1242 ニッポン放送
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みのりの日記
栗村 智
栗村 智
 
diary
8月15日
新潟・思い出の味は健在なり
中央競馬が、夏の新潟開催になって、
3週連続で新潟競馬場に出張しました。
体をこわしてから、しばらく出張はしていなかったのですが、本当に久々。
新潟には、日曜競馬ニッポンで総合司会を務めていたころは、
毎夏土・日せっせと出張したものでした。

当時、土曜日の早朝、L特急「とき」号
(東海道本線を走っていたビジネス特急こだまの車両を使っていました。)で、
上野駅を出て4時間30分、ピッタリ正午に新潟駅に着く列車でした。
翌日「日曜競馬ニッポン」の中継を新潟競馬場から放送して、
午後6時48分、新潟発のL特急「とき」号にゆられて、
上野駅のプラットホームに滑り込むのが、
今でも忘れもしない23時03分という行程でした。
そして83年の夏からは上越新幹線開通で、
所要時間がちょうど半分に縮み、馬券が当たってくれれば、
こんな楽しい出張はなかったのですが・・・。
夏のローカル競馬を馬券でプラス収支で終えるのは
至難の技で、毎回、身も心もへとへとになっていたことを
今でも懐かしく思い出しますよ。

てなわけで、遠い遠い思い出の土地になってしまっていた新潟に
出張指令が出て、99年以来、14年ぶりに出張したのです。
幸い体調もまずまず安定してきたので、思い切って行っちゃいました。
2001年、右から一気に左回りに全面改装。
日本一長い直線コースのレース実況は、とても難しいのですが、
なにせ美味いものに目のない私にとっては、新潟の味に再会できるのが、
何よりうれしかったのです。

新潟の夜、古町通りをそぞろ歩くときの楽しみの一つに、
「天龍」のラーメンと餃子。
もちろん、コメ・酒・へぎそば・枝豆(茶豆)・すいか、
豊かな海産物ももちろんのことですが、なにはともあれ、
天龍ラーメンに足が向いたのです。
当時よりやや人通りが少なくなっているものの古町通りは健在。
そして、天龍も親父さんもお母さんも元気に営業していました。
以前はスナックで酔っ払ってから、仕上げに天龍ラーメンという順でしたが、
14年ぶりの還暦親父の私にとって、今夜のディナー。
煮干しの効いた出汁に、極細麺を軟らかめに茹でてもらって、
餃子といっしょにすする天龍ラーメンは、あっさり味でほっとする、
昔と変わらぬ味でした。

何よりももう行けないと思っていた、新潟に行けたこと。
ひとりで感慨にふけってしまいましたよ。
日曜朝には本町市場で、茶豆(枝豆)をお土産に買って帰りました。
7月25日
嗚呼、デトロイト・・・。
「アメリカ・デトロイト市破綻」。
衝撃のニュースが、先週飛び込んできました。
思わず、デトロイトタイガースの順位を確認すると、
55勝44敗、第2位のインディアンズに
3.5ゲーム差のアメリカンリーグ中地区の首位。
うむ・・・ダウンタウンのまん真ん中にある、
タイガースの本拠地・コメリカパークでは、
ちゃんとゲームはできているんだなあ・・・と。

それにしても、11年前にはじめて訪れた
デトロイトの街の荒れようには、唖然とした記憶が残っています。
「自動車の町、モータウン、
60年代の音楽の中心モータウンレコード、発祥の地」に
足を踏み入れるときめきを胸に、
イチローのシアトルマリナーズの担当記者に
「どこのホテルをとればいい?」なんて呑気なことを言っていて、
彼らに叱られました。

「君、映画のロボコップのまちだよ!
まず身の安全を確保するのが大切だ。
デトロイトの市内は、怖くて泊まれない。
コメリカパークから車で30分くらい行った
郊外の町のホテルがいい。たくさんの日系駐在員や、
かつてデトロイトに住んでいた人たちが、住んでるんだよ。
昼間でも、球場以外には行かないこと!命の保証はできないよ!」

かくして、向かったデトロイトの街が、
着陸態勢に入った飛行機の窓から見えてきた時は、
高層ビルが立ち並び、先進的な都市に思えたのですが、
いざ、車に乗って街中を怖いもの見たさにのぞいてびっくり!
「これが先進国、アメリカなのか?」
ダウンタウンのまん真ん中の高層ビルには、人っ子一人おらず、
窓という窓のガラスは、爆破されて、すべて割れている・・・。
まさに廃墟、映画のセットのような、凄惨な風景が
目に飛び込んできたのですよ。
昼間でも車を下りて、歩くなんてとてもできません。
ドラッグと犯罪の巣窟となっている廃墟が、立ち並んでいるのです。
街の中を流れているデトロイト川のむこうには、
カナダのウインザーという町のきれいな街並みがみえるのに・・・。

荒んだ中心街を再開発する目的で、2000年に完成したのが、
タイガースの本拠地・コメリカパーク。
試合が行われているうちは、とても快適で安全ですが、
終わると、早めに退散するというのが、ここでの常識。
日本のタイガースファンのように、試合終了後、
「六甲おろし」で気勢をあげていたら、
大変なことになってしまうとんでもない街なのです。

そんな街のど真ん中で、アメリカ一の剛球投手、
ジャスティン・バーランダーが投げています。
2002年、そして2005年のオールスターゲームでの帰り、
球場のまわりのコンビニには、
観客の捨てて行ったビールの空き瓶や空き缶を
たくさん黒い大きなビニール袋に入れて、
レジに並ぶホームレスたち・・・。
レジで買ってもらって、そのお金で彼らの晩飯にありつくという姿・・・。
まさに貧富の差の激しさを目の当たりにして、気が重くなった思い出が、
このたびのデトロイト破綻のニュースを聞いて蘇ってきました。

この凋落、60年代の経済的な日本車の攻勢が
きっかけだというのですから、余計複雑ですよね。
未来のニッポンがそうならないことを祈るのみです。
7月11日
18年前の、ダラス(アーリントン)の暑い日
いやぁ、毎日暑いですね・・・。
昨日、山梨県甲州市勝沼で39・2℃。
東京都心も、4日連続で最高気温35℃以上の猛暑日となりました。
これが8月ならまだしも、まだ7月ですからね。
みなさんもお気を付けください。

「夏は、暑いもんじゃ」は、先年亡くなった父の口癖でした。
なにしろ、生まれ育った広島という所は、
尋常な暑さじゃありませんでしたからね。
夕方、毎日申し合わせたようにピタっと風がやみ、
猛烈な蒸し暑さに襲われる・・・。
近所の友達の家にクーラーがあるのが、
うらやましくてうらやましくて・・・。
その後、上京してからの東京の暑さも何とか耐えられたのは、
瀬戸の夕凪の中で育ったからなのでしょう。
この「広島の夏」こそが「人生の中で最高クラスの暑さ」だと
信じて疑いませんでした、あの夏までは・・・。

でも、世の中には上の上があると思い知ったのが、
今からちょうど18年前、野茂英雄の
MLBオールスターナショナルリーグ先発試合中継で訪れた、
テキサス州ダラスとフォートワースの間にある
アーリントンの「ザ・ボールパーク イン アーリントン」。
今の「レンジャーズボールパークインアーリントン」の
焼けつくような暑さでした。
行く前にヤクルトの助っ人外国人、ヘンスリー・ミューレンから、
「とんでもない暑さだから、水のボトルを手放さないように!
できるなら、バミューダにTシャツ姿が一番なんだがね。
日本に来て、東京も広島も名古屋も結構暑いと思ったけど、
テキサスの昼間にくらべれば、めじゃないね!」と
教わってはいたものの・・・。
オールスター2日前、前半最終戦「レンジャーズ対ヤンキース」が、
デーゲームで行われているのには、度肝を抜かれました。
しかも、スタンドで日本から持ってきた温度計を見て
またまた、びっくり!
なんと華氏110度(摂氏43度)でした。

2日後のナイトゲームで行われた
1995・MLBオールスターゲームは、放送開始時34度、
終了時31度という外気温。
先発で見事な投球をした我らが野茂は、
「いや、ちょっと暑かったけど、
ナゴヤ球場のナイターよりましでしたよ。」と、
何食わぬ顔で話していたのを思い出しました。

今、ダルビッシュ有投手のホームグランドは、
なんと、そのかつての「ザ・ボールパークインアーリントン」。
早朝見る衛星放送では、その凄まじい暑さは伝わってこないので、
わかりませんが、ここにきて、猛烈な暑さの影響が、
多分に彼を襲っていることは、間違いありません。
ダラスの郊外、アーリントンの真夏の祭典は、
1995年7月11日でした。
あの暑い日から、今日でちょうど18年の歳月が過ぎ去ったことを、
ここ数日の猛暑日が思い出させてくれました。
6月27日
あとひとり!
昨日は、会社宿直。
報道に張り付きながら、ナイター中継時間中は「ナイター中継カバー」
(通常より早く終わった時に決められた時間まで穴埋めアナウンスをする)で、
午後6時から、予定されているナイターゲームが、全て終わるまで、
スポーツ情報センターでスタンバイしました。

昨日は神宮の「ヤクルトーDeNA」と、
金沢の「中日ー阪神」の2カードが雨で早々と中止。
残された4カードの中継が、それぞれ有楽町の情報センターに流れてきて、
なかなか緊張感のある現場なんですよ。
放送本番・マツダスタジアム「広島ー巨人」戦は、
ジャイアンツ6投手の完封リレーで、早々と8時38分終了。
さあ、次はどこへ?

そんな時「古谷ってピッチャー・・・えーだれ?」と
情報センターでは怪訝な声が・・・。
すでに東京ドーム先発の日本ハム・大谷は、6回3失点で降板。
これまでほとんど注意を払っていなかった、京セラドーム大阪の、
「オリックスーロッテ」が、急に情報センター全員の注目の的に!
なんと、ロッテ先発の古谷拓哉、8回2死まで完全試合。
「7対0」でロッテリード、惜しくも高橋信二にフォアボール。
でも「ノーヒットノーランが・・・」ってわけで、
急きょ、放送を京セラドームにつなぐことに・・・。

このカード、昨日予定されていた6カード中の「第5予備」!
いわゆる、ニッポン放送ショウアップナイターの最後の砦。
と言っても、間に東京ドーム・西武ドームが組まれていましたから、
解説者は送っておらず、地元MBSの森本アナウンサーが、
ただ一人で、絶叫中継していました。
とはいえ、完全試合・ノーヒットノーランゲームを実況できるのは、
実況アナウンサー冥利に尽きるもの。
森本君もハイテンションで放送席から、気合の入った実況。
解説者はおらず、ワンマン実況残念ながら、
あと一人、バッター・坂口で、センターオーバースリーベース。
でも、気を取り直して、8年目プロ初完封の快挙、古谷拓哉投手!

結局、大記録達成はなりませんでしたが、
僕もこういう場面、は〜るか昔に1回、経験していますよ。
今から30年前の昭和58年8月20日、川崎球場「ロッテー近鉄」戦。
アンダーハンド・仁科時成投手、ノーヒットノーランにあと一人。
仲根にライト前ヒットを浴びる!!!
この時も、ナイター中継「第5予備」解説者はおらず、
私一人、実況でスカスカの客席を前にしゃべった思い出があります。

苦い思い出もたくさんありますが、達成したケースの経験もありますよ。
平成6年5月18日、ジャイアンツ・槙原寛巳の完全試合。
2000年4月7日、中日のメルビン・バンチ、ノーヒットノーラン。
いずれも、あと一人の難しさ、これも野球の醍醐味というものなんですね。

そういえば、きのうのロッテ・古谷拓哉投手といい、
育成からの西野勇次投手出現など、
今年から就任した、斎藤明雄・川崎健次郎両投手コーチ。
そして、そのお二人が、それぞれ横浜・ヤクルトで師匠と仰いだ
名伯楽、ベテランの小谷正勝コーチが、
ファームのピッチングコーチに就任したことが、
ロッテが首位に立っている要因の一つであるようです。
この件に関しては、いずれまた・・・。
6月20日
梅雨空と台風が重なるとは・・・
7年ぶりにスポーツアナに復帰して早3か月、
いよいよプロ野球シーズンまっさかり、
毎日が変化に富み、とてもポジティブに毎日を送っています。

が、一つ、とてもつらいことが。
毎朝、野球のスクラップに記録つけ・・・3時間かかります。
他局ではそうでもないでしょうが、
我がニッポン放送・ショウアップナイターの伝統で
この作業は、スポーツアナウンサー誰一人かかさずやっていること。
さらに、中継担当日の準備は、担当勤務がデスクから発表されて、
担当日遅くとも1週間前から資料準備、ネタ集めにかかります。
何が疲れるって、この作業が一番疲れるのですが、
精神安定上も、絶対欠かせないんですよ。
そして、当日の天気はかなり前からチェックするのです。
東京ドームや西武ドームならいいのですが、
全天候型でない球場の本番担当ともなると、
天気図とのにらめっこが始まるのです。

22日・土曜日、横浜スタジアム「DeNA×阪神」の、
ナイター中継を担当します。
東北地方まで今週梅雨入り。
合わせて、台風4号が沖縄付近から北上・・・。
ちょっと嫌な流れとなりつつありますよ。

一度、スポーツアナの現場から離れて、
何が楽だというと、この本番前の煩雑な作業から
解き放たれるということですね。
でも、この作業が喋り手として、
やりがいもあるんですよ。

あわせて、前日21日は、我がアナウンサールームの
ルーキー・東島衣里アナの歓迎会・・・。
制作デスクは・・・
「栗村さん、翌日が本番なら、前の晩OKですよね?」
スポーツアナウンサーなら、そんなことできません。
スポーツアナウンサーってまあ、プロ野球シーズン中、自由がきかない。
それはタフなきつい仕事ですよ。
ただ、マイクの前に座ればいいと思われているのが、
残念というか、悔しいというか・・・。
それでも、このスポーツアナの毎日、
これがたまらんのですよ、楽しくて。

一つ、玉にキズは、大好きな寄席、
特に昼席のゆったりとした客席で寛ぐ楽しみが、
夏場は無理になってしまうことですね。
「あら〜台風が・・・梅雨前線が・・・」
今週は天気とにらめっこしながら、
「DeNA×阪神」戦の実況資料作成に精を出しています。
 
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