10月25日
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北海道失恋ひとり旅
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東映創立60周年記念作品「北のカナリアたち」の
試写会に行ってきました。
舞台は、最果ての島・利尻、礼文。
四季折々の風景が、美しく眼前に広がってきますよ!
最果ての島の小学校の分校で、20年前に起きた事故を機会に
当時の先生(吉永小百合)と6人の子供たちが引き裂かれ、
20年後、先生と子供たちが劇的な再会を果たす・・・。
まっ、内容は観ていただくとして、
何よりも6人の子供たちの歌声の美しいこと・・・。
試写会の会場で、すすり泣きが至る所で聞こえてくる、
感動の大作に仕上がっています。
実は私、この映画の舞台、利尻・礼文には、
にが〜〜い、しょっぱーい思い出がありましてねぇ・・・。
あれは、広島カープが初優勝した年・昭和50年。
北海道生まれの女子大生に恋をしてしまいました。
(まっ、笑わないで読んでください)
夏休み前、デパートのアルバイト店員をしているときに知り合った、
髪の長い、つぶらな瞳の女の子。
アルバイトして、大学三年、思いっきり青春を謳歌しようと、
すでに、北海道に出かける予定を立てていたんですが、
恋い焦がれた彼女の故郷が道央と聞いて、
「バイト終わったら、君の故郷へ旅行に出かけるつもりなんだ。
その時、逢ってくれる???」
恥ずかしそうにうつむいてばかりだった、
彼女のしぐさに勝手にOKサインと勘違いした、
私がバカでした。
当時の私はまえがきをする競走馬同様、
えらい鼻息だったことでしょう。
上野から、臨時夜行列車、急行「八甲田52号」に乗って青森へ。
青函連絡船に乗って、大学の先輩の実家・函館に泊めていただき、
急行「大雪」に乗って、札幌から北見に!!!
恋い焦がれた彼女に連絡したら、
「すいません・・ちょうど今日から、
お友達と旅行に出かけるんです。」との冷たい言葉が、
公衆電話の受話器から・・・。
悲しい失恋でした。
「今日あたり、北海道に来て、連絡がくるだろう、
その頃すでに、友達と旅行に出かける約束をしているなんて???」
辛かったっす・・・。
いきなり傷心旅行に代わってしまい、
やけのヤンパチ、旭川に取って返し、
急行「天北」(37年前はディーゼル急行でした。)で稚内。
そして、どうせなら最北の地を目指し、着いた所が、
利尻富士を真正面に仰ぐ、礼文島・香深の港でした。
船着き場で、客引きのアルバイト学生に誘われて、
民宿「おふくろ」に疲れた体を落ち着かせ、
人生初の深手を負ったわが身を、癒すことにしたんです。
民宿のお母さんから、小っちゃいから、昆布トリには向かないけど、
昼間、港で客引きをやってくれれば、
宿泊代もいらないなんて言われて、大張り切り!
礼文島の西海岸を、8時間かけて走破するハイキングコースを、
先頭切って歩いたり、
夕食後、民宿の広間でテーブルを折りたたんで重ねて、
高座を作って、落語会を開催したり、
忙しく過ごしているうちに、すっかり回復。
結局、礼文・利尻にいたのは2週間でしたが、
夏場なのに、鮮やかな風景を見せてくれるかと思えば、
2メートル先は真っ白で、まったく見えない濃霧の日があったり。
すっかり、里心がついて、落語研究会の夏合宿のある、
8月下旬には東京に戻り、都会の雑踏の中で、
寄席通いを復活させてましたがねぇ・・・。
礼文島のお花畑を、吉永小百合さんと6人の子供たちが、
歌を歌いながら遠足しているシーンを観てるうちに、
つらい、切ない人生初の失恋の思い出が蘇り、
図らずも59歳のオヤジの頬を涙が濡らしてました。
東映創立60周年記念作品「北のカナリアたち」は、
11月3日土曜日ロードショウ公開です。
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10月10日
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7年ぶりの現場!
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昨日のQVCマリンフィールド「千葉ロッテVS北海道日本ハム」で、
今シーズンのプロ野球公式戦も、無事終了しました。
2005年以来、7年ぶりに野球の現場に復帰して、
いやぁ、この半年はしんどかった・・・。
人工透析生活に入って、無理ができないということを、
全く運動できないと誤解してましてね・・・
丸々6年間の運動不足が、もろにたたってしまいました。
何しろ、春先の球場でのグラウンドと放送席の行き来、
大学リーグ戦中、神宮球場と練習場の外苑こぶし球場と
放送席の往復はこたえました。
股関節に激痛が走り、西武ドームのながーーーい階段の途中で、
しゃがみこんでしまう醜態をさらしたこともありました。
腰のケースに入れてある、携帯電話の万歩計は、
球場に行くたびに、およそ1万2000歩を指しているのを見て、
いかにスポーツアナウンサーが、足でネタを探し回るかを、
6年のブランクを経験して、実感をもって味わいましたよ。
それでもうだるような夏場、汗みどろになって上がる、
西武ドームの途中で、息遣いが荒くならなくなっていたのは、
うれしかったですね。
試合前に食べる球場飯、今年一番お世話になったのは、
QVCマリンフィールドの
千葉名物「もち豚持つ煮込みライス」でしたねえ・・・。
みそ味が濃くなく、大根、人参、こんにゃくと一緒に
風味の良いモツがたまらないんですよ。
来シーズン、マリンにいらしたらぜひお試しください。
球場2階のフードコートで売ってます。
この6年間にプレイヤーの顔ぶれも、記者の方の顔ぶれも、
一気に若返っていて、時の流れの早さにも
目を見張るものがありました。
ここ5年のパリーグの球場に出かける人の数、激増しました。
優勝チームも各順位も確定した、昨日の最終戦。
間違いなく消化ゲームなのですが、
QVCマリンフィールドの有料入場者数19269名!!!
川崎球場健在時に主力だった、
元・ロッテオリオンズの水上善雄さんと一緒に、
口をあんぐりあけたまま、ただ顔を見合わせてしまいました。
「俺たちの現役のころ、こんなにお客さんが、入っていたのは、
5月の連休のときだけだったよねえ・・・」
水上さんの現役生活スタートと同時に、
私のスポーツアナ生活がスタートしたので、
彼と久しぶりに会えて、昔話に花が咲きました。
2007〜2009年の三年間、日本ハムのファームの、
コーチ・監督を務められただけに、
大歓声の中、イキイキとプレイする陽岱鋼・中田翔の
たくましくなったその姿に、目を細めてみている彼ももう55歳。
彼も若いときはやんちゃな選手でしたが、
中田・陽両選手のやんちゃぶりをたしなめながら、
成長を見守った元・2軍監督の優しい眼差しに、
またまた、時の流れを如実に感じたわけですよ。
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9月26日
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玉川スミ師匠
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落語芸術協会の芝居(興業)の楽しみ、
三味線漫談の玉川スミ師匠が、昨日お亡くなりになりました。
演芸の世界の最長老、92歳でした。
去年あたりから、高座で拝見していなかったので、
心配はしていたのですが・・・残念です。
よく高座でよくしゃべっていた、小さいころの話の中で、
「あたしゃ、親が13人いるんだ・・・」とおっしゃってました。
旅芸人としてスタート。
第一次落語ブームの昭和35年ころから、寄席定席の色物として、
いや本当に歯切れのいい語り口で売れっ子になりました。
福島のお生まれと聞いていますが、
べらんめえ口調が、たまらなく気持ちの良い芸人さんでした。
晩年は、高座に椅子を出して勤められていたので心配していました。
ただ、いつも鯉昇師匠が噺の枕で、
「何歳かわかりませんが、何でも観音と一緒に
江戸にやってきたらしいと聞いております、芸協最高齢の玉川スミ師匠」
なんてさんざ言ってましたから、
スミ師匠って、不死身だと思ってましたよ。
くたくたに疲れている時、落ち込んでいる時、
スミ師匠の高座は、そんな私に新たな活力を
よみがえらせてくれる、寄席のカンフル剤でした。
三味線漫談というと、落語協会・都家かつ江、
芸協・玉川スミが双璧でしたね。
また、芸人らしいお姉さんが逝ってしまいました。
そういえば、高座の結びで、民謡・会津磐梯山の替え歌で、
「それじゃ皆様、えーーまたあーさよおおなーーら」と歌っていたのが、
今でも耳に残っています。
旅から旅の少女時代の想い。
生まれ故郷を懐かしんで歌っていたのでしょうねえ。
ご冥福をお祈りします。
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9月19日
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房総勝浦、ゆったり、たっぷり、いい気分
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婆ちゃんがスーパーの福引で当てた、
房総勝浦温泉・家族ご招待旅行に月〜火で行ってきました。
蘇我駅で特急「わかしお」に乗り換えて勝浦駅へ・・・。
到着すると、町は「勝浦大漁祭り」の最終日。
色鮮やかな大漁旗。
そして神輿をのせた漁船が、勝浦港周辺の太平洋を勇壮に走り回る、
最終日の呼び物・神輿渡御の真っ最中。
いきなり、お祭りの中に放り込まれて、我が家全員大興奮!
普段はひっそりして、少々さびれてきている町だという人も
いるようですが、お祭りの最終日ということもあって、
町中、活気にあふれていました。
泊まりは、鮮やかな青い海・太平洋を見下ろす緑の丘の上、
「勝浦ヒルトップホテル」。
お部屋は、洋風のスイート。
いくら「ご招待」といわれても、部屋のゴージャスさに、
みんなで顔を見合わせて「普段はいくらとられるんだろう?」などと、
さもしいことを考えてしまい、少々緊張気味。
なかなかリラックスできないのも、貧乏性なるが故でしょうか・・・。
夕食も、海の幸をコンパクトにまとめてあって、まずまず。
何気なく13階の窓から外をみると、
な、なんと!港の入口の灯台の横に、
大きな真っ赤な夕日が沈んでいくのですよ。
こんな美しさは、いつ以来の事でしょう。
絶景かな、絶景かな!
私は、五右衛門か?
思わず息をのむ美しさでした。
このところ、背中腰が張ってつらかったのですが、
温泉の効能の最初に、肩こり、筋肉・関節痛。
これ幸いと、のんびり、ゆったりつかっていたら、
翌朝にしつこいコリもほぐれて、大満足。
名物「勝浦朝市」で伊勢エビ、あわび、
いずれも東京に行けば「時価」という高価なものですが、
ご招待気分も手伝って、思いっきり買い込んでしまいました。
久しぶりに磯の香りを含んだ潮風に吹かれて大満足な、
一泊二日のご招待旅行。
「もう一日くらい泊めてくれてもいいよねえ・・・。」
どこまでも、欲深い我が家の面々でした。
ふぅ〜私はまた明日から、こつこつと働きますよ。
今度は福引じゃなくて、自前で行かなくっちゃ。
でも、やっぱり、得したなあ・・・。
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9月13日
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さんまの開き
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最近、一部週刊誌で報じられていた、落合博満元・中日監督重病説。
しばらくお会いしていないので、とても驚き心配しましたが、
6日の講演会に元気に姿を現し、どうやら顔面麻痺を起したものの、
命に別条なしとのことで、ほっと胸をなでおろしました。
和歌山県の熊野灘を見渡す、太地町の落合記念館と東京の自宅、
全国各地での講演会の行き来で、忙しく過ごしているようですが、
以前から「引退したらこの太地町で、ゆっくり海を眺めてくらすんだ。」と
言ってましたから、どうぞ無理をなさらないように・・・。
落合記念館が93年に開館してからしばらくは、
新幹線と、紀勢本線の「ワイドビュー南紀」という
ディーゼル特急を乗り継いで、よく通いました。
豊富な魚介類もさることながら、
一番印象強いたべものは「さんまの開き」でした。
秋本番の脂ののったさんまの塩焼きもおいしいのですが、
こと、北海道でとれた脂ののったサンマを、
熊野山麓の天然水と、熊野灘の天然海塩を使って加工した、
熊野の「さんまの開き」は絶品です。
うちに持って帰ってお酒のお供に、
そしてなんといっても、お茶漬けにぴったりなんですよ。
「ワイドビュー南紀」に揺られながら、尾鷲から熊野市、
終点・紀伊勝浦まで、進行方向左側に広がる熊野灘の美しさも、
「さんまの開き」を頬張ると、鮮やかに脳裏に広がってくる。
日本人にピッタリの食べ物といっても過言ではありません。
9月20日〜26日、新宿タカシマヤ11F催会場で開催される、
「ニッポン放送 うまいもん祭りIN新宿タカシマヤ」で、
今回は、紀勢本線の特急で、紀伊勝浦から特急で40分の、
「熊野市」にある浜峰商店の「さんまの開き」が出店しています。
とにかく、だまされたと思ってお買い求めになってみてください。
絶品ですよ!
「さーんまのひもので、お茶漬けさーらさら・・・」って、
曽根史郎さんも「若いサラリーマン」で歌ってるじゃありませんか!
「ふるいーーー」てか?
いやぁ、それだけ昔から、日本人に親しまれている食べ物だと、
言いたかっただけですよ。
亡くなった母が、よく台所仕事や洗濯の途中、
口ずさんでいたのを思い出しました。
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