至らぬことが多々あるなかで、
先週も生放送を担当しました。
山手線の内側の面積が、
6つにも及ぶ今回の大地震の災害は、
私の乏しい想像力をはるかに超えてしまいました。
「頑張ってください」とか、
「あきらめないでください」とか、
そんな言葉の虚しさを感じています。
一方で「悲しみ」と「奇跡」と「感動」を探して、
災害現場からの映像を探している自分がいますし、
「必要以上に不安を煽らない」ということを、
「不安げ」な顔で話し合う自分もいます。
被災されて今もなお、
厳しい状況にいる方々のことを思えば、
それがなんなんだということなのですが。
「不謹慎」「自粛」という言葉と、
「普段通りに淡々と」という言葉、
どちらの気持ちもわかる、
という曖昧さのなかで心は揺れています。
正解の見つからない中で言えることは、
すべてが繋がっているということ。
「計画停電」は被災地の方々のためでなく、
私達の住む地域の大規模停電を、
起こさないためです。
しかし私の住む地域の混乱は、
被災地の復興にも影響することでしょう。
ましてや「買占め」なんて・・・
すべてが繋がっています。
「自助」「共助」「公助」の言葉のように、
家族や隣近所や地域との繋がりが、
国の持てる力を被災地に集中するためにも、
そして自分が生き抜いてゆくためにも、
必要なことだと考えています。
福島原発の様々に関して、
私の住む関東地方の電力のために、
原発のある地域の方々に、
こんなにご負担をかけていたのかと、
いまさら気付かされました。
最悪の事態を想定することに対し、
「そんなことは絶対に起こらないのだから、
想定する意味などない」とした、
専門家の考えがまったく間違っていたこと、
もわかりました。
事故が起こってから、
あの手この手を試することは、
政治の世界にも私の仕事にもよくあることです。
「絶対」などということはなく、
また「絶対」が崩れさった時のことを、
常に想定することが必要なのではないでしょうか。
土曜日にイッセイ尾形さんと、
米倉斉加年さんの公演に行きました。
余震が続く中、
もしもの時は家族とともにいるか、
もしくはスタジオにいたいと正直思っています。
中途半端な場所で、
地震に遭遇したくないなぁということです。
しかし会場は日本橋三井ホールだったので、
何かあっても有楽町には行けると思い、
足を運びました。
「こんな時だからこそ、
自分たちに出来ることに努めたいです」
「公演の中から義援金をお送りします」
という言葉をしかと受け止めながら、
お二人の摩訶不思議な芝居を堪能いたしました。
終演後のコレド室町館内や日本橋界隈は、
節電のため灯りが消されていて、
かつて訪れた東南アジアや社会主義国の国々の、
街角のことをふと思い出しました。
今この状況で私たちにとっての、
「身の丈にあった生活」とはなんなのでしょう。
今すぐに答えは出ないかもしれませんが、
きっと程よき所が見つかるはずです。
様々な叱咤激励とご批判をいただきながら、
私は私なりに、ラジオにできることを、
模索しながら日々マイクの前に立ちたいと、
思っています。
ニッポン放送
上柳昌彦