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元サッカー日本代表の本並健治さん。Jリーグ開幕への戸惑い、部長を目指していた社会人時代

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9月3日(日)の放送では、元サッカー日本代表の本並健治が出演。Jリーグ開幕当時のお話をお伺いしました。

淵澤  本並さんは大学卒業後
    1986年に、松下電器サッカー部(現在のガンバ大阪)に入団されました。

本並  当時は午前中に働いて、
    午後3時ぐらいから練習場のあった京都に行って練習をしていました。

自見  プロリーグのJリーグが出来ると聞いた時は、どんなお気持ちでしたか?
   
本並  どうしようかなと思いました。
    松下電器って大きな会社だから、潰れることはない。
    部長ぐらいまで行けたらいいなあと思っていたんです。
    プロ化の話の時には、27、28歳だったので。
    プロになっても何年出来るか分からないし。

淵澤  社会人かプロか、選べたんですか?

本並  選べました。
    最後は仕事よりもサッカー、という気持ちで選びました。

淵澤  1993年にJリーグが誕生。社会現象になりました。
    本並さんの生活は変わったんですか?

本並  将来、どうなるか分からないから、お金はしっかり貯めていました。
    社会人を5年やっていたので。
    反対に1年目の若い奴らは高級車に乗ったりしていました。
    クビになったら何もなくなるぞって思っていました。

淵澤  外食しているとサポーターから「練習しろ」と怒られたとか?

本並  当時はチームが弱かったんで。
    夜の8時頃言われてもね。練習できへんぞって思っていました。
    
自見  Jリーグがスタートした1993年の7月
    腎臓破裂の大怪我をしても、プレイし続けたそうですね

本並  試合の後半、コーナーキックをキャッチした時に、後ろから膝が入って。
    肋骨が腎臓をかくような感じで。そこで肋骨も折れて。
    メンバー交代枠を全部使っていたし、
    それにアドレナリンも出ていたので、試合には出続けました。

自見  ゴールキーパーって過酷ですね。

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