上柳昌彦 ラジオの人

上柳昌彦
(うえやなぎ・まさひこ)
誕生日:1957年8月1日
星座:しし座
血液型:B型
出身地:大阪府
趣味:スポーツジム通い

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2019年3月17日

大滝さんとサザンの夏
この数か月、レギュラー番組以外の仕事を様々頂いていてうれしい限りであります。

インパクトが大きかったのは9時間の生放送「今日は一日まるごと松本隆三昧」でした。

放送までに松本隆さんに関する資料をあれやこれやと読みましたが、それはまんま60年代後半から今に至るまでの日本の音楽の歴史をたどる旅のようなものでした。

そして松本隆さんの音楽活動とその後の作詞家の人生において様々な影響を与えあった方々の一人に大滝詠一さんの存在があります。

3月21日は1981年に「A LONG VACATION」がリリースされた日です。

今年はこの日に「NIAGARA CONCERT 83」という2枚組のCDが発売になり、初回版には1977年に渋谷公会堂で行われたライブを収めたDVDが特典で付けられています。

CDのディスク1は1983年7月24日に西武ライオンズ球場で行われた「ALL NIGHT NIPPON SUPER FES 83」で行われた大滝さんのライブが収録されています。

私はこのライブは宿直の日だったため観に行けず悔しい思いをしたと思い込んでいたのですが、ブックレットを読むうちにそれは勘違いであることが分かりました。

ライブは日曜日に行われていましたが、当時は土曜から日曜にかけての宿直だったので宿直明けで行くことは可能だったのです。

ではなぜ大滝さんの貴重なライブを観ることができなかったのか。

1983年、ニッポン放送の夜10時からは高原兄さんがパーソナリティーの「ヤングパラダイス」が4月から始まったばかりでした。

私は月曜深夜のオールナイトニッポン2部とともに「ヤンパラ」の中で「ジャンケンマン」として、黄色いつなぎに赤いヘルメット姿で夜な夜な公園などに出没してリスナーとジャンケンをしていました。

そしてその年の夏は毎週土日に由比ガ浜の海の家のステージで、毎週海水浴客とジャンケン大会を開催していたのです。

おそらくはスポンサーがひと夏海の家を開いていて、そこでのイベントの一環だったのでしょう。

日曜日、宿直明けの睡眠不足の中、炎天下でジャンケン大会を終え先輩ディレクターとライブが行われている西武球場に向かったのが1983年7月24日だったのです。

今の時代なら「駅スパート」などのアプリで江ノ電の「由比ヶ浜」駅から西武線「西武球場前」駅までの最短ルートはすぐに検索できます。

ちなみに今検索してみると「鎌倉」駅に出て「湘南新宿ライン」に乗り「池袋」駅。西武池袋線で「西所沢」駅に着いてそこから西武狭山線で「西武球場前」駅に1時間54分で到着となる訳です。

しかし当時はそんな便利なものはなく、湘南新宿ラインもありません。

手元にあるのは小さなスケジュール帳の最後にある路線図だけですし、小さなスペースに全体を入れるために日本列島はいびつな形に描かれていて、由比ガ浜から西武球場までの最短のルートなど分かったものではありませんでした。

それでもライブの開演に間に合うために先輩となんとか選んだのは、南武線で「府中本町」駅に行き、武蔵野線に乗り換えて「秋津」駅で西武池袋線に乗り換えて「西部球場前」に行くという方法でした。

しかも「横浜」駅でタクシーに乗り南武線の近い駅へと言ったところ「急いでるなら東横線で言った方が早いよ」と運転手さんに言われ駅のターミナルをぐるりと一周してまた駅に戻るという迷走ぶり。

また、当時武蔵野線の本数はとても少なく、待ち合わせの時間に「府中本町」駅構内で立ち食いそばまで食べて時間をつぶすという始末です。

そうやって、とんでもない時間をかけて球場にたどり着いたときにはすでにトリのサザンオールスターズのライブの中盤でした。

やっとの思いで駅に着き小走りに球場に向かう中で聴こえてきたサザンの「Big Stara Blues(ビッグスターの悲劇)」
は涙ちょちょ切れものでありました。

鎌倉から西武球場に言ってサザンのライブを途中から観た記憶は鮮明にあったのですが、それは大滝さんのライブと同じ日であった事を覚えていなかったのです。

つまり私は大滝さんの貴重なライブに行かなかったのではなく、まったく間に合わなかったというお間抜けな話でありました。

ちなみに一緒に右往左往した先輩は、のちに他局の役員にまで上り詰める大変に優秀な人でした。

あの夏私たちは単なるアホだった・・・

あれから36年、やっと私はあの時のライブ音源を聴くことができたのでした。