1242 ニッポン放送
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みのりの日記
栗村 智
栗村 智
 
diary
9月 2日
健さんを観て帰ると・・・!!!
ここにきて夜になると、涼風がちょっとだけ吹いてきて、
虫の音もにぎやかに・・・。
季節の移ろいは、少しずつ感じられてきてはいるけれど、
昼間のいやホント暑いことには、閉口しますね。

以前は、昼間暇だなと感じるや否や、
アズ・スーン・アズ、パチンコ屋さん直行でしたが、
タバコをやめてから、足が遠のき、
最近はもっぱら、近くのシネコンヘ・・・。

行きつけの「流山おおたかの森」は、
ゆったりと時間を過ごせる最適の場所でして、
先ずは2階のペットショップで、
ポメラニアン君としばらく見つめあって、
会場のシネコンで久しぶり、我らが健さん主演の「あなたへ」を観ようと、
チケット自動販売機としばらく格闘。
我ながら、アナログ爺さんまっしぐらを思わせる鈍さ。
ようようのことで、ガラガラの劇場のシートに、
少々イライラしながら腰をしずめたのですが・・・、
あれ〜ガラガラだよ。
たくさんのお客を見込んで、300人は収容できる劇場を
割り当てたんでしょうに・・・。
30年前の寄席の定席夜席を見ているような錯覚が・・・。
ひーふーみーよー・・・あらぁー12人しかいない・・・。

周りに誰もいないゆったり感。
そして大型スクリーンに映し出される、
鮮やかなロケーションの美しさに、
ゆったり、たっぷり、の〜んびり・・・旅ゆけば…三日月・・・!?
タハっ・・・こりゃ勝浦の温泉のCMでした。
ストーリーはご覧いただくとして、81歳になられた、
我らが健さんのかくしゃくとした相変わらずのお姿に、
私、感服いたしました。
長崎の平戸、九十九島の遠景、それはもうきれいな風景ですよ。

あたまのてっぺんからつま先まで「高倉健」になりきって、
家まで帰ってくると、我が家の女どもが大騒ぎ!
なんと!うちのばあさんが、近所のショッピングセンターの福引で、
房総勝浦温泉ホテル家族招待を、引き当てて帰ってきたのですよ。
「え〜!!!、ゆったり、たっぷり、の〜んびりの
勝浦に泊まれるの???」
昼間シネコンで、上機嫌で歌ってた文句だよ。
帰ってきたら、勝浦温泉ホテルご招待!
果報は寝て待てっていうけれど・・・。
馬券も一向に当たらないけれど、
たまには、いいこともあるもんだ!

てえことで、再来週、温泉行ってきまあす。
8月22日
朝呂久さん
きのうは休みを取って、朝から埃にまみれたわが部屋のお掃除。
娘に車の中のお掃除用に買ってやった小型掃除機が大活躍。
隅から隅までずっずいーと、たまりにたまった埃を吸い取ってくれて、
思ったより早く終了。
これまでの寄席や落語会のパンフレット、
新聞や雑誌の切り抜きを整理していて、
無性に寄席に行きたくなっちゃいましてね。
ネットで本日の寄席をチェック!

むむーあっ、そうだ!
一之輔さんが真打に昇進、50日間に及ぶ披露興行を終えて、
初めて寄席のトリをとる、上野・鈴本8月下席夜の部。
しかも、代演で大好きな円太郎師匠の名前もあり、
残暑厳しき昼下がり、上野広小路まで、
汗びっしょりになって向かいました。
千代田線・湯島駅から春日通りをトコトコ歩いていて、
甘味の「みつばち」のアイスのショーケースが目に入り、
ドライアイスを、たっぷり入れてもらって、
楽屋の皆さんにお差し入れ・・・。

久しぶりに開口一番、前座さんからぼーーーと聞いていたら、
前座の朝呂久さん、11月にめでたく二つ目に昇進するとのこと。
口調も滑らかに「一目上がり」の一席。
隠居・大家さんと八五郎の会話が、実にほのぼのとして、
ありゃーしばらく見ないうちに上手くなってる・・・。
さすが、一朝門下、一之輔さんの弟弟子!
いや、お世辞でなく先頼もしい高座に接することができました。

実は私、ご本人は覚えていらっしゃらないでしょうが、
朝呂久さんが、一朝師匠に弟子入り志願の場に、
たまたま遭遇しているのです。
寄席へ行くたびにノートに書き留めている、我が寄席備忘録によると、
今から5年前、2007年・池袋演芸場8月上席昼の部。
毎年、小三治師匠がトリをとって、立ち見でにぎわう池袋演芸場。
楽屋前の喫煙所、私の隣に毛脛もあらわに、
七分のパンツにTシャツ姿の、妙に落ち着きのない坊主頭の青年が・・・。
楽屋口の扉が開いて、出番を終え帰途に就く一朝師匠が出てくるや否や、
小柄な師匠に走り寄り・・・
「あのーーーお弟子入りをお願いしたいのですが・・・」
「おっ俺?ちょっと待って・・・今日はこれから、
ほかに仕事があるから、あした、うちに電話しておいで。
ここに電話番号書いておくから・・・仕事は?」
「運送業です。4トントラックのってます。」
「わかった、話は明日ゆっくり聞くよ」てな、やりとりがありました。
一朝師匠は、彼が小三治師匠と間違えているのではないのかと、
怪訝な気持ちだったらしいのですが、
翌日、どうやら弟子入りが許されて、
その翌年には、寄席の定席の高座返しをやっていた・・・という次第です。

自分にも、弟子入り志願の経験があるだけに、
このシーンは、私の脳裏にしっかりと、刻みこまれているわけですよ。
その朝呂久さんが、艱難辛苦いくばくぞ!
5年の歳月を経て、すくすくと口調のよい噺家さんに
成長しているのを目の当たりにして、いや、とても嬉しかったです。
円太郎師匠の「締め込み」、
トリの一之輔さんは、円太郎さんにお稽古してもらった「百川」の一席。
蒸し暑い夜道を、湯島に向かって気分よく家路につきました。
8月15日
小三治 健在!!
オリンピックで、仕事・プライベイトともに夜更かしが続き、
ふらふらになりつつも、 毎晩寝るときには、
この間、思い切って買った「古今亭志ん朝・大須演芸場CDブック」を開いて
一枚ずつきいて、ついに30枚制覇!
も〜う、タップリ味わせていただきました。

さっ、そうなると、生でホッと聞き惚れる高座に巡り合いたい!
本当に落語ファンてぇもんは、欲深いもんでして・・・。
このところ、肩透かしを食ったように、 定席ではずれの
小三治師匠の独演会が「よみうりホール」で・・・。
総務部の落語好き・高杉君のお誘いを受け、
おっとり刀で1000人飲み込む大ホールに向かいました。

言いたてのところで言いよどんだり、
噺の中の都都逸の文句を忘れちゃったり・・・。
師匠も72歳。
もう、あの鈴本で独演会をやっていたころの切れ味は、
無くなってしまったんだろうなぁって、
半分あきらめていましたが、そんな私がバカでした。

一門の〆治さんの後、中入りをはさんで、小三治師匠の2席。
最初が湯屋番を45分たっぷりサゲまで。
そして、しめに柳家の本寸法「粗忽長屋」を枕軽めに15分・・・。
このところ枕がものすごく長くて、首をかしげていたんですが、
今日は、間延びしない結構な噺の運び。
生で「湯屋番」聞くのも、
それこそ「粗忽長屋」を味わうのも30年ぶり!
大好きで弟子入り志願もした、メジロ、5代目小さん師匠が、
お墓に持って行ってしまったと思っていた、
柳家の看板「粗忽長屋」に再び、出会うことができました。

もちろん5代目存命中は(全盛時:昭和40〜50年)、
誰も高座にかけなかった、小さんのお家芸。
最近は、若手の噺家も盛んにやっているネタですが、
これまで「これだ!」という「粗忽長屋」に巡り合えませんでした。
でも、この日は座席でため息が出るほどの結構な一席。
だから、寄席やホールに頻繁に通わなくっちゃ!
相手は、生ものですからね。
72歳・10代目柳家小三治健在を目の当たりにして、
至福の真夏の夜のひと時でした。
8月 9日
GRATE SUCCESS
4月からスポーツ現場に復帰して「いやぁ本当によかったなー」と
思わず涙ぐんでしまう出来事がありました。
燃えるような日差しが照りつける千葉は海浜幕張の
「QVCマリンフィールド」に取材および経過送り
(ゲーム実況を放送と同じように実況して有楽町に送る)で出かけた、
その試合前のグランド。
あまりにも蒸し暑いので、
そろそろエアコンで冷やした放送席に戻ろうと思った、その時です。
おおがらな外国人の一行・4人の姿がマリンフィールドのグランドへ・・・。
まもなくビジターの埼玉西武ライオンズの打撃練習が
始まろうとしている時でした。

それまでの新聞報道で、MLB・アリゾナダイアモンドバックスが、
日本で今年、FA権を持つプレイヤーを実際に見に来ているのと、
石巻の被災地で野球教室を開くために、
8月1日から一週間の日程で来日しているということは分かっていたのですが、
なんと、その一行の先頭、ダイアモンドバックスの黒いポロシャツを着て
歩いている初老の男性を見て、思わず「あっ!!!」と叫んでしまいました。

「デレク・ホールさん!!!」

今回の日本表敬訪問の団長役・アリゾナダイアモンドバックスのCEO・球団社長が、
懐かしのデレク・ホールさんだったのです。
彼には1995年、野茂英雄メジャーデビューのときから3年間、
ロサンゼルス・ドジャース広報アシスタントとして、
それはもう、お世話になった方なんです。
2002年には、石井一久・ドジャースデビューの年に、
広報室長に出世して、何かと面倒を見てもらいました。
元々、アリゾナ州立大放送・ジャーナリズム学科を出た、
いかにもアメリカ人らしい、陽気で腰の低い人でしたが、
2002年、ロサンゼルスから帰国する時、
彼に「アイ・シャル・リターーン」なんて、
マッカーサーみたいなこと言って、別れて以来の再会でした。
その後はロサンゼルスで、
スポーツを扱うテレビのワイド番組のキャスターや、
ラジオでドジャースのゲーム前の番組のキャスターをやっていると、
風の噂に聞いていたのですが、
まさか、メジャーリーグの球団社長になっていたとは・・・!

当方、2006年に体を壊して、
「もうメジャーには行けないなあ〜」といじけていたんで、
メジャーリーグのメディアガイドも、
わざと見ないように遠ざけていましたからね・・・。
その間に彼は、2005年、アリゾナダイアモンドバックスに入り、
目覚ましいファン開拓・業績アップを成し遂げ、
今回、自らも日本のプロ野球を目の当たりにしようと
来日していたんですね。
デレク・ホールCEO、ケビン・タワーズGMに、
ジョシュ・ラウィッチ広報部長。
そして、かつてのスタープレイヤー、
ダイアモンドバックスの永久欠番になった、
背番号20をつけていたルイス・ゴンザレスさん。
ニックネーム「ゴンゾー」といえば、メジャーファンなら、
おわかりになりますよね!!!
2001年、ヤンキーズを下し、
ワールドチャンピオンになった時のサヨナラタイムリーを打った、
かつての主力バッターで、2008年に引退するまで、
19年間にわたる現役生活で、2591安打596二塁打354本塁打。
彼の全盛期・2001年の成績は、162試合出場、
打率325、57本塁打、142打点とたいへんなプレイヤーで、
現在は、球団スペシャルアドバイザーとして、
活躍しているのだそうです。

それはそれは、タイヘンな顔ぶれなんですが、
彼らの傍ではしゃぎまくっているのは私だけ・・・。
ライオンズ・中島選手を見に来たのを
新聞記者の一団も遠巻きにしているだけで、
あの「ゴンゾー」が来ているのに、誰も知らないのには、
ちょっとどころではない寂しさを感じました。
デレク・ホール氏曰く、
「甲子園で今年FAの藤川・鳥谷もみてきたよ。
どこかに野茂のように切れの鋭いフォークボールを投げる、
安く契約してくれるピッチャーがいたらぼくに連絡してくれよ。」
ウィンクしながら差し出したビジネスカードには、
まぎれもなく、PRESIDENT end CEOと書いてありました。
スポーツ現場に復帰しなかったら、
こんな劇的な経験もできないわけですからね。

人工芝の輻射熱で燃えるように熱いグランドでの取材。
木の遠くなるほど、長〜い西武ドームの階段・・・。
体に強烈に答える、タフなコンディションでの仕事に、
逆戻りしてしまったという後悔も、
ちょっぴり持ち始めていた時だけに、
「8月7日、今日は何たる吉日ぞ!!!」
心から、勇気づけられる出来事でした。
一行は、一週間の視察の日程を終え、
火曜日、マリンフィールドからゲーム途中、
直接成田に向かいフェニックスへと帰国の途に就きました。
8月 2日
落語協会・夏の寄り合い
今年も協会の夏の寄り合いの季節が・・・。
去年はひんやりと肌寒い中で行われ、
浴衣も心地よかった記憶があるのですが、
いやぁー今年はうだるような暑さで、
そろいの浴衣の下、地肌を汗がたまになって流れ落ちてゆきます。

燃えるようなお日様が宙天高く昇らんとする
午前11時に浅草演芸ホール前に集合。
志ん馬師匠なんか、用意宜しく大きな麦藁帽子を被って、まるで海水浴。
小三治会長を先頭に協会員・マスコミ各社そろって、仲見世をお練り。
市馬副会長以下柳家のみなさん、口を揃えて、
「これじゃあ『かぼちゃや』の与太郎とおんなじだよ」と苦笑い。
浅草寺本堂前の石段で、記念撮影の後、
みんなで本堂に入ってご祈祷。

その後、国際通りまで出てホテルで懇親会。
ローストビーフ、天ぷら、お刺身、色とりどりのご馳走を提供する屋台が、
豪華に並ぶ中、若手はそろって評判のローストビーフの行列に。
重鎮の居並ぶテーブルでは、皆さんそろって、
食前のお薬飲むため,お水をボーイさんに注文。
屋台形式のお料理ですから、
それぞれのテーブルの前に並ぶお皿の上を見れば
お好みは顕著に現れるわけで・・・。
理事や会長のテーブルは、茶そば、お刺身が一番人気。
若手がおいしそうに頬張るお肉や洋食をうらめしそうに眺めながら、
「血圧、尿酸値、自分の歯が何本残っているか・・・」で、
話に花が咲いているのには、思わず笑ってしまいました。

宴たけなわのところで、恒例の前座さんそろっての余興。
今年も楽しみにしていましたが、期待に違わず、
師匠譲りのいい喉で、市助クンが、春日八郎の「ひょうたんブギ」。
さん坊クンが、兄弟子・喬太郎さんの楽屋入りのモノマネ・・・にも笑いましたが、
こんち秀逸は、市也くんの”はん治師匠の「鯛」の声帯模写”はお見事の一言。
大いに会場が沸いて、大ウケでした。

年々、協会員の数が増えてきている中、
将来有望な若い芽はすくすくと伸びているんですね。
 
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