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今回のゲストは、バドミントンの藤原大輔(ふじはら・だいすけ)選手です。
藤原選手は、2月17日が25回目の誕生日!おめでとうございます!!
藤原選手がバドミントンを始めたのは、8歳の頃(小学3年生)。
通っていた小学校にバドミントンのジュニアクラブがあり、友達や2つ年上のお姉さんがやっていたこともあって、バドミントンを始めました。
藤原選手は、産まれてすぐ医療事故による感染症にかかり、1か月後には左脚のほとんどを失いました。まだ物心がつく前だったため、後天性ではありますが、気持ちとしては先天性のような感じだといいます。
パラバドミントンに出会ったのは高校1〜2年生の頃。
高知県出身ではありますが、義足のケアなどもあり、兵庫県の病院に通っていました。
その病院には体育館もあって、ある日、病院の掲示板で、障がい者と健常者が一緒にダブルスを組んで行う交流大会の案内を見つけます。
その大会に参加した藤原選手は、そこで初めてパラバドミントンに国際大会があるということを知ります。これがきっかけとなり、パラバドミントンの世界に導かれました。
パラスポーツは障害によるクラス分けがあることも大きな特徴ですが、バドミントンにおいても、障害の種類や程度によりカテゴリーが分けられています。
大きく、「車いす」と「立位」のカテゴリーがありますが、藤原選手は「立位」カテゴリーの下肢に障害があるクラス(SL3)。
SL3の場合、使用するコートは通常の(縦)半分の広さで行われます(ネットの幅が半分)。
※下肢障害のクラスは2つ(SL3とSL4)に分かれますが、藤原選手のSL3はより障害が重いクラスです。
藤原選手は競技用の義足をつけてプレーしますが、バドミントンには専用の競技用義足がありません。
試行錯誤しながらいろいろとな義足を試して、感覚的によかったトライアスロンの義足を改良して使用しています。
太ももあたりで装着している藤原選手の義足は、下のバネの部分まで棒状になっていて、「膝」が曲がらないようになっています。
義足で使われている「膝(継手)」は体重が前にかかった時に曲がるようになっていますが、前に進む陸上とは違い、バドミントンでは床の着き方がいろいろとあります。
横に着いたり斜めに着いたり、前や後ろに着いたり。
筋力がないためコントロールが難しく、自分が予期せぬところで膝が折れると、こけてしまいます。
そのため、藤原選手は膝が固定された義足を使っているのだそうです。
ただ、藤原選手が競技用義足を使うようになったのは、3〜4年前くらいから。
高校生の頃までは日常生活用の義足で競技を行っていました。
競技用義足を使うようになった今では、もう日常用の義足では「プレーできない」といいます。
強度が違うため競技用と比べると壊れることも多く、重さや反発という点からも「遠くに距離を出したり、一歩の距離を出すのは、競技用義足の方が何倍も優っている」そうです。
小学生の頃にバドミントンを始め、すでに15年以上の競技歴を持つ藤原選手。
そんな藤原選手が、“バドミントンをしていて楽しいと思う時”について伺いました。
「目標とした大会で勝った時が一番楽しいです。あとは、やっぱり誰しもがスポーツで生活ができるわけではないので、その人にしかできない経験ができているというのを感じた時は楽しいというか嬉しいですね」
競技用具を駆使しながら、独自のスタイルで戦う藤原選手。
次回も、藤原大輔選手をゲストにお迎えしてお送りします。どうぞお楽しみに!
藤原大輔選手のリクエスト曲:田園 / 玉置浩二
10代の頃は激しい曲が好きだったそうですが、「日本人として落ち着く」というのがこの曲。何年経ってもいいと思える一曲だそうです。
車いすバスケットボールの北間優衣(きたま・ゆい)選手をゲストにお迎えしてお送りした後編。
今回は「日本代表」について伺いました。
中学3年生の時、日本代表合宿に初招集された北間選手は、高校生の頃から車いすバスケットボール女子日本代表として国際大会に出場しています。
日本代表候補選手の中で最年少だった当時は、先輩たちにどうにか着いていこうと必死で、「日本代表の重さというものを、なかなか理解しきれなかった」といいます。
意識が変わったのは、その2年後。
女子日本代表のメンバーとして臨んだロンドンパラリンピック予選が、大きなきっかけとなりました。
2008年の北京大会まで、女子日本代表はパラリンピックに連続出場し、2000年のシドニー大会では銅メダルを獲得しました。しかし、ロンドン大会の予選で女子日本代表は敗退し、パラリンピック出場を逃すことになります。
「“日本代表”というのは、結果を出さなければいけない集団なんだ」
過去にどれだけ結果を出していても、“絶対に結果を出さなければいけない試合”で確実に勝利をおさめることを求められる「日本代表」の重さを、競技歴が浅いながらも、ひしひしと感じたのでした。
その4年後には、リオパラリンピック出場の道も閉ざされ、「一人の選手として、もっと自覚しなければいけない」と改めて感じ、これが、北間選手自身としても大きな分岐点となりました。
北間選手には、「この人のようなプレーヤーになりたい」と憧れている先輩がいます。
同じクラブチーム「カクテル」に所属する、吉田絵里架(よしだ・えりか)選手です。
日本代表の先輩でもあった吉田選手の持ち点は、北間選手と同じ1.0。バスケットボールでもプライベートでも「お母さんみたいな存在」で、なんでも相談できる先輩です。
ずっと吉田選手の背中を見続け追いかけてきましたが、日本代表として戦う中で、その考えにも変化が現れました。
「リオパラリンピック予選で敗れてしまって、次は東京パラリンピックとなった時に、どうすれば勝てるのかというのを考えました。これから、もっとチームを引っ張っていかなければいけない年齢にもなりますし、吉田選手をずっと追い続けるというのは変わらないんですけど、『私はこういうプレーヤーだ』という“自分の色”や長所を伸ばしていかないといけないなと思いました」
「TOKYO」で、自分の色で、勝利を手にするために。
努力と挑戦の日々は続きます。
そんな北間選手は、車いすバスケットボール女子日本代表として、2月15日から開催される『2019 国際親善 女子車いすバスケットボール大阪大会』に出場します。
オランダ、イギリス、オーストラリアという世界の強豪に日本が挑むこの大会。
昨年8月に行われた世界選手権で、オランダは優勝、イギリスは銀メダルを獲得。
「世界の1、2を争うチームに、今の私たちがどこまで戦いにいけるのか。挑戦者という気持ちで積極的に挑戦していきたい」と北間選手は決意をのべます。
オーストラリアは、日本と同じアジアオセアニアゾーン(地区)のライバルチーム。
(日本は開催国枠ですでに東京2020パラリンピックへの出場が決まっていますが)11月に行われるパラリンピック地区予選前の大事な試合になります。
「高さ」のある海外チームに対して、日本は、スピード、機動力、速い展開を活かした“走るバスケ”で挑みます。
『2019 国際親善 女子車いすバスケットボール大阪大会』
開催は2月15日(金)~17日(日)、会場は大阪市中央体育館です。
ぜひ、会場に足を運んで、車いすバスケットボール女子日本代表に大きな大きな声援を送りましょう!
最後に、北間優衣選手が上をめざして進もうとする方に伝えたい“Going Upな一言”をご紹介します。
『常に感謝の気持ちを忘れず 何事にも挑戦すること』
「10年以上車いすバスケットボールを続けられているのは、両親や友達、職場の人やチームメイト…多くの方たちの支えがあるから。常に感謝の気持ちを忘れてはいけないと思っています。そして、いつも貪欲に、向上心を忘れないようにしたいです」と、この言葉にこめた思いを教えてくれました。
北間優衣選手のリクエスト曲:世界はあなたに笑いかけている / Little Glee Monster
笑顔になれる一曲。いつも聴いているそうです。
次回のゲストは、バドミントンの藤原大輔選手です。どうぞお楽しみに!
今回のゲストは、車いすバスケットボールの北間優衣(きたま・ゆい)選手です。
現在24歳でありながら、車いすバスケットボールの競技歴はすでに10年以上という北間選手。
幼い頃から車いすで生活していますが、小学校の体育の時間には「車いすに乗っているから見学」ということは一度もなく、どんな種目であってもみんなでルールを考えながら一緒に楽しんでいたそうです。その中でも、特別なルールを設けなくても楽しめるバスケットボールは、とても好きだったといいます。
中学生になると、「中学1年生の1学期の間は必ず部活に所属しなければいけない」という校則がありました。
自分が好きなことをやりたいと思った北間選手は、バスケットボール部の顧問の先生のところへお願いに行きました。
先生は快く受け入れてくれて、マネージャーとしてバスケ部に入部することになりました。
ある日、顧問の先生に「そんなにバスケットボールが好きなんだったら、やってみれば? 車いすに乗っていてもできるよ」と言われ、心が動きます。
すぐに、地元のクラブチームの練習を見に行き、車いすバスケットボールを始めることにしました。
車いすバスケットボールには「持ち点」というルールがあり、障害のレベルに応じて一人一人に点数が与えられています。(北間選手の持ち点は、一番障害が重い 1.0)
コート上の5人の選手の合計は14.0点以内でなければいけないと決められています。
北間選手は、この「持ち点」のルールが、車いすバスケットボールの魅力のひとつだと話します。
「このルールがあることによって、障害が重い人でも中くらいの人でも軽い人でも、どんな人でも平等にバスケットボールができて試合に出られます。とても素敵なルールだと思います」
そして、昨年からは、障害のない選手も(試合に出て)コート上で一緒にプレーできるようになったので、「障害があるなしに関わらず、どんな人でも楽しめるスポーツになっていってほしい」と語りました。(健常者の持ち点は、一番障害が軽い選手と同じ4.5)
北間選手は「カクテル」という関西を拠点に活動する女子クラブチームに所属していますが、カクテルは、昨年11月に行われた「皇后杯 第29回日本女子車いすバスケットボール選手権大会」で5連覇を達成し、初の皇后杯を手にしました!
カクテルは、6人のプレーヤー(そのうち1人は車いすバスケットボールを始めたばかりの新人の選手)でこの大会に出場、「4連覇したという実績はありましたが、そういうのは関係なく本当に全員が『今年はやばいぞ…』という緊張感を持ちながら臨んだ大会」でした。
それでも心を一つにして勝ち進み、東北ブロックの強豪チーム「スクラッチ」との決戦を迎えました。
“走るバスケ”のカクテルに対して、“全員バスケ”のスクラッチ。
決勝の舞台にふさわしく、迫力ある攻防が続きます。
前半、1点差で負けての折り返しとなったカクテル。
第3Qで、キャプテンの北田千尋選手のファウルトラブルがあり、新人の吉岡選手がコートに立ちます。緊張した展開の中、吉岡選手は「自分の仕事を全うして」、同点で北田選手にまたバトンをつなぎます。
両者、集中力を切らすことなくくらいつきます。
第4Q、残り2分という場面で、カクテルが4点リード。この貴重なリードを守りきり、65対61で、この熱戦を制しました!
試合終了のブザーが鳴ると、カクテルの選手たちの目からは大粒の涙がこぼれ落ちました。
抱き合いながら、健闘をたたえ合うシーンはとても印象的でした。
「女子選手権には何回も出場してきましたけど、一番勝って嬉しかった大会でした」
試合後の感想をこう率直に述べた北間選手。
(皇后杯に出場したカクテルのメンバー)6人中4人は日本代表候補として合宿に参加しており、チーム練習も十分にできない中で臨んだ大会だったといいます。
「優勝することができて、ほっとしているという言葉に尽きます」
車いすバスケットボール女子日本代表としても活躍する北間選手ですが、クラブチームの“カクテル”とはどのような存在なのか伺いました。
「私たちは、クラブチームがなければ、日本代表の活動というのは絶対できないので、クラブチームがあってこその日本代表だと常に思いながらやっています。日本代表候補選手として選ばれる前は、ただただバスケットが楽しいということを教えてくれた大切な場所なので、『楽しい』という気持ちはずっと忘れずにバスケットをしていきたいなと思います」
2月15日から17日まで、大阪市中央体育館で「2019 国際親善 女子車いすバスケットボール大阪大会」が開催されます!
オランダ、イギリス、オーストラリアという世界屈指の強豪に、車いすバスケットボール女子日本代表が挑みます。
北間選手も日本代表としてこの大会に出場します。
目標はずばり「優勝」!
ぜひ会場に足を運んで、北間選手、そして、車いすバスケットボール女子日本代表を応援しましょう!
北間優衣選手のリクエスト曲:YELL / AAA
「よし、行くぞ!」と自分を奮い立たせるために、試合前に聴く曲だそうです。
次回も、北間優衣選手をゲストにお迎えしてお送りします。どうぞ、お楽しみに!