阿部亮のNGO世界一周!
番組では、日本国内や世界各国で活躍するNGO(国際協力に携わる民間組織)を紹介。
NGOの代表や現地スタッフの方々をゲストに迎え、「なぜNGOに入ったのか?」
「現地はどんな悲惨な状況なのか?」
「どんな支援活動をしているのか?その成果は?」
「NGO活動の現場で目撃した現実とは?」「NGOは世界をどう変えたいのか?」
などの疑問に迫りつつ、世界を舞台に頑張っている日本人の姿を、
パーソナリティ阿部亮が紹介していきます。
番組ディレクター、イチオシの釜石港の写真。小雨降る中・・・歩いて(笑)
釜石取材第5弾・・・ということで、
12月も近くなり、ますます寒くて・・あったかい食べ物が恋しい~季節になりました。
お鍋、おでんもいいけれど、ちょっと手軽にすぐ、食べられるものと言えば ラーメン!!岩手県釜石市と言えば、水産業や製鉄だけではありません。
実は「ラーメン」も有名なんです。その名も釜石ラーメン。
釜石ラーメンが食べられるたくさんの店舗が釜石にはあるんです。
↑三陸・釜石の名物「釜石ラーメン」の味を35年守り続けている方がいらっしゃいます。(なんと屋台からはじめての年数です)
店名は「こんとき」さんで、店長紺野時男さん。
↓志村けんさんに似てる?顔立ちです。その紺野店長にお話を伺いました。
(営業中にもかかわらず、対応ありがとうございます!)
震災前は釜石市内の繁華街の雑居ビルに入っていた「こんとき」さん。
酔ったお客さんが〆にラーメンを食べる‥そんなお店だったそう
(当時は夜のみ営業)しかし津波で店舗は全て流されました。
「もう再開できない、やめよう」の思いの中、
常連のお客さんや沢山の支えがあって、2012年1月にお店を再開。
今はプレハブの仮設店舗50店の中のひとつとして営業されています。↑ 阿部亮さんと構成作家の西川氏。
お店に入った瞬間、なんとも言えないラーメンの茹でる香り、店長の紺野さん、笑顔で迎えてくれました。
そして店内には大きな布にいっぱいメッセージが書かれて飾ってありました。
震災から8か月後、商工会議所の依頼で「釜石ラーメンは元気だ」と
アピールするため、駒沢公園で開催された「東京ラーメンショー」に出店。
寄せ書きはその時に、お客さんに書いてもらったもの。紺野店長は
還暦まで地元の高校の野球部のコーチを勤めていたので、
当時の教え子たちがラーメンショーの運営を手伝ってくれたそう。
復興に関して今後の課題を伺うと、
景気のいい話をしたいが、まだ復興に向けて何も動き出していない状態。
釜石はまゆり飲食店街も、いつまであるかわからない、まだ先が見えない
とはいうものの、今は
懐かしいお客さんが顔を出してくれ、おかげさまで元に戻ってきた日常に
笑顔が絶えないとか。また地元の高校野球のコーチも長年勤めていたので、
教え子が常に顔を出してくれます。
紺野店長の中でいろんなことが変わっていきます。震災後
自分も頑張って釜石ラーメンを広めて、もっと人を集めたいと思ったこと。
釜石のために活気ある町を取り戻そうと
している彼らの感性、若い世代をこれからはずっと応援したいと。
本当に美味しい!釜石ラーメン。食べたあとももたれません(笑)
そしてもう一人の男性は・・・。
今回 阿部亮さんが宿泊された場所「陸中海岸グランドホテル」。
釜石湾にそびえ立つ7階のホテル。
7階の大浴場から見る釜石湾、本当に最高でした!!朝陽が眩しくて・・・
海沿いとうことで1階、2階は津波で壊滅的な被害を受けましたが、
3階以降はなんとか被害をまぬがれ、地元住民のために、避難所として開放しました。
震災のあった3月。まだ東北は寒く、そして高齢者も多い中、
身も知らない方とずっと避難所にいる、そんな苦痛をやわらげるため
をなんとか 手助けしたいの思いで
当時のお話をして下さった「陸中海岸グランドホテル」
営業統括部長の駒林さん ↓
野村克也さんに似ていますね!語り口も似ています(笑)
↑
駒林さんはなんと、こんときの店長の1期生上で違う高校で野球部だった方。
いろんなところでつながっている釜石の方です。
↑ 改装・改修され、綺麗になった1階のフロントカフェで収録中。
駒林さんのおはなしで興味深かったのは 「鉄の町」と言われた釜石最盛期。
製鉄業の方と水産業の方が 飲み屋で札束持ってお酒をがんがん飲んでいたことや、
最後はみんな熱くなってけんかを始めたことなど・・・
その豪傑ぶりはすごいの一言。草食系・・・と言われてる日本男子に聞かせたいおはなしですね(笑)