放送局・放送日時
- ニッポン放送
- 土曜日 22:00~22:30
- ABCラジオ
- 日曜日 12:30~13:00
- 南日本放送
- 日曜日 17:00~17:30
今回のゲストは、ウィルチェアーラグビーの倉橋香衣(くらはし・かえ)選手です。
ウィルチェアーラグビーといえば、8月にオーストラリア・シドニーで開催された『IWRF2018ウィルチェアーラグビー世界選手権』で金メダルを獲得し、日本ウィルチェアーラグビー史上初の世界一に輝きました。
優勝の瞬間、抱き合って号泣する選手たちもいましたが、倉橋は「やったー、よかったーっていうホッとした方が大きかった」と話します。
これまで長い間、日本のウィルチェアーラグビーを引っ張ってきた選手たちとは違い、初めて出場した世界選手権ということで「必死だった」といいます。
「金メダルは獲れたけど、まだまだな部分とか課題もたくさんあるので、それをひとつひとつクリアしていって、もっとうまくなりたという気持ちになりました」
小学1年生から高校3年まで器械体操をやっていた倉橋選手は、大学でトランポリンに転向。
ある大会で、本番前のウォーミングアップ中に技を失敗して、頸髄(けいずい)を損傷したことにより車いすの生活となりました。
ウィルチェアーラグビーと出合ったのは、病院を退院して入った自力訓練施設。
ラグビー部から人数が少ないから来てと声をかけられ、練習を見に行きました。
体育館に行くと2、3人が競技用の車いすに乗って、ワチャワチャ、バシャーンとぶつかっていました。
(ぶつかっていいんや・・・)
(ぶつかっても怒られへんのや)
そこに魅力を感じて「私も乗りたい、ぶつかりたい」とウィルチェアーラグビーを始めました。
ウィルチェアーラグビーは男女混合の競技。
「男子選手と同じコートで戦えるというところが魅力」という倉橋選手ですが、男子選手の中で悔しい思いをすることもあるといいます。
「パワーとかスピードとか、そういうの全て、同じ0.5の選手と比べても弱いし、劣っている部分でもあります。(*)それに、コート上の4人の選手の持ち点の合計が8.0以内で組むところ、女子選手が一人入るとプラス0.5され8.5で組んで試合に出ることができるんですね。8.5で組めるから、私が試合に出ることでまわりの強い選手が出られるからうまくいってるとか、だから代表に入れてるという風に思われているというか。実際、その部分はまだまだあると思うんですけど、そういうとこは悔しいなと思います」
(*)ウィルチェアーラグビーでは、障害の度合いにより、0.5から3.5まで0.5刻みで選手ひとりひとりに持ち点が与えられます(持ち点が小さい程障害が重い)。倉橋選手は最も障害が重い0.5クラス。そして、コート上の4人の持ち点の合計は8.0以内と定められています。
そんな倉橋選手に、これだけは他の選手に負けない!というご自身の“強み”について伺いました。
「強み・・・そこが答えられないのが悔しいです。まだまだ、その8.5で組めるっていうところが、女性であることが、一番の強みみたいな部分があるので。(あえて強みを挙げるとしたら)『へらへらしているとこ』ですかね」
倉橋選手のトレードマークでもある、笑顔。
“へらへらしている”のではなく、本当に楽しそうにプレーしている姿がとても印象的です。
今は、「(自分と持ち点が同じ)0.5の男の選手たちと同じくらいにはなりたい」というのが目標。
速さやスピード、パワーに加え、(動きが)遅いからこそ、もっと頭を使って、先を読む能力を習得したいと語りました。
昨年、フランス・パリで女子選手だけの世界大会『 WOMEN’S CUP PARIS 2017 』が開催され、日本から3名の選手が出場(倉橋選手含む)しました。
海外にはどんな女子選手がいるのか、こうやって動くことで女子選手が日本で増えたらいいな、そんな思いを持って臨んだ大会でしたが、体育館に入ると、「どこを見渡しても女の選手しかおらん」。
ふだんは男子選手ばっかりが準備しているので、女性しかいないことに違和感を感じたそうです。
ただ、試合はというと、「すっごい楽しくて、コートの中の声も『キャーキャーキャーキャー』って高い声が聞こえて、いつもと全然違った雰囲気で、“ラグビーがほんとに楽しいなあ”って自分の中で再確認できた大会でした。今まで経験した大会の中で一番楽しかったです。ほんと楽しかったです」
エッフェル塔の真横にある体育館で行われた大会を、嬉しそうに振り返りました。
次回も、ウィルチェアーラグビー・倉橋香衣選手を迎えてお送りします。
どうぞお楽しみに。
倉橋香衣選手のリクエスト曲 : JOY / YUKI
お姉さんの影響でYUKIを聴くようになったそうです。運転中に車で流して「ふふ~」ってなっているそうです。
パラサイクリングの小池岳太(こいけ・がくた)選手を迎えてお送りした後編。
長年にわたり、アルペンスキーの選手として活躍してきた小池選手は、今年3月の平昌パラリンピック後、自転車競技に転向しました。
今回は、その自転車競技へのチャレンジについて伺いました。
オリンピック施設で医科学的に様々な数値を分析した結果、自転車競技に向いていることがわかり、転向を決断した小池選手。
その中でも『一瞬のパワー』は健常者を含めてもトップクラスだと話します。
ただ、自転車競技では、その『一瞬のパワー』を伝える円運動、前に進めていくという単純に思える動き、推進力に伝える動きがすごく難しく、現在は、そこに苦労していると話します。
重力もあり、どうしても下の方にペダルを踏みたくなりがちですが、実は、ペダルを下まで踏むと、回っている動きを止める力が働いてしまうので、(時計の針でいうと)12時から3時とか4時のあたりで下への動きを止め、360度うまく力がかかり続けるようにしなければならないそうです。
そのためのポジションー椅子の位置がどうなのか、ハンドルの位置がどうなのか、ペダルの位置をどう固定するか、ミリ単位での調整が必要になってきます。
今はひたすら乗りこみながらそれを微調整してるという状況だといい「壁にぶち当たっているところです」と、自転車競技の難しさに直面しています。
平昌パラリンピックが終わってすぐ、東京2020大会で自転車競技の会場となる『伊豆ベロドローム』がある伊豆に引っ越し、練習に励んでいます。
伊豆ベロドロームは国内唯一の国際規格のバンク。
そこを走り込めるメリットは大きく、また、日本代表選手や健常者の選手もたくさんいるので、上を目指す上での指標にもなっています。
週6日のトレーニングでは、体幹や筋力トレーニング、ストレッチに加え、基礎トレーニングとして月間2000km乗ることを目標に、朝練習で競輪のようなトラック練習、日中に50〜100kmくらいのロード練習をこなしています。
普段の生活にはない円運動ということで、「乗る時間を増やす」ことを心がけているそうです。
そこに、スキーで培ってきた体の動かし方を生かしながら、なんとか効率よく成長していきたいと話します。
小池選手は左腕に障害があるため、左手でハンドルを握ることができません。
そのため、フック状の義手のような装具を作り、そのフックでハンドルを押す、引くというような工夫をしています。
背中で引く、もしくは脇を締めて体幹を安定させることが自転車では大事だということですが、装具でハンドルに固定できると、ある程度左半身も締めることができるため、装具はとても重要なんだそうです。
「マシンとの一体感、道具との一体感を高めるというところはスキーとすごく似てるなと思います」
そして、そこに自転車競技の魅力を感じています。
「マシンとの一体感を求めていく。いかに自転車に神経を通わすか、ロードを手先で進んでいくような、そういう感覚を入れ込んでいく。その作業が楽しいです」
小池選手が見据えるのは、“2年後”。
「2020年、東京パラリンピックが目標にあります。そこに出場を果たしたいです。出場を果たすとともに、トラック種目のチームスプリント(3人で走るスケートのチームパシュートのような種目)でチームのメンバーとともにメダルも狙えるんじゃないかと想定してます。金メダルを目指して 練習していますし、結果を出してより自信を持って“強い男”になりたいなと思ってます」
最後に、上をめざして進もうとする方に伝えたい“Going Up”な一言を伺いました。
『 自分の可能性を信じて! 』
「自分の体の可能性を伸ばしていくということは、パラリンピアンだからこそできることだと思っています。子供達に夢を与えられる存在でもあるので、自分の可能性を今後ももっともっと広げて夢に向かってチャレンジしていきたいと思います」とこの言葉にこめた想いを話してくれました。
小池岳太選手のリクエスト: SAKURAドロップス / 宇多田ヒカル
ふだんから宇多田ヒカルさんの曲はよく聞いているそうですが、激しい曲よりも静かだけどパワーを感じる歌が好きだという小池選手。この曲は、リラックスするためによく聴いているそうです。
次回のゲストはウィルチェアーラグビーの倉橋香衣選手です。
どうぞお楽しみに!
今回のゲストは、パラサイクリング(自転車競技)の小池岳太(こいけ・がくた)選手です。
長年にわたってアルペンスキー(立位)の選手として活躍した小池選手は、今年3月の平昌大会までパラリンピック4大会連続出場を果たしました。
そして、平昌大会を最後にアルペンスキー競技を引退、自転車競技に転向しました。
学生の頃、ゴールキーパーでJリーガーになることが目標だった小池選手。
大学1年生の時、オートバイの事故により首を強打して頸椎を損傷、左腕に障害を負いました。
半年間の入院後、大学に戻り、(入院前に取っていた)障害者スポーツの授業の履修相談で担当の先生のところに行くと、「お前、パラやってみないか」「長野だったらスキーはできるか?」と言われたそうです。
子供の頃から、年に4、5回くらいは家族スキーに行っていた小池選手は、すでにどんな斜面でも滑れるくらいのレベルに達していました。
(この世界ならいける!)
先生からの提案にそう確信しました。
そうして、アルペンスキー選手としての競技生活が始まりました。
スキー経験もあるので余裕だなと思っていたアルペンスキーですが、実際にやってみると、シンプルに動くことがいかに難しいかということに気づかされたといいます。
左腕に障害があるため、右手にだけストックを持って滑るのですが、ストックを持つのと持たないのとでは、腕の重さが違うため、その左右の差により最初はよく転倒したそうです。
そして、スタートでは、ストックに体重をかけてジャンプしながらスタートしていくのが理想ですが、片手だとジャンプして寄りかかることができないので、スタートはある程度しょうがないと切り替えて、スケーティングの技術の向上させていきました。
雪上以外では、筋力トレーニング、バランストレーニング、走り込み…といった、フィジカルトレーニングも行います。
2006年からソチパラリンピックまでは筋力トレーニング、体重を重くするということを主体に、重いおもりを挙げるということを重視してやっていたそうです。
ソチ大会が終わってからは、呼吸の仕方、歩き方、いかに姿勢をよく保って無駄な動きをしないようにするか、骨格をうまく組み立てていかに楽に歩くかということを意識しながら、年齢相応の『体の使い方』をオフの時期にたたきこんでいたと話します。
これまでに冬季パラリンピックに4大会連続で出場した小池選手。
自身初のパラリンピックとなったトリノ 大会は「単なるお祭りに出ただけだった」といいます。
自分の限界を超えて滑り力を出し切ることはできましたが、上位の選手とは10秒もの差があり、その10秒をどうすれば詰められるかがわからず、自分は蚊帳の外だったなと印象を受けた大会となりました。
最後の冬季パラリンピックとなった今年の平昌大会では、難しいコースにうまく対応することができず「出し切れなかった」と振り返りました。
平昌大会を終えて、小池選手は自転車競技への転向を決断しました。
自転車は、以前からアルペンスキーのトレーニングとして夏場に行っていました。
そんな中、パラリンピック競技の環境がどんどん好転して、オリンピック選手の施設を使えるようになり、乳酸測定や自分の限界値を血液採って数値を測るといった、いろいろな医科学サポートを受けられるようになりました。
それにより、自転車の能力がすごく高いということがわかったそうです。
基礎体力がかなりあるということ、限界の体力があり、我慢できる筋肉を持っているということで、競技転向をしろとオリンピックの医科学サポートの先生から冗談で言われていたそうです。
そこに、東京2020パラリンピックにチャレンジしてみたいという思いが重なり、自転車競技への転向を決め、新たな挑戦が始まりました。
次回は、その自転車競技のトレーニングについて伺います。
どうぞお楽しみに!
小池岳太選手のリクエスト曲 : TRACE / WANIMA
平昌パラリンピックの時、同部屋だった選手4人と毎朝聴いていた曲。張り詰めた緊張感の中、みんなで泣きそうになる気持ちをおさえ、覚悟を決めた思い出の一曲です。