは認めてくれないんだなって。
激励だったんだと思います。そこだけじゃなくて、先もあるよと。
もう他界してしまったんですが、
2回、3回の報告を出来てからよかったなと思います。


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