またまた放送作家の石井彰さん宛てのメールを載せてしまいます。

 

 

石井様

 

仙台から月曜日の夜に帰ってきました。

 

限られた時間で被災地を取材してきました。

 

青森から千葉まで500キロをゆうに超える、

被災地の「面」の広さのなかで、

私が見たもの伺ったものは、

「点」でしかありません。

 

石井さんがおっしゃる通り、

様々なラジオの人々が、

様々な立場で様々な思いで様々な時に、

「点」に入りそれをつなげて、

「面」にして行くことの必要を感じました。

 

取材をしながら現地のラジオを、

ずっと聴いていました。

 

東北放送では地震直後から、

地震、津波、そして安否情報を送り続けたと、

藤沢アナウンス部長に伺いました。

 

月曜日には石川太郎アナウンサーが、

いつもの時間にいつもの番組を久しぶりに、

立ちあげていました。

 

送り手と受け手がお互いに、

無事を確認しあう感じが伝わってきました。

 

いつもの「声」の大切さを思います。

 

帰りの東北道では、

ラジオ福島の大和田アナウンサーが、

原発の風評被害を訴え、

県民の健康を気遣うメッセージを、

送り続けていることを聴きました。

 

この仕事をしていながら、

ラジオのしゃべり手って凄いじゃないか、

ラジオっていいじゃないかと、

一人のラジオリスナーとして思ってしまいました。

 

「それにひきかえ何なんだお前は!」

てなもんであります。

 

名取市の避難所には、

大きなTVが設置されていました。

 

TVから離れたところにも多くの方々が、

寝起きをしています。

 

この環境でラジオは決して邪魔にならないと感じます。

 

東北放送の、岩手放送の、ラジオ福島の、茨城放送の、

FM各局の、そして多くのコミュニティーFMの、

声をお伝えするためにも、

ラジオは何台あってもいいと痛感しました。

 

携帯電話も何もかも失ってしまった方々に、

現地のラジオは想像力を最大限に働かせて、

番組を送り続けることでしょう。

 

ラジオ各局がラジオを集めてお送りすることは、

無駄なことではないのだと思った次第です。

 

まだまだ感じたこともあるのですが、

それはまた日々のラジオで、

お伝えしていきます。

 

微力と至らなさは仕方ないにせよ、

今はただ私に出来ることを、

日々やるだけであります。

 

上柳