三陸・釜石取材の最後は釜石を見続ける60代男性2人を紹介します。:阿部亮のNGO世界一周! | 毎週月曜日 21:30~21:50 | ラジオFM93+AM1242 ニッポン放送

阿部亮のNGO世界一周!

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阿部亮

阿部 亮

北海道札幌西高等学校卒業。19歳で陸路を世界一周したことをきっかけに、2010年からニッポン放送「阿部亮のNGO世界一周!」のパーソナリティを務める。夕刊フジに毎週コラムを連載中。

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番組紹介

番組では、日本国内や世界各国で活躍するNGO(国際協力に携わる民間組織)を紹介。
NGOの代表や現地スタッフの方々をゲストに迎え、「なぜNGOに入ったのか?」
「現地はどんな悲惨な状況なのか?」
「どんな支援活動をしているのか?その成果は?」
「NGO活動の現場で目撃した現実とは?」「NGOは世界をどう変えたいのか?」
などの疑問に迫りつつ、世界を舞台に頑張っている日本人の姿を、
パーソナリティ阿部亮が紹介していきます。

インフォメーション

2013.Nov.21

三陸・釜石取材の最後は釜石を見続ける60代男性2人を紹介します。

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番組ディレクター、イチオシの釜石港の写真。小雨降る中・・・歩いて(笑)

 

 

釜石取材第5弾・・・ということで、

12月も近くなり、ますます寒くて・・あったかい食べ物が恋しい~季節になりました。

お鍋、おでんもいいけれど、ちょっと手軽にすぐ、食べられるものと言えば ラーメン!!岩手県釜石市と言えば、水産業や製鉄だけではありません。

実は「ラーメン」も有名なんです。その名も釜石ラーメン。

釜石ラーメンが食べられるたくさんの店舗が釜石にはあるんです。

 

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↑三陸・釜石の名物「釜石ラーメン」の味を35年守り続けている方がいらっしゃいます。(なんと屋台からはじめての年数です)

店名は「こんとき」さんで、店長紺野時男さん。

 

↓志村けんさんに似てる?顔立ちです。その紺野店長にお話を伺いました。

 

(営業中にもかかわらず、対応ありがとうございます!)

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震災前は釜石市内の繁華街の雑居ビルに入っていた「こんとき」さん。

酔ったお客さんが〆にラーメンを食べる‥そんなお店だったそう

(当時は夜のみ営業)しかし津波で店舗は全て流されました。

「もう再開できない、やめよう」の思いの中、

常連のお客さんや沢山の支えがあって、2012年1月にお店を再開。

今はプレハブの仮設店舗50店の中のひとつとして営業されています。

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↑ 阿部亮さんと構成作家の西川氏。

 

 

お店に入った瞬間、なんとも言えないラーメンの茹でる香り、店長の紺野さん、笑顔で迎えてくれました。

 

そして店内には大きな布にいっぱいメッセージが書かれて飾ってありました。

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震災から8か月後、商工会議所の依頼で「釜石ラーメンは元気だ」と

アピールするため、駒沢公園で開催された「東京ラーメンショー」に出店。

寄せ書きはその時に、お客さんに書いてもらったもの。紺野店長は

還暦まで地元の高校の野球部のコーチを勤めていたので、

当時の教え子たちがラーメンショーの運営を手伝ってくれたそう。

 

復興に関して今後の課題を伺うと、

景気のいい話をしたいが、まだ復興に向けて何も動き出していない状態。

釜石はまゆり飲食店街も、いつまであるかわからない、まだ先が見えない

とはいうものの、今は

懐かしいお客さんが顔を出してくれ、おかげさまで元に戻ってきた日常に

笑顔が絶えないとか。また地元の高校野球のコーチも長年勤めていたので、

教え子が常に顔を出してくれます。

 

紺野店長の中でいろんなことが変わっていきます。震災後 

自分も頑張って釜石ラーメンを広めて、もっと人を集めたいと思ったこと。

釜石のために活気ある町を取り戻そうと

している彼らの感性、若い世代をこれからはずっと応援したいと。

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 ↑「あっさりした中に 凝縮された旨みが!細麺でツルッといけちゃいます。

本当に美味しい!釜石ラーメン。食べたあとももたれません(笑)

 

 

そしてもう一人の男性は・・・。

今回 阿部亮さんが宿泊された場所「陸中海岸グランドホテル」。

釜石湾にそびえ立つ7階のホテル。

7階の大浴場から見る釜石湾、本当に最高でした!!朝陽が眩しくて・・・

 

海沿いとうことで1階、2階は津波で壊滅的な被害を受けましたが、

3階以降はなんとか被害をまぬがれ、地元住民のために、避難所として開放しました。

震災のあった3月。まだ東北は寒く、そして高齢者も多い中、

身も知らない方とずっと避難所にいる、そんな苦痛をやわらげるため

をなんとか 手助けしたいの思いで

ホテルを開放したそうです。

 

当時のお話をして下さった「陸中海岸グランドホテル」

営業統括部長の駒林さん ↓

 

野村克也さんに似ていますね!語り口も似ています(笑)

 

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駒林さんはなんと、こんときの店長の1期生上で違う高校で野球部だった方。

いろんなところでつながっている釜石の方です。

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↑ 改装・改修され、綺麗になった1階のフロントカフェで収録中。

 

 

駒林さんのおはなしで興味深かったのは 「鉄の町」と言われた釜石最盛期。

製鉄業の方と水産業の方が 飲み屋で札束持ってお酒をがんがん飲んでいたことや、

最後はみんな熱くなってけんかを始めたことなど・・・

その豪傑ぶりはすごいの一言。草食系・・・と言われてる日本男子に聞かせたいおはなしですね(笑)

 

「陸中海岸グランドホテル」は震災の教訓から、今は太陽光発電も取り入れ、自家発電できる対策もできています。

とにかく、海が一望できて、最高です。

緑豊かな山と海の釜石。

そこを愛して生きる方たちの思いが伝わる放送 ぜひ聞いてくださいね。

 

 

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