放送局・放送日時
- ニッポン放送
- 土曜日 22:00~22:30
- ABCラジオ
- 日曜日 12:30~13:00
- 南日本放送
- 日曜日 17:00~17:30
2016年10月にスタートした「鈴木亮平 Going Up」、番組開始から丸4年が経ちました。
この4年間で実に100名を超えるゲストの方々にご出演いただきました。
そこで、9月26日(27日)の放送では特別企画として、時間の許す限り、これまで番組にお迎えしたゲストとのエピソードを振り返りました。
まず鈴木さんが名前を挙げたのは、アーチェリーの上山友裕(うえやま・ともひろ)選手です。
Going Upには2回ご出演。それ以外にも、Web動画「鈴木亮平の熱血パラリンピックスポーツチャレンジ!」(*)での対戦やCM、テレビ番組での共演など、お会いすることが多かったおふたり。
上山選手が常に言っているのが「パラリンピックの会場を満員にして、そこで金メダルを獲る!」ということ。
ご自身の結果だけではなく、競技全体を背負っているという覚悟で突き進んでいる上山選手に、鈴木さんは「素晴らしく尊敬できるし、競技者としてだけではない自己プロデュース力があり、同じ関西人ということもあって近いものを感じますね」と話していました。
東京2020パラリンピック日本代表にも内定している上山選手。来年の本番に向けて、ますます期待が膨らみます!
*鈴木亮平さんが東京2020パラリンピックで行われる競技に挑戦する動画シリーズです。こちらのHPからもアクセスすることができますので、ぜひクリックして動画をご覧ください!
車いすバスケットボールからは本当に多くの選手の方々にご出演いただきました。
番組初回の初ゲストとしてお迎えしたのが、男子日本代表の及川晋平(おいかわ・しんぺい)HC(現・監督)でした。
リオ2016パラリンピックから帰国後初のインタビューとして、リオでの戦いを振り返りました。
そして、番組最多の3回ご出演頂いたのが、日本の大黒柱ともいうべき存在でドイツリーグでも活躍している藤本怜央(ふじもと・れお)選手です。
鈴木さんとは同い年。「共感できる部分も多いし、同じ歳の人がこれだけ頑張っているから自分も頑張ろうと思える」と毎回刺激を受けていました。
とくに印象に残っている選手として名前が挙がったのが、男子日本代表の豊島英(とよしま・あきら)キャプテン。
実際に会場で試合を観て、豊島選手のプレーに心を奪われすっかりファンになった鈴木さん。
「試合を観てから話を聞くのは、話を聞いて試合を見るのとは違う楽しみ方があった」と嬉しそうに思い出していました。
女子日本代表候補の網本麻里(あみもと・まり)選手も、観戦した時にその華麗なプレーに魅了された選手のひとり。
「今度、ぜひ番組にいらしてください!」と鈴木さん自ら声をかけたエピソードも語られました。
また、女子日本代表キャプテンの藤井郁美(ふじい・いくみ)選手との対談については、「特別感のあるインタビューだった」と振り返りました。
仙台で鈴木さんの仕事があったこともあり、藤井選手が拠点にしている仙台に伺い収録を行いました。
仙台の街を見渡しながらの収録で、話も弾んでいましたね。
さらに、選手だけではなく、国際審判員の二階堂俊介(にかいどう・しゅんすけ)さんにもご出演いただき、「いろいろな角度から車いすバスケットボールを見られるようになったのは、この番組ならでは!」と、試合観戦が待ち遠しくなるようなコメントを寄せていました。
「他のスポーツと変わらない。パラスポーツを観に行けば絶対楽しめる!」と、力を込める鈴木さん。
とくに面白いと感じているのは、車いすバスケットボールや車いすラグビーでの、「持ち点」(**)のルール。
得点力が求められる障がいの軽い“ハイポインター”と呼ばれる選手と、主にディフェンスで貢献する障がいの重い“ローポインター”と呼ばれる選手。
どちらに視点を置くかで、全然違う試合に観えてくるところがすごく面白く、一般のバスケットボールやラグビー以上に選手それぞれが自分の役割を果たしているのも見どころだといいます。
そして、「車いす」という道具をどう使いこなすのかという話を選手から聞けてとても興味深かったと、パラスポーツの奥深さを知る楽しみについても語りました。
**選手たちは障がいの程度や体幹などの機能によってクラス分けされ一人ひとりに持ち点が与えられており、試合中、コート上の選手の持ち点の合計が定められています。
みなさんが、印象に残っているゲストはどなたですか?
次回も、これまでご出演いただいたゲストとのエピソードを振り返ります。
どうぞ、お楽しみに!
今週の選曲:栄光の架け橋 / ゆず
★Going Upで一番リクエストの多かったのが、この曲です!
9月19日(20日)の放送では前回に引き続き、車いすテニスの田中愛美(たなか・まなみ)選手にリモートでご出演いただきました。
新型コロナウイルスの世界的な感染拡大により、1年の開催延期が決まった東京2020大会。
東京2020パラリンピックを目指す田中選手は、この延期をどう受け止めたのでしょうか。
「私は前回のリオ2016パラリンピックの時は本格的に車いすテニスを始めていなかったので、そこから4年後と考えて、4年スパンで東京大会に向けて計画を進めてきました。その予定がずれてしまうということで初めのうちは少し残念な気持ちがありました」
ただ、当初考えていた予定よりは低いランキングに留まっていたこともあり、心境も変わっていったといいます。
「この1年延期という機会を使ってしっかりと本気でメダルを獲れる準備をしていこうと前向きな考え方にシフトしていきました」
コツコツと努力を重ね、着実に実力をつけてきた田中選手がこれまででとくに印象に残っていると語るのが、2018年のJAPAN OPEN(飯塚国際車いすテニス大会)。
グランドスラムに次ぐグレードのスーパーシリーズの大会で、福岡県で開催されています。
その大会で田中選手は、世界ランキング3位のアニク・ファンクート選手(オランダ)と対戦し、勝利を収めました!
「相手が決勝に向けて調子を上げていこうとしているなかで、私はその試合にピークを持っていき、緊張はしていましたが、ミスも少なく、そつなくプレーできたのが良かったと思います」
観客席は地元の小学生たちで埋め尽くされ、田中選手を応援する声。
その声援に後押しされ「いいところを見せないとな!」と頑張れたことも、勝利への大きな要因だったと振り返りました。
JAPAN OPENには毎年たくさんの車いすテニスプレーヤーが出場しています。(※今年は新型コロナウイルスの感染拡大により残念ながら中止となりました)
現在、日本の車いすテニス界は、世界のトップで活躍するベテラン選手たちはもちろんのこと、ジュニア世代の若い選手たちの成長も著しく今後も楽しみです。
その中で田中選手の目指す選手像について伺いました。
「私は目標とする選手がいて、そこを目印にここまでやってくることができました。なので、次の世代のジュニア選手たちのお手本になるような、憧れられるような選手になりたいです」
そして、来年の東京2020パラリンピックに向けては、「今まで応援してくださった皆さんに、愛美を応援していてよかったと思ってもらえるような、魅せるプレーができたらいいなと思っています!」と意気込みを語りました。
最後に、上をめざして進もうとする方に伝えたい“Going Upな一言”を伺いました。
『その一球に魂を!』
コーチから「一球一球に魂を込めてやらなければいけない」と言われているという田中選手。今テニスができるのは周りの方々のたくさんのサポートがあるから。そのサポートのおかげで打つことができる“一球”なので、一つひとつを大事にしながらテニスと向き合っているそうです。
田中愛美選手のリクエスト曲:虹の向こうへ / NiziU
外出自粛期間中、毎週楽しく見ていたというオーディション番組から誕生した女性アイドルグループ・NiziU。彼女たちの努力する姿に刺激を受け、心に響く一曲だということです。
9月12日(13日)の放送では、車いすテニスの田中愛美(たなか・まなみ)選手にリモートでご出演いただきました。
中学1年生のときに部活で硬式テニスを始めた田中選手。
入学前、受験勉強で運動不足になっていたところ制服の採寸に行くと「キューピーちゃん体型だね」と太っていることをほのめかすような言葉を言われ、運動部に入ろうと思ったのがきっかけだったそうです。
高校生になっても部活に励んでいましたが、高校1年生のとき(2013年)怪我をして車いす生活になります。
「復学したらテニス部に戻りたい!」
そんな思いから、退院後に通ったリハビリセンターで出合った車いすテニスを始めました。
テニス部に復帰した田中選手は、全部の練習メニューは一緒にできないものの部員とラリーをしたり、私立学校のみが参加して行われる団体戦では、最後に引退試合として出場もしたそうです。
車いすテニスでは、テニス自体の技術とは別に、自分の足となる車いすを操作する技術(チェアスキル)も重要です。
そのため、学校帰りに毎日リハビリの病院に通い、体育館でひたすら走る練習をしていたと、当時の人知れぬ努力について明かしました。
学校では同級生たちの協力によって何ひとつ困ることなく“普通の生活”を送ることができたと話します。
その中で、(普通の生活ができたのは助けてくれた人たちがいたから。今まで支えてくれた皆さんに何か恩返しがしたい…)、そんな気持ちを抱くようになります。
「もう一歩上の何か、普通じゃないことを自分で成し遂げることが恩返しになるんじゃないか」
そうして、高校卒業後、本格的に車いすテニスプレーヤーへの道を歩み始めました。
最初のころは、パラリンピックをそんなに近い存在だとは思っていなかったと語る田中選手。
そんな考えを変えたのが、現在、世界のトップ車いすテニスプレーヤーとして活躍している上地結衣(かみじ・ゆい)選手でした。
上地選手は、2歳年上。
こんなに歳の近い人が世界で戦っているということに衝撃を受け、田中選手は世界に目を向けるようになり、パラリンピックを目指すという新たな目標ができました。
海外の大会を転戦し始めたころ、一番苦労したのが「練習相手を探すこと」。
初めの頃はランキングもなくコーチもついてきていないので、初めて会う選手でもとにかく自分から直接声をかけて練習を一緒にやってくれる選手を探したといいます。
その時、一番助けてくれたのも上地選手だったそうです。
経験を重ねていくうちに、今では向こうから練習しようと声をかけてくれることも増え、「コミュニティーが広がっているのが本当に楽しい」と頼もしく語りました。
「攻撃的なプレースタイル」が持ち味の田中選手。
車いすテニスの魅力は「障がいのある人と健常者が同じコートの中でプレーできることです!」と、トレードマークであるまぶしい笑顔で答えていただきました。
次回も、田中愛美選手にお話を伺います。
どうぞ、お楽しみに!
田中愛美選手のリクエスト曲: Fanfare / TWICE
がんばろう!という気持ちになる、応援歌のような一曲だそうです。