放送局・放送日時
- ニッポン放送
- 土曜日 22:00~22:30
- ABCラジオ
- 日曜日 12:30~13:00
- 南日本放送
- 日曜日 17:00~17:30
※ニッポン放送では、ナイター中継延長のため放送がありませんでした。この回の内容は、こちらから聴くことができます。
********************************************
柔道界のレジェンド・藤本聰選手を迎えてお送りした第2回目。
5歳で柔道を始め、健常者と一緒に練習に励んでんできた藤本選手が、視覚障害者柔道を知ったのは徳島県立盲学校の理学療法科(当時)に通っていた時でした。
視覚障害者柔道を始めてすぐ、理学療法科3年の時に出場した自身初の国際大会が1996年アトランタパラリンピック。その大舞台で、金メダルという快挙を果たしました。
その後、シドニーとアテネ大会でも金メダルを獲得し3連覇達成、北京大会では銀メダル、とパラリンピック4大会連続でメダルに輝きました。
ところが、ロンドンパラリンピックでの金メダル奪還を目指して臨んだ2012年5月の代表選考会で廣瀬誠選手に敗れ、パラリンピック出場を逃してしまいます。
「あぁ、パラリンピックに出れんのや・・・」
日本で廣瀬誠選手のロンドンパラリンピック速報を見ていた藤本選手。
廣瀬選手の1回戦の相手は、藤本選手が北京パラリンピックの決勝戦で負けたアルジェリアのラムリ選手でした。廣瀬選手がラムリ選手に勝った瞬間、藤本選手の頭には『引退』の文字が浮かびます。
(廣瀬選手が金メダルを獲ったら引退しよう。世界一の選手に負けたんだったら納得いくわ…)
廣瀬選手は次の準決勝で中国の選手に敗れ、3位決定戦ではベネズエラの選手に投げられ、メダルを逃します。
藤本選手は(おまえ、いい加減にせぇよ。辞めるに辞められんじゃないか。しょうがないな…)と、一度は本気で腹をくくった引退を撤回、現役続行を決めました。
ただ、リオ大会までの道のりは簡単なものではありませんでした。
リオ大会出場枠をかけた試合でなんとか枠を確保したものの、こんなに苦戦したのは初めてのことで、若くてセンスのある選手が育ってきているのを見て、このままの練習では絶対に負けると思ったそうです。
リオまであと1年、1%でも勝てる確率を高めるために練習環境を変え、手首の怪我を補うために寝技の強化のためブラジリアン柔術をトレーニングに取り入れました。
それが功を奏し、リオ大会での3位決定戦では寝技で攻めて攻めて攻めまくり、銅メダルを獲得。
このままではだめだと思い、いろいろなことを始めた事が、メダルへと繋がりました。
そんな藤本聰選手が、上を目指して進もうとする方に伝えたい『Going Upな一言』は
「継続は信なり」
「継続は力なり」と言うけれど、続けたら力がつくのは当たり前の話。では、続けるというのはどういうことか。
“信念”を持つこと=自分は絶対にやりきる、どんな批判にも負けない強い気持ちが大事。そして、信念の「念」は今の心と書くように、今の心を信じなければ続けることはできない。それを続けることによって“自信”がでてくる。できなかった事ができていき試合で結果が出ることによって、自分がやってたことが間違いではなかったという“確信”に変わる。そして最後に人から“信頼”されるようになる。「継続は信なり」という言葉に全部集約されているーーー。そういう思いが込められている言葉です。
東京2020パラリンピックまで3年。
今やるべきことをきっちりやって、未経験を経験していきながら、長いスパンで東京大会で金メダルを獲るためのストーリーをしっかり描いていきたいという藤本選手。
10月9日、ウズベキスタンで行われるワールドカップに日本代表として臨みます。
次回のゲストは、パラアイスホッケーの安中幹雄選手です。どうぞお楽しみに!
今回のゲストは視覚障害者柔道の藤本聰(ふじもと・さとし)選手です。
これまでにパラリンピック5大会に出場し、1996年のアトランタ大会からシドニー、アテネと柔道男子66kg級で3大会連続・金メダル獲得、北京大会では銀メダルに輝き、4大会連続でメダルを獲得しました。
昨年のリオ2016パラリンピックでも銅メダルに輝き、パラリンピック5大会で
5つのメダル獲得という、まさに柔道界のレジェンドです。
獲得したメダルはというと・・・リオ大会のメダル(写真一番左)は専用のケースに入っていましたが、あとの4つは、キャラクター柄の巾着袋から出てきました。
徳島県出身の藤本選手は吉本新喜劇仕込みの関西系のノリが体にしみついていて、巾着袋にメダルを入れるのも「講演会の時に、子供たちにウケるんで」と、“笑いをとってなんぼ”だと力説していました。
5つのメダルの中で一番思い入れがあるのは、リオ大会で獲得した銅メダルだという藤本選手。
4連覇を目指して臨んだ北京大会で銀メダルに終わり、ロンドン大会で再び金メダルを獲得しようと挑みましたが代表選考会で敗れて出場を逃し、怪我により3回の手術を経て、やっとたどり着いた銅メダルでした。
「銅」は「“金”と“同”じ」と書きますが、ほんとにそれくらいの価値がある銅メダルだといいます。
銅メダルまでの道のりは、どれだけ自分を信じてやれるかという日々だったそうです。
手首の怪我で手術をして、手術する度にどんどん悪くなって得意技も使えなくなり、高校生や大学生にも投げ飛ばされることも度々ありました。それでも、やっぱりやっておけばよかった…と後悔しないために前を向き続けました。
結果はどうであれ、やり切ったということが大事。それが今でも現役にこだわる理由です。
苦しい絶望感の中、応援してくれている人たちのために恩返しをしたいという一心で掴んだメダルでした。
表彰台に上りカメラのフラッシュを浴びた瞬間、「またこの景色を見れた」という安堵感のような感情がこみあげてきました。
宿舎に戻り、翌日の朝目覚めて、ベッドの上でゴロゴロしながら「あぁ、やった。メダル獲れた」と余韻を楽しみ、至福の時を過ごしたそうです。
藤本選手にとって、柔道の魅力は『自分で考える楽しさ』。
相手に勝つために、考えて工夫して、わからなければ人に聞く。ちょっとでもいいものを見つけると、たとえそれが高校生でも「いま、どないにやったん?」と聞いて、少しでも自分のプラスにする。100回やったら1回成功するかしないか。時間はかかるけど、できた時の快感はたまらない。それもまた相手に攻略されてしまい、また対策を考える。その繰り返し。だから柔道は面白いし、それが出会いを生む。
人生の中で柔道以上の喜びはない。
とても幸せそうな顔で藤本選手は語ります。
リクエスト曲は、ゆずの「栄光の架け橋」
歌詞の内容が、自分の人生そのままだと言い、良い時も悪い時もこの曲に励まされました。
この曲は藤本選手の“勝負トレーニング”のテーマソングだそうで、“勝負トレーニング”とは、練習で疲れきってへたりこんだ瞬間にやる『気持ちで攻める』トレーニングのこと。
場面設定は、パラリンピック・決勝戦の延長戦。
「過去の栄光と悔しさを忘れたのか!」トレーナーの言葉が響きます。
北京で4連覇を逃しロンドン大会に出場できず、悔しさの中、8年間味わった地獄のような苦しみ。良いことよりも悪いことの方が多かったけれど、自分を奮い立たせ続けてくれた曲だそうです。
次回も引き続き、ゲストは柔道・藤本聰選手です。
東京体育館で開催された車いすバスケットボールの国際親善大会『三菱電機 WORLD CHALLENGE CUP 2017』。
最終日は、決勝戦と3位決定戦が行われました。
3位決定戦に臨んだ日本はトルコを75対39で下し、3位で大会を終えました。
村上直広選手
ベンチから士気を鼓舞する藤本怜央選手。
選手のみなさんは手のひらが黒くなるまで、車いすを漕ぎ、止め、走り続けます。
決勝でイギリスを76対54で破ったオーストラリアが優勝しました!(オーストラリアは全勝)
9月9日(10日)の放送では、大会レポートを放送します。どうぞお楽しみに!