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カナダ・トロントで開催された「2017 IWBF男子U23世界車椅子バスケットボール選手権大会」で、日本代表は目標を上回る4位に輝くという嬉しいニュースを届けてくれました。今回のゲストは、その車椅子バスケットボール界から、今なお現役で活躍するレジェンド・上村知佳選手です。
上村選手は、1988年のソウルパラリンピックから日本代表として活躍され、バルセロナ・アトランタ・シドニー・アテネと5大会連続でパラリンピックに出場。
2000年シドニーパラリンピックでは女子車椅子バスケットボール・銅メダル獲得に大きく貢献しました。
車椅子バスケの魅力は?という質問に「車椅子同士がぶつかり合う音や匂い」「障がい者スポーツということを感じさせない激しさ」と答える上村選手は、カナダとアメリカのチームとプロ契約を結び、海外でもプレーしました。
アメリカでは、滞在費や旅費など全部出してもらっていたそうですが、カナダではプロ契約とはいえ、旅費こそ出してもらっていたものの収入はなかったので、選手生活の傍ら、車椅子屋さんでメンテナンスをしたり、(車椅子を売るために必要な)計測の仕方を勉強したりして働いていたそうです。
日本帰国後、ある試合でプレー中の選手のタイヤがパンクした時、修理班がいなかったため、ベンチにいた上村選手がものの2~3分でチューブを替えて装着し、再びその選手をコートに送り出したことがありました。
それ以来『ジャパン女子“メカニック担当”』と呼ばれ、「工具のことでわからないことがあれば知佳さんに聞け!」と言われるようになったそうです。
しかも、海外遠征や大会に行った際、選手村で建て付けが悪くてドアの鍵が壊れたりトイレが壊れたりすると、すぐにお呼びがかかり何度も修理をしたということです。
そんな上村選手の「思い出の一曲」は、クイーンの『We Are The Champions』
2002年、北九州で行われた世界選手権でのこと。
金メダルを獲得したカナダ代表選手たちは、かつて上村選手がカナダでプレーしていた時のチームメイトでもありました。一緒にお祝いしよう!と呼ばれカラオケ屋さんに行くと、目の前でこの曲を歌われたのです。
その大会で日本は4位。一緒に騒ぐ気分になれるはずもなく、♪We Are The Champions~と高らかに歌われた時の屈辱のことを今でも覚えているそうです・・・。
(クイーン自体は大好きなアーティストとのことです!)
次回は、7月15日と16日に神戸市のグリーンアリーナ神戸で開催される、
『第28回 全日本女子車椅子バスケットボール選手権大会』について伺います。
お楽しみに!
リオ2016パラリンピック 自転車競技・女子タンデム個人ロードタイムトライアル銀メダリストの鹿沼由理恵選手をゲストに迎えてお送りした第2回目。
鹿沼選手が自転車競技を始めることになったきっかけを伺いました。
もともとクロスカントリースキーをやっていた鹿沼選手は2010年バンクーバーパラリンピックに出場し、クロスカントリー女子リレー5位、バイアスロン7位、クラシカル5キロ8位など計4種目で入賞を果たしました。
ソチパラリンピックに向けてトレーニングを積んでいた頃(2012年)、練習中に転倒して左肩の靭帯を負傷してしまいます。
出場しようと思えばソチパラリンピックに出ることもできたかもしれない、という状況でしたが、出るからには表彰台を狙っていた鹿沼選手は、ただ出るだけでは納得ができなかったそうです。
それを、カナダの女子クロスカントリースキーの選手にメールで相談したところ、『私はパラサイクリングもやっているよ』という返事が返ってきて、女子のタンデム競技があることを知りました。(そのカナダの選手はロンドンパラリンピック自転車競技でメダルを獲得しています)
『パラサイクリング“も”…』というところで、クロスカントリーにこだわらずに自転車に転向してもいいのかなと考え、転向を決めました。
それから田中まい選手というパートナーに出会い、トレーニングや試合の経験を重ね、いよいよ迎えたリオ2016パラリンピック。
実は、リオ大会前に左の鎖骨を折っていて、それをカバーしながらの出場でした。
さらに、ロードタイムトライアルではトラブルも起きました。
スタート直前に自転車のギアが変わらないことが判明したのです。
ゆっくりペースでのスタートを見たスタッフはびっくりして、何が起こったんだ!?と慌てたそうです。
一番重いギアに入っていたため、スタートしてから30km、ずっと重いギアのまま走り続けました。鹿沼選手も田中選手も漕ぐことに必死で、レース中ふたりの間に言葉はほとんどなく、ひたすらペダルを踏みました。
それが功を奏して、39分32秒92という記録で銀メダルを獲得しました!
リオ2016パラリンピックを振り返って「4年間の結果が得られた大会だったけど、銀メダルという悔しい大会でもあった」という鹿沼選手。
今後に向けては、ケガを治して全身で、自分の限界まで競技に打ち込んでいきたいと決意を述べました。
最後に、上を目指して進もうとする方々に伝えたい “Going Upな一言”を伺いました。
『 マイナス × マイナス は プラスへの架け橋 』
「マイナスな事、嫌なことがあっても、それを掛け合わせれば、絶対に今以上にいい事(プラス)につながる。それで困難も乗り切れる」という思いが込められています。
(鹿沼由理恵選手のリクエスト曲)ガッツだぜ / ウルフルズ
※練習して調子が上がらない時に(練習後)聴く曲。この曲に励まされ「明日もがんばろう」という気分にさせてくれるということです。
次回のゲストは、女子車椅子バスケットボールの上村知佳選手です。お楽しみに!
今回のゲストは、リオ2016パラリンピック自転車競技・女子タンデム個人ロードタイムトライアル銀メダリストの鹿沼由理恵選手です。
鹿沼選手は、2012年にクロスカントリースキーから自転車競技に転向しました。
リオ大会を振り返ってみて、銀メダル獲得については、そのクロスカントリーがあったから、(転向後)4年間がんばってきたから、パートナーの田中まい選手が一緒に走ってくれたから獲れたメダルだったといいます。
パラサイクリングでは、障がいによって4つにクラス分けがされていますが、クラスによって、自転車の種類も異なります。
いわゆる普通の二輪自転車(ロードバイク)、三輪自転車(トライシクル)、手で漕ぐハンドバイク、そして二人乗りのタンデム自転車の4種類がありますが、鹿沼選手は視覚障害のため、タンデム自転車のクラスになります。
タンデムは前後二人乗りの自転車で、よく、大きな公園等のレンタサイクルで借りられるような二人乗りの長い自転車を想像してみるとわかりやすいです。
パラサイクリングでは、前に健常者の選手、後ろに視覚障害の選手が乗り、前の健常の選手がハンドル操作やギアチェンジを行います。
前に乗る健常の選手を「パイロット」(パートナー:田中まい選手)と呼び、後ろの視覚障害の選手は「ストーカー」(鹿沼選手)と呼ばれています。
ちなみに、ストーカーは人につきまとうストーカーではなく、機関車の“薪をくべる人”を表すstokerからそう呼ばれるようになりました。
ここで少し、パラサイクリングの基礎知識についてお話しますと・・・
競技は、大きく分けて「トラック競技」と「ロード」の2つ。
◆ トラック ◆
屋内の競技場で行い、1周250m、木製のバンク(傾斜のある周回走路)を走ります。
種目は、①個人追い抜き(パシュート) ②タイムトライアル ③スプリントの3種目。
ちなみに、日本国内で、木製の1周250mのバンクがあるのは「伊豆ベロドローム」のみとなっていて、伊豆ベロドロームは東京2020オリンピック・パラリンピック自転車競技会場となります。
◆ ロード ◆
屋外の一般道を使用し、①タイムトライアル ②ロードレースの2種目が行われます。
タイムトライアルでは一定の距離を一人ずつ走ってタイムを競い、ロードレースでは、出場選手が一斉にスタートし着順を競います。
パラサイクリングの選手たちは、トラックとロードの両方の競技をやるので、パイロット選びも大変です。
鹿沼選手とパートナーを組んだパイロットの田中まい選手は、プロの女子ケイリン選手としても活躍する方ですが、鹿沼選手がパイロットを探していた時に、競輪学校の先生やメカニックが「田中まいしかいない!」と、当時まだ日本競輪学校の学生だった田中選手を紹介してもらい、ふたりのコンビが誕生しました。
そして後に、パラリンピックで銀メダル獲得となるわけですが、リオでの戦いついては次回お届けします。お楽しみに。
(鹿沼由理恵選手のリクエスト曲)スマイル / ゆず
※選曲理由について伺うと・・・「きつい時こそ笑って乗りきるんです」という鹿沼選手。
レース中、パイロットの田中選手に(自分が)きついってことがバレたくないので「大丈夫だよ」って笑う。味方だけど、きつそうにしているところを見せたくない。田中選手も頑張り屋なので、きつい顔をしてしまうと、田中選手が頑張らなければと思ってしまうので…とスマイルに隠されたエピソードを紹介してくれました。