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2018年4月10日
パラカヌー・瀬立モニカ選手 (2)

前回に続いて、ゲストはパラカヌーの瀬立モニカ(せりゅう・もにか)選手です。

趣味は「ご飯を食べに行くこと」ということで、好きな食べ物は?の質問に『焼肉』と即答する瀬立選手(笑)

カステラや栗蒸しようかんといった和菓子も大好きなんだそうですよ。

 

さて、今回は、これまでに瀬立選手が出場した大会について伺いました。

今までたくさんのレースに出場しましたが、毎回「あぁ、ダメだったな」というレースばかりで、一度も手応えを感じた”嬉しい”レースはなかったといいます。

その中で、一番悔しい思いをしたのは、リオ2016パラリンピック出場をかけた最終選考会。

その試合に勝たなければリオには行けないという大事な試合で、前日は、自分の心臓の音がふとんの鼓動で伝わってくるほど緊張して、寝たくても寝られないということを初めて経験しました。

上位4選手にリオへの出場権が与えられたこのレースで、瀬立選手は5位。

パラリンピックへの道は閉ざされました。

 

ところが、日本に帰って来た瀬立選手のもとにコーチから一本の電話が入ります。

「リオ、決まったよ」

聞くと、最終選考会に出場した上位の選手が失格になり、5位の瀬立選手が繰り上がりになったというのです。

(まさか…)

そうして、リオ大会から正式競技となったカヌーに日本からただ一人、出場することが決まりました。

 

リオでのレースを振り返ると「悔しかったというより、恥ずかしかった」と語る瀬立選手。

「ラッキーな感じで出場権を獲得して、ラッキーな感じで(パラリンピックで)入賞してしまった」

10名の選手がパラリンピックに出場する中で、ロシアのドーピング問題により同じクラスの選手が出場できなくなり、10位(最下位)だったのが、ひとつ順位が上がって9位に。そして、ウクライナの選手が肩を壊して出られなくなり、さらに繰り上がって8位になりました。

後ろの選手とは差があったので、8位は獲って当たり前という状況での8位。

7位の選手とはものすごい差が開いていただけに、一番の大舞台であるパラリンピックで、一番恥ずかしい思いをしたと当時を振り返ります。

レースの時は、パラリンピックに出られたという“嬉しさ”が半分あったといいますが、時間が経つにつれ、”恥ずかしい”、”悔しい”という思いが全てになりました。

今でも、『パラリンピック8位入賞』と言われる度に「心がキュってなる」と心の内を明かしてくれました。

 

そんな思いをした初のパラリンピックでしたが、当時18歳で経験したその舞台は、

「いや、もう最高でしたね。私が一番パラリンピックを楽しんだんじゃないかってくらい楽しんでました」

ふだん出場しているカヌーの大会とは違い、いろいろな競技の選手が一緒に選手村の中にいるのが異様な光景で新鮮に映ったのです。

それに、障害を持っている方達がいっせいに集まって、腕がないのが当たり前、目が見えないのが当たり前、車いすなのが当たり前、という環境に2週間身を置く中で「”当たり前”って何なんだ?」と自分の中で考え方が変わり、そのことが「一番大きな経験だった」と話します。

 

リオ2016パラリンピックに出場して、改めて、オリンピック・パラリンピックが開催されるということは、ものすごいことなんだと感じたという瀬立選手。

オリンピック・パラリンピックをきっかけに社会が変わっていく。

そのレガシーは大会が終わった後も続いていくということを、ブラジルのカヌーの選手を通じて、現地に実際に行って感じ、それが、地元・日本で開催されると思うだけで「すごい!」と感じていると目を輝かせます。

「だけど、私たちみたいにオリンピック・パラリンピックの現地に行ってない人は、その感動というのが想像しきれない。私もロンドン大会についてはわからないし他人事のように見ていた。(リオ大会を経験することで)国民一丸となって、オリンピック・パラリンピック開催に向かって進んでいくというのはものすごい事なので、その魅力を伝えていきたい」

 

2020年東京大会は、生まれ育った地元・江東区での開催。

「2度目の出場となるので、出るだけでは済まされない。出場して確実にメダルを獲れるように頑張っていきたい」と熱い想いを寄せました。

 

最後に、瀬立モニカ選手が上をめざして進もうとする方に伝えたい“Going Up”な一言を伺いました。

『常に前向き』

コーチがすごく前向きな方で、常に前向き!と指導されているそうで「下に思えば思うほどどんどん落ち込んでしまうけど、前向きに目線が開けるといい事しか見えてこない」と、この言葉に込めた意味を語る瀬立選手。

まさに、東京2020大会に向け突き進む、瀬立選手を象徴する言葉ですね。

 

瀬立モニカ選手のリクエスト曲: Cheerleader (Felix Jaehn Remix) / OMI

 

次回のゲストは、パラトライアスロンの宇田秀生(うだ・ひでき)選手です。お楽しみに!

2018年4月3日
パラカヌー・瀬立モニカ選手 (1)

今回のゲストはパラカヌーの瀬立モニカ(せりゅう・もにか)選手です。

 

瀬立選手は、現在20歳の現役女子大生。

1月に成人式を迎え、車いすでも簡単に着付けができるという、鮮やかな真っ赤な晴れ着で出席しました。式典では、東京都江東区の新成人代表として堂々とスピーチも行いました。

 

リオ2016パラリンピックから正式競技となったパラカヌーは、水上に設定された200mの直線レーンでタイムを競うスプリント競技。

複数の選手が一斉にスタートして、着順を競います。

女子の場合、200mのタイムは1分前後。その間、100%全力で漕ぎ続けるので、かなりハードな競技です。

一番使うのは背中の筋肉ということで、ふだんはベンチプレスやベンチプル等の筋トレをしているそうです。

 

パラカヌーでは、障害の重い順から L1、 L2、 L3の3つのクラスに分かれています。(『L』は『レベル』の略)

L1: 腹筋、背筋が使えず、体幹がきかないクラス。肩と腕の機 能だけで漕ぐことができる選 手(瀬立選手はこのクラス)

L2: 胴体と腕を使って漕ぐことが できる選手。下肢の機能が著 しく弱いため、継続して踏ん 張る、または腰かけてカヌー を操作することが困難な選手のクラス

L3: 腰、胴体、腕を使うことがで き、力を入れて踏ん張る、ま たは上半身と腰でカヌーを操 作することができる選手。下 肢切断の選手。

 

一般のカヌーとルールや試合方式は同じですが、『パラ艇』(パラカヌーの選手が乗る艇をこう呼ぶそうです)の場合、一番太い所の幅が50cm以上なければいけないという規定があります。

選手たちはそれぞれ、自分の障害に合わせた艇で競技を行いますが、瀬立選手の艇でポイントになるのは、お尻を乗せるシートの部分。

カヌーでは、より水の抵抗を減らすため前から水を取りますが、体幹がきかない瀬立選手の場合、骨盤が寝てしまい重心が艇の後ろにかかってしまいます。

それを補うため専用のシートを作り、骨盤を起こすことで、前から水を捉えることができます。

シートは瀬立選手のお尻の形にぴったり合わせて作られているので、2、3kgでも太ってしまうと入らなくなってしまうんだそうです。そのため、真冬でもタイツ一枚で練習をしているということです。

 

小学生の頃から水泳をやっていた瀬立選手が、”カヌー”に出合ったは中学生の時。

川が多く、水彩都市をうたう地元・江東区には、区内の中学から集められた生徒による「合同カヌー部」があります。

ある日、プールの時間に体育の先生に呼ばれた瀬立選手。

怒られるのかな…と思いながら行くと、「おまえ、カヌーやらないか」という言葉。

(何だろう。でも、面白そうだな)

そんな好奇心から、2013年の東京国体出場を目指して、カヌーを始めました。

 

高校に入学したのは、ちょうど東京国体開催の年。

“花のJK(女子高生)”を楽しもうと胸を躍らせていました。

そんな2ヶ月程が経った体育の時間に、その出来事は起きました。

倒立前転をしようと逆立ちをした後、前にも後ろにもどちらにも行けずにバランスを崩し、そのまま垂直に落ちてしまい、救急車で病院に運ばれました。

ベッドから起き上がろうにも起き上がれない、歩けない・・・

東京国体の代表選手選考会、1ヶ月前のことでした。

 

ようやく起き上がれるようになったのは、入院から1ヶ月くらい経ってから。

ドクターからは、もうこの先、学校に戻る時は車いすかもしれないと言われました。

(あ、そうなんだ…)

全てが崩れていった瞬間でした。

 

「カヌーを忘れたい、思い出したくもない」

地元の新聞には、それまで一緒に練習していた友達が東京国体で活躍する姿を伝える記事。

それを瀬立選手に見せるお母さん。

そのことで喧嘩になる程、「カヌーに触れたくなかった」というのが当時の正直な気持ちだったと話します。

 

しばらくして、カヌーのことを「さっぱり忘れていた」ある日。

病院のベッド上で、2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催が決まったというニュースを目にします。

「私には関係ないな」

カヌーに対して、もう何の思いもありませんでした。

 

そんな瀬立選手に転機が訪れたのは、怪我をしてから1年くらい経った頃。

きっかけは、東京都カヌー協会の方からの一通のメールでした。

『また、パラでカヌーを始めてみませんか?』

最初は、もう絶対にありえないと思っていた瀬立選手は、「自分が艇(舟)から転覆するところを見せてやろう」と思って川を訪れます。

ところが、カヌー協会の方が “一枚上手”でした。

絶対に川に落ちないような太い艇が用意されていたのです。

「あれ、自分にも意外とできちゃうかもしれない」

そうして、世界を目指す、新たな挑戦が始まりました。

 

『水上はバリアフリー』という瀬立選手。

車いすで生活していると、行きたいお店に行くにも階段があったり店内が狭かったりして行けないこともあり、友達と一緒に行動していても「瀬立さんはこっちから行って」と別の道を案内され、”疎外感”のようなものを感じることがよくあるといいます。

しかし、カヌーに乗ってしまえば、水面では段差もないし、みんなと一緒に行動することができる。

それがカヌーの魅力でもあると、この言葉に込められた思いを笑顔で語ってくれました。

 

瀬立モニカ選手のリクエスト曲:幸せをフォーエバー / MISIA

大学での孤独な練習。授業の前、朝4時半に起きて6時頃からきついトレーニングをしてるが、冬場は特に寒いし、外は暗いし、練習は辛いしで泣けてくる。なので、練習中は音楽を聞きながらやっているけど、この曲が流れてくると、めちゃくちゃ頑張れる!そんな曲なんだそうです。

 

次回も引き続き、パラカヌー・瀬立モニカ選手をゲストにお迎えしてお送りします。お楽しみに!

2018年3月26日
写真で振り返る<平昌2018冬季パラリンピック>

2018年3月9日。

平昌2018冬季パラリンピックが開幕しました!

会場周辺では、2日前から降り積もった雪を、多くのボランティアや市民の方たちが朝から除雪する姿が見られました。

開会式は、氷点下の寒さ! 観客には、ひざ掛けや数種類のカイロ、ニット帽やポンチョなどが入った“開会式グッズ”が配られました。

そして、20時。平昌オリンピックスタジアムは人々の熱気に包まれました。

日本は、旗手の村岡桃佳(むらおか・ももか /アルペンスキー)選手を先頭に33番目の入場!

客席からは大きな拍手と声援が送られました。

聖火ランナーとして、平昌オリンピック・カーリングで一躍有名となった韓国の「めがね先輩」がサプライズで登場し、会場から歓声があがりました。韓国で大人気です!

49の国と地域から集まったパラアスリートによって、連日熱い戦いが繰り広げられました。

江陵(カンヌン)オリンピックパーク内のモニュメント

パラアイスホッケーの試合が行われた、江陵(カンヌン)ホッケーセンター。

日本の初戦となった韓国戦では、日本からも大応援団がかけつけ、会場は応援合戦となりました。

アルペンスキーやスノーボード競技が行われた、チョンソンアルペンセンター。

この会場で、多くの日本のメダリストが誕生しました!

平昌オリンピックプラザ内にあるメダルプラザでは、メダル授賞式が行われました。

こちらは、クロスカントリースキー  男子10kmクラシカルのメダルセレモニー。

真ん中の一番高い所に立つのは、金メダルを獲得した新田佳浩(にった・よしひろ)選手です!

アルペンスキー女子・大回転で金メダルを獲得した村岡桃佳(むらおか・ももか)選手の授賞式!

激しい雨が降る中、チームメイトもお祝いにかけつけました。

3月18日。閉会式にて。

平昌2018冬季パラリンピックの公式マスコット、バンダビも大活躍!

お疲れ様でした。

いよいよ、次は、2020年。東京です!!