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名将としてヤマハを強豪チームに育て上げた清宮克幸が監督を勇退した理由とは?そこには後任監督への熱い想いが!

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今回のゲストは
日本のラグビー界を支えてきたビッグネーム!
トップリーグのヤマハ発動機を強豪チームに育て上げ、
昨シーズン限りで監督を勇退された
清宮克幸さんです!!




【清宮克幸さんのプロフィール】

清宮さんは、1967年、大阪市生まれ。
地元の茨田(まった)高校でラグビーを始め、3年の時に“花園”に出場。
高校日本代表の主将も務められました。

早稲田大学では、1年の時からレギュラーとして活躍。
4年では、主将としてチームを学生日本一に導きました。

社会人ラグビーの強豪・サントリー入社後も主将を務めるなど、
中心選手としてチームをけん引。
日本選手権優勝も経験され、2001年に現役を引退。

その後は、母校の早稲田大学の監督に就任され、3度の大学選手権制覇。
ジャパンラグビートップリーグでは、サントリーの監督を経て、
ヤマハでは、降格寸前だったチームを強豪へと育て上げ、4年で日本一に。

昨シーズン限りでヤマハの監督を勇退され、
現在はアドバイザーとしてチームを支える他、
7人制女子ラグビーチームの立ち上げなど、ラグビー界の発展に尽力されています

 


-51歳で監督業をやめた理由は?
監督という仕事は僕にとって天職だと思うし、
こんなことしてお金もらっていいのか
と思うくらい楽しい仕事ですが、
今回は後任に今譲っておかないと、
もう譲るタイミングがなくなる
という思いがあって・・・。
後任の堀川にしっかりとした働く場所、
男にする機会を与えたいなと思ったのがきっかけですね。

−いつのシーズンから?
2年目のシーズンが終わっている時ですね!
あと1年で俺の監督業を終わらすと決めた。
堀川という男は僕が監督になる前のヤマハの監督で、
しかも既にその時2回目の監督。
要はもう会社の都合で
一旦ラグビー界から離れていたのに、
無理やり監督をやらされたわけですよね。
そこに自分の先輩が他所から
監督としてやってきて、
そしてその監督がお前と一緒に
ラグビーしたいと言ってきて・・・、
まぁ僕のことですね!
そしたらちょっとは考えさせてくださいとか
色々あるじゃないですか。
堀川は「清宮さんと僕も一緒にやりたかった!」
と言ったんですね!即答で!
「清宮さんのラグビーを真横で見たかった。
だからなんでもやりますよ」と。
僕も「そうか分かった。じゃあコーチをやってくれ」
と言って。
監督からコーチに降格人事ですよね!
一般的に言えば!
それを快く受け入れてくれた。
それが最初の彼に対する僕の恩義ですよね。

−嬉しかったし、恩義?
そうですね!
こいつをしっかり育てようとか、
こいつをしっかり面倒見ていこう
と思ったのもその時ですね!
そこから本当に
自分が考えた通りの成長をして、
僕が監督3年目くらいから
ヘッドコーチに格上げをして、
「堀川のイメージで
ヤマハのラグビーを作っていけ!」
と言ってたくらいなんですよ!
ただ僕も模師として僕じゃないと
出来ないことがやっぱりまだまだ
いっぱいあったので。
そういう感じの二人三脚、
他にも長谷川という男がいますけど。
ただ堀川もここでやらないと、
その次また大田尾とか
監督にしたい男がいるのでね!
だからここら辺で監督を譲るべきだなと思ったんですよ!




そんな清宮さんに、金子がより突っ込んで聞いていくコーナー!
『金子の深堀り!』

-監督を目指す際に雛形としたのは?
僕は元々選手時代から
監督みたいなことをずっとしてきたんですよね。
そういう中で自分がやったやり方が
うまくいかなかったことももちろんあったし、
自分がやろうとしてたことじゃない方向で
強くなったこともあったし。
そういった経験が積み重なったものが
僕の監督像なんですよね。
ただ納得させるという意味でいうと、
やっぱりサントリーの営業、
ビジネスマンとして働きながらのラグビー、
この二足のわらじが
一番影響はあったと思うんですよね!

-それはなぜ?
やっぱり見せ方とか話し方とか、
時間の使い方とか。
要は時間がない中で
あれもこれもやりたいわけですよ!
営業なので結果出したいし、
あんまり突っ込んでいくと
ラグビーがおろそかになるし。
もう本当に
時間が足りない!時間が足りない!
という中で、それぞれ結果を出すためには
どうしようというのを26歳くらいから
ずっとやったんですよ!
10年か8年くらいですかね。
その経験は僕の監督業にとって
物凄く大きかったと思いますね!


そんな清宮さんが今でも忘れられない言葉、大きなチカラになった言葉とは?
『今の自分にベストを尽くしてるか。』

ある人から早稲田の監督になって言われた言葉。
その人はもう一つ言うんですね。
「自分に出来る事は何か。
今ベストを尽くしてるのか。
お前にしか出来ない事は何だ。」
それは結構ズシンと来てましたね。
常にそういう視点を持つようになりましたね。
道標ですね。


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