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義足のプロダンサー・大前光市さんをお迎えしてお送りした2回目。
リオ2016パラリンピック閉会式での東京大会プレゼンテーションをはじめ、世界中でパフォーマンスしている大前さん。
タリンやプラハなど伝統ある海外の舞台にゲストダンサーとして招かれているほか、今年3月には、アメリカ・ラスベガスでJABBAWOCKEEZ(※)のショーに参加。電飾が施された義足を付け、目を見張るターンなど、パワフルでダイナミックなダンスパフォーマンスを披露して大きな拍手を浴びました。
※JABBAWOCKEEZ(ジャバウォッキーズ)
MTVの人気番組『America’s Best Dance Crew』で優勝したことをキッカケに、爆発的な人気となったアメリカの6人組ダンスグループ。特徴である白いマスクには、偏見や差別を超えてパフォーマンスだけで勝負するという意思が込められている
アメリカでは「バリアフリーの国」という印象を受けたと、大前さんは話します。
人種、マイノリティー、多様性を認める国。そして、ノリがポジティブで、自分に自信を持っている人が多いと感じたそうです。
大前さんのダンスもすぐに受け入れられ、アメリカでのステージは大成功をおさめました。
大前さんは、義足だけではなく、車いすに乗ってダンスすることもあります。
「義足を使うのも、杖を使うのも、車いすを使うのも、アイテムを使うっていう意味で同じなんですよね。ダンサーがダンスシューズを使い分けるような感じで、僕にとっては、車いすも大きな意味でダンスシューズみたいなものだと思っています」
ダンスといえば、芸術のようなイメージがありますが、車いすダンスは「障がい者スポーツ」として、国際パラリンピック委員会(IPC)の認定も受けています。
現在では『パラ・ダンス・スポーツ』と呼ばれ、IPC公認の国際大会も開かれています。
大前さんは、その国際大会で金メダルを獲得しているアスリートでもあるのです。
ワルツ、タンゴ、ルンバ、サンバ…と種目は、競技ダンスと同じ数だけあり、2人で踊るデュオだけはなく、シングル(ソロ)やフリー(自由演技ができる種目)も行われます。
健常者もペアとして一緒に出場できるのも大きな特徴のひとつです。
競技ダンスということで、採点により順位が決まります。
大前さんは、競技ダンスよりも「自由に踊って、自由に表現するダンスが好き」だと話していました。
そんな大前さんに、上をめざして進もうとする方に伝えたい“Going Up”な一言を伺いました。
『キャラ立ち』
「一人一人みんな個性が違う。それをちゃんと分かりやすい形で、キャラクターとして際立たせる。そうすると、みんな魅力的になることができる」と話します。
大前さんの場合は、それが義足。
隠すのではなく、見せて分かりやすい形で、左脚が義足の人ですよーとアピールすることで、それが個性となりキャラ立ちするのです。
そうすることで、世界観が広がったり、いろんなオファーがきたり、いろんな自分の可能性に気付けたので、すごく可能性のある言葉だと語りました。
最後に、大前さんからリスナーのみなさんへのメッセージです。
「キャラ立ちを目指しましょう!どんな人も!」
大前さんのダンス義足コレクション!
大前光市さんのリクエスト曲: 蘇生 / Mr. Children
事故により足を切断してから10年間、大前さんが努力と葛藤を繰り返していた時期に励まされた曲。歌詞のように、自分も何度でも何度でも生まれ変わってやろうと決意をあらたにしてくれた曲だということです。
次回は、フォトグラファーの越智貴雄さんをゲストにお迎えしてお送りします。
どうぞお楽しみに!
今回のゲストは、義足のプロダンサー・大前光市(おおまえ・こういち)さんです。
大前さんは、昨年大晦日の『NHK紅白歌合戦』で平井堅さんとコラボレーション、平井堅さんが歌う『ノンフィクション』の世界をダンスで表現されました。
リスナーのみなさんの中にもご覧になった方、たくさんいらっしゃるのではないでしょうか?
大前さんは、高校生の頃、テレビで『劇団四季』のCMを見て、ここに入りたい!と思いダンスを習い始めました。
高校では、演劇部に所属。
中学生の時のある経験がきっかけとなり、大前さんを演劇へと突き動かしました。
中学でいじめにあってたという大前さん。廊下を歩くと、ひそひそと上級生に「のろまの亀いち」と呼ばれ、つらくて悔しい思いをしていました。
ある時、クラスごとにお芝居をして中学3年生を見送ろうという会があり、当時、中学2年生だった大前さんは、その劇の準主役に選ばれました。
一生懸命練習をして衣装も手作りして、小道具も作り、本番を迎えました。
堂々と演じきった大前さん。
芝居が終わると、すごい拍手が起こりました。
と、同時に、会場は“どよどよ”していました。
(このどよどよしているのは何だろう・・・)
次の日になってその意味がわかりました。
「あの、のろまの亀いちが、バカではなかった、のろまではなかった」
大前さんの演技は、それほどまでにすばらしいものでした。
廊下を歩くと、すれ違った瞬間に「おお、光市!」と上級生に慣れ慣れしく呼ばれました。
昨日までとは、まるで手のひらを返したかのような現象。
(これだ!人前で何かをすればスーパーマンになれる!)
この出来事がきっかけで、演劇を目指すことを決意しました。
高校では演劇とダンス練習に励み、大阪芸術大学に進学。
数々のダンスを経験し、プロになるぞと思った大前さんは、24歳のときに憧れの劇団のオーディションを受けます。
一次、二次試験に受かり、いよいよ最終試験。
ところが。
最終試験の2日前、飲酒運転の車にひかれ、左ひざから下を失うことになるのです。
高校の時からアルバイトをしながらダンスを習い、少しずつ実力もつけて、もうすぐプロになれるぞという、その一歩手前でした。
自分と同じように志していた人はそのオーディションに合格して夢を叶え、劇団四季に入る人やプロとしてやっていく人もいました。
やり場のない悔しさしかありませんでした。
「僕は彼らと同じようになれず、それどころか崖の下に落ちてしまって、登ることもできない。普通の状態、前と同じような状態にすら戻ることができないような状態に落ちてしまったというような感覚でしたね」
「負けず嫌い」だった大前さんは、何とか別の方法でもダンサーとして復活できないかと考えます。
それを後押ししてくれたのは、お父さんでした。
泥のついた作業着を着て、軍手をはめて、塗装のはげた軽トラに材木を積んで毎朝出かけていく父親を、大前さんはずっと、カッコ悪いと思っていました。
(友達のお父さんはいい車に乗っているのに、うちは軽トラかよ)
そういう家庭、そういうお父さんが嫌で、いつしか華やかな世界を目指すようになりました。
大前さんが事故に遭った朝、病院のベッドには家族の姿がありました。
その時、お父さんは大前さんの手を握ったのです。
分厚い手。
泥が爪の間にはさまっているような手で、体が痛くて大声で苦しんでいる大前さんの手を握ってくれました。
「おい、お前、負けんなよ。お前やったらできるさ」
(えっ?応援してくれている?)
それまで、実家に帰るとお父さんから「そんなちゃらちゃらしたことせんと、まともな仕事につけ。舞台の仕事なんて、一握りの人しか食ってけんぞ」と言われ、その度にうざいなと思っていたそうです。
そんなお父さんが、実は応援をしてくれていたことに、その時初めて気づきました。
「その分厚い手がね、分厚い手が、力強く感じられて…そこからすごい自分の体に力強さがみなぎってきて、その瞬間、足の痛みがすーーって消えていったんです。で、その瞬間、お父さん、なんか温かいな、力強いな、そして、かっこいいなって思いました」
その時にはすでに、足を失うことがわかっていたという大前さん。
「足がなくなったとしても、僕にはそのお父さんの血が流れている。DNAが流れている。お父さんの力強さとか包容力とか、そういうものが僕の中にはあって、それさえあれば、たとえ美しくなくなったとしても僕はやっていける。その強さを表現していけば、ぼくは絶対に表現者としてやっていける」
そういう風にして、今は亡きお父さんのことを思い続けて、これまでやってこられたと話します。
紅白もお父さんに見て欲しかったと語りながら、思い出の一曲をリクエストしました。
大前光市さんのリクエスト:ノンフィクション / 平井堅
次回も、大前光市さんをゲストにお迎えしてお送りします。
どうぞお楽しみに。
ウィルチェアーラグビーの倉橋香衣(くらはし・かえ)選手を迎えてお送りした後編。
今回は、ウィルチェアーラグビー日本代表としての活躍について伺いました。
倉橋選手は昨年、ウィルチェアーラグビー日本代表に女子選手として初めて抜擢されました。
いつかは日本代表としてプレーしたいとぼんやり考えてはいたものの、当時はまだクラブチームでも試合に出たことがなかったので、まさか選考合宿に声をかけてもらえるとは思ってもいなかったと話します。
1月、2月に行われた選考合宿を経て、3月のカナダ遠征のメンバーに選ばれた時には、すごく嬉しかったといいます。
次々と国際大会で日本代表としてプレーしていく中で、少しずつ競技に対する意識も変わっていきました。
「最初はほんと楽しい楽しいで、動くの楽しい、ぶつかるの楽しい、いろいろ教えてもらってできた時や感覚がわかって来ると楽しいという感じでやっていましたが、やっていく中で、絶対負けたくないとか、勝ちに行くとか、そういう気持ちは強くなってきたと思います」
ウィルチェアーラグビー日本代表は、2016年のリオパラリンピックで初の銅メダルに輝き、今年8月にオーストラリアで行われた世界選手権では金メダルを獲得!
日本ウィルチェアーラグビー界初の世界チャンピオンに輝きました!!
世界選手権、予選リーグ。
アイルランド、ニュージーランド、スウェーデン、デンマークを敗り、4勝で迎えた予選最終戦の相手は、リオ2016パラリンピック金メダルのオーストラリア。
序盤からじわりじわりと引き離され、その差は広がっていきます。
終わってみると、52対65と大差をつけられ、初黒星を喫しました。
「今コートで起こったことは全てコートに置いていけ。コートから出たらもう考えるな」
試合後、日本代表ケビン・オアヘッドコーチは、選手たちにそう伝えました。
そこから頭を切り替え、翌日行われるアメリカ戦のことだけを考え過ごしたといいます。
クロスオーバー形式で行われたアメリカとの準決勝。
これまでなかなか勝てなかった強豪アメリカに対し、日本は51対46で勝利して決勝に進みます。
「チームの雰囲気としては、すごくよかったと思います。絶対勝つっていうこと、やってきたことをやれば大丈夫ということ、自分たちを信じて試合に臨めてたし、全員が声を出して、ひとつになって、チーム一丸となって戦えてたと思います」
そして迎えた決勝は、地元・オーストラリアとの再戦。
大勢の観客が見守る中、立ち上がりから、一進一退の攻防が続きます。
終始、緊迫した状況の中、試合を決定づけたのは、残り時間1分10秒、池崎大輔選手のターンオーバーによってもたらされた61点目でした。この1点が効き、62対61で勝利。
日本は、史上初の金メダルを手にしました!
試合終了を告げるブザーがなった瞬間、泣いて喜ぶ日本代表の選手たち。
ただ、倉橋選手にはその喜びが”少し遅れて”やってきました。
「自分は、試合が終わったかどうかわからなくて。最後、相手ボールになって、残り数秒で絶対守らなあかんって必死にディフェンスしてて、(やばい、池さんとディフェンスかぶってもうた、これで点入ってたらどうしよう)って思ってたら、試合がそこで止まってるからあれ?と思って。パッと顔を上げたらタイマーがあって、0秒って見えたので、池さんに、『これ、終わったん?勝った?負けた?』って聞いて、『勝ったよ、大丈夫』って言われて、みんなの顔見たらすごくて、(あー、勝ったんや。よかった)って、なりました」
来年10月には、東京で『ウィルチェアラグビーワールドチャレンジ2019』が開催されます。
IWRF(国際ウィルチェアラグビー連盟)の公式大会として世界ランキング8位以上の国が出場、パラリンピックと同じ規模でウィルチェアーラグビー上位8カ国が日本に集まるのは初となります。
この大会に向けて、意気込みを伺いました。
「2020年の東京パラリンピックで、金メダルを獲るためにも、ここでいい結果、優勝を目指してやっていきたいと思います」
そして、倉橋選手個人としての今後の目標についてはこう語ります。
「(自分と障害の程度が同じくらいの持ち点)0.5の男子選手に負けないようなスキルを身につけて、ちゃんとチームに貢献する選手になって、コートでみんなと喜びたいというのが目標です。あとは、ウィルチェアーラグビーのことを、まだまだ全然知らない人も多いと思うので、たくさんの人に知ってもらって応援してもらえるように、もっとウィルチェアーラグビーに関わる人が増えたら嬉しいなって思ってます」
最後に、上をめざして進もうとする方に伝えたい“Going Up”な一言を伺いました。
『 楽 』(らく)
「何をするにも楽しいからやってみたいと思うし、頑張ろうと思う。それで、頑張ってたら、楽しいこと、いいことがあるって思っています。(この字には)楽しいだけじゃなく、”気楽に”みたいな感じの楽(ラク)っていう意味もあるなと思ってて。何かしようって思った時に、けっこう考え込んじゃうというか…あれもできてない、これもできてない、もっとこうせな、ああせなって思っちゃうんで、そういう時に、もっと気楽に行こうって、何も考えず気楽にもっとそれを楽しみながらいこうって思うことで、次に次に進めます」
東京に拠点を置く強豪・BLITZに所属する倉橋選手は、12月14〜16日に千葉ポートアリーナ(千葉県)で開催される『ウィルチェアーラグビー日本選手権大会』に出場します。
BLITZの目標は、ずばり「優勝」
ぜひ会場に足を運んで、迫力あるプレーを間近で体感してください!
倉橋香衣選手のリクエスト曲 : 未来を拾いに / aiko
次回は、義足のプロダンサー・大前光市さんをゲストにお迎えしてお送りします。
どうぞお楽しみに!