8月21日
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昭和42年夏…、アルプススタンドにて
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真っ青な空、飛び交う白球、ほとばしる汗!
夏の高校野球って、観る者の心を奪う感動の物語ですよね。
21日、準決勝2試合が行われ、
我が故郷・広島代表、広陵高校が40年ぶりに決勝進出を決めました。
春は優勝の経験のある広陵ですが、
夏は決勝進出も「40年ぶり」なんですよね。
実はその40年前、昭和42年(1967年)広陵高校が、
全国制覇をかけて千葉代表の習志野高校と戦った決勝戦を、
中学校2年生だった私は、広陵高校OBの父と共に、
あの灼熱のアルプススタンドで、カチ割りすすりながら観戦しているのですよ。
2年生エース宇根洋介の好投で、あれよあれよと勝ち進み決勝進出。
野球ファンの父が、 急に思い立ったように、
「サトル、カープは弱くて応援のし甲斐がないが、広陵は強いでェ。
日帰りで決勝、観に行こうや?」と言って、
朝早く、急行「びんご」号に親子で飛び乗って、
甲子園球場に向かいました。
初めて見るマンモススタジアム・甲子園球場は、威厳があり、
壁にからんだ蔦が、歴史を醸し出しているようでした。
広陵優勝の瞬間を目の当たりにしようと、
期待に胸ふくらませて座ったアルプススタンド。
それまで、小さな大投手といわれていた2年生エース宇根投手の調子が、
さすがに、決勝まで来た疲労のせいかよくありません。
親父と「どうしたんじゃろ?決勝の緊張とこれまでの疲れが出たんじゃろうか?」
親子で首かしげているうちに、
習志野高校に「7対1」で負けていました。
がっくりして、夜行列車に揺られ、帰った翌日。
地元の中国新聞に、宇根投手は広島県大会の決勝戦で、
スクイズを失敗した時、利き腕の指を怪我していたとありました。
甲子園・準決勝までの間は、 血豆の血を抜きながら、
ごまかしごまかし粘投していたんですが、
決勝戦でついに指の豆が破れ、力尽きたという記事が出ていました。
マンモススタジアムで、実際に彼らを取材して記事を書いたり、
ラジオ・テレビで実況して、その感動を伝えたいと思った
きっかけとなった出来事でした。
その時の思い出の一コマに、帰りの夜行急行「日向」を待つ間、
大阪駅前の大衆食堂で、冷麦とちらし寿司を頬張ってる我々の頭の上に、
天井から釣ってある大型テレビから流れてきた、
ザ・ワイルドワンズの「想い出の渚」が、今でも耳に残っています。
「想い出の渚」って、ちょうどこの頃、流行ってたんですよね。
今の若い世代でも歌える人がいますから、歌本とか、
ひょっとすると、学校の音楽で習ったなんて人もいるかもしれませんね!?
さて、8月25日と9月1日の「栗村智 あなたと朝イチバン」は、
その学生時代の音楽にスポットを当てていきます。
題して、「学校で習った、あの歌リクエスト」です。
あなたのリクエスト、思い出をお寄せくださいね。
プレゼントも盛りだくさん、フッチーも帰ってきますよ!
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8月17日
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お盆も盛況、東京の寄席
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昨日、急に思い立って、自分の部屋の掃除を始めました。
溜まっていた古新聞古雑誌を紐で縛ってまとめ、
散乱していたCDも、ちゃんとケースにしまったところで、
汗みどろ…。
掃除機をかけることも、拭き掃除も出来ず、
本箱の整理をしてるとこで、手が停まってしまいました。
そんな時、本箱の間から落語協会誌「ぞろぞろ」創刊号をはじめ、
1989年から90年にかけて発刊された懐かしい小冊子が、
“ぞろぞろ”出てきてしまったのです。
もう、懐かしい記事に読みふけってしまいましたよ。
90年新年号の新前座紹介面、柳家さん坊(現・柳家喬太郎)、
入船亭扇たつ(現・入船亭扇辰)、林家きく兵衛(林家彦いち)さん達が、
ちょうど、入門した年なんですねぇ。
写真付きで、喬太郎さんの坊主頭には笑ってしまいますよ。
その中で興味深い特集記事に目が留まりました。
なんと1989年11月の時点、当時の若手真打9人の座談会のタイトルが、
『寄席離れ、落語離れ、池袋の灯を消すな!
寄席不入りの原因と、その対策』とあるのです。
以前、このコーナーでも触れたのですが、
当時、本当に寄席の客席は、ガラガラだったんですよね。
特に池袋演芸場なんて、一日のお客さんが10人を超えない日が
たびたびあったんです。
今、50年ぶりの落語ブーム。
お盆休み中の都内の寄席、新宿末広亭・上野鈴本演芸場・浅草演芸ホール、
池袋演芸場・国立演芸場どこも満員立ち見で、お客さんが鈴なりデスヨ!
あの頃、寄席の世界に飛び込んだ喬太郎さん、扇辰さん、彦いちさんが、
満員の客席をどっと沸かせてるんですから。
感無量です。
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8月10日
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子育て奮闘中、フッチー宅へ陣中見舞いに行ってきました
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6月28日に待望の赤ちゃん、男の子を出産したフッチー。
週1回くらいの割合で、近況をメールしてくれてましたが、
今週の木曜日、うだるような暑さの中、東京某所のフッチー宅へ、
「あなたと朝イチバン」スタッフ一同からのお祝いを、
届けに行ってきたのですよ。
イラッシャーイの声と同時に見たフッチーの普通の立ち姿。
「おーっ!」と驚きの声が…。
だって春先から、ずーっとおなかの出っ張ったフッチーしか
見てなかったもんで…。
先ずは「舜ノ介」君とご対面。
気持ちよくお昼寝中を起こしてしまい、ちょっとご機嫌斜め。
でも、新米ママに抱かれると安心したみたいですぐ泣き止みました。
くっきり二重の目。
口元は、母親・フッチーそっくりのおちょぼ口。
手足が長くて、こりゃ先行き楽しみな容貌。
おなかにいる時に、私厳選の落語のCDばかり聞かせてまして、
誕生日も古今亭志ん生師匠と一緒なのですが、
落語界というより、お芝居の世界へ進みそうな2枚目さんでしたよ。
寄席文字の「橘右楽」師匠に、縁起のいい寄席文字で書いていただいた額を、
お祝いに持って行きました。
舜ノ介君の手形・足形を朱で押した下には、右肩あがりの寄席文字で、
「身体健全・学籍優秀・品行方正・意気軒昂・緊褌一番・大願成就」と
書かれた縁起額。
そうそう、書いていただいた右楽師匠には今、
「栗村智 あなたと朝イチバン」の千社札をお願い中です。
もちろん、出来上がったらスグにお披露目しますね!
少し脱線してしまいましたが、
フッチーは、抱き癖がついた舜ノ介君を抱えて、
睡眠が小刻みでしか取れない辛さがあるようですが、
フッチーの頑張りとこまめなご主人の協力で舜ノ介君もすくすく成長してます。
今のところ、フッチーのアシスタント復帰は「8月25日」の予定です。
お楽しみに!
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8月 3日
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ミネソタの悲劇
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昨日は、台風5号の接近で福岡ドームのゲームが中止…。
今朝、スポーツ新聞を呑気に拡げて眺めていたのですが、
あれっ?アメリカのミネソタ・メトロドームも中止?
放送局勤めながら、つい昨日は夜から、
ニュースに目を通していなかったわずかな空白の時に、
世の中、大変なことが起きてました。
アメリカ・ミネソタ州、メトロドームのすぐそば、
大河ミシシッピをはさんで、ミネアポリスと
ミシシッピ州都セントポールをつなぐ高速道路の橋が崩落し、
大惨事になっていたのです。
ドーム球場のゲームが中止になるのは台風…。
アメリカのハリケーンは尋常じゃないから、
そちらもそうと思ってたら大間違い!
一日の交通量20万台という要衝で馬鹿でかい橋が、
いくら建造40年、補強工事中だったといっても…。
実は私、2001年・2005年に4〜5回、
ミネソタ・メトロドームの取材でこの街を訪れ、
崩落した橋を、何度となく渡っていたのですよ。
宿泊はミネアポリスの繁華街でしたが、
日本食レストランで、さば焼き定食が美味しいお店が、
お隣の町・セントポールにあり、よく食べに行ったのです。
ミネアポリスもセントポールも、近代的な綺麗な街で、
冬、零下20度にもなる寒さの厳しい所ですが、
冬の間、アイスバーンになってる路を歩かなくても、
「スカイロード」という、ビルとビルを繋いでる通路があり、
非常に合理的に出来た、水と緑の豊富な、
私の大好きな街の一つだったのです。
建物もレンガ造りの歴史を感じさせられる街並みが残っています。
これ、地震にたびたび脅かされている日本では信じられないことですが、
アメリカでは西海岸以外は、地震のほとんどない所のせいか、
建物の補強、強靭さは、日本の建物とは比べ物にならないくらい
脆弱なものなんですよね。
地震大国・日本は、何度も酷い目に遭いながら、
強靭な建物を作る知恵を備えていますが、
地震が無い国は無い国で、こういう悲劇が起こるんですね。
どっちにしても最悪の事態を想定して、事を運ばないといけません。
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7月26日
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やっぱり寄席ブームが、やってきているッ!
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いやぁ、暑くなってきましたねぇ。
今をさること30年前、アナウンサーかけだしの頃。
この時期は、ナイター中継で情報アナウンサーやって、
へとへとになって帰る西小山の6畳一間のアパートは、
鍵を開けると、モアーっとした熱気が漂う、
それはそれは、汚い部屋…。
万年床のジメッとした、あの感触。
今では懐かしい思い出ですが、
その頃、2週間に一回やってくる休みに、
真夏に灼熱地獄のアパートを脱出して、
“立て篭もる”所がありました。
そこはひんやりとした冷房が完備された、
それはそれは広い空間…。
池袋演芸場の昼席から夜の部のトリがあがるまでお客さんが7〜8人。
畳敷きの席に座椅子が並べられていた、以前の池袋演芸場…。
広い広い畳敷き、自分ちの何倍もある座敷を午後2時頃には、
私一人ってこともありました。
先代の紙切・正楽さんが高座に出てきて、
まずは、はさみ試し「おけさ節」をきってくれた後は、
私一人相手に、「おめかけさんの行水」「ミスターシービー」
「勧進帳弁慶」「隅田川夕涼み」と好き放題に注文できて、
まるで、金持ちの旦那が料亭のお座敷に正楽師匠を呼んでるような
贅沢な気分を味わうことが出来たものです。
昭和50年頃、寄席のお客さんの入りは、こんなもんだったのですよ…。
いや、ホント!
そんな池袋演芸場に、土曜日2時開演ということで、
池袋西口に降り立つと、なんと従業員さんが汗だくで、
「池袋演芸場・昼の部お越しの方、列の最後尾はこちらでございます。
今、お並びになってもお立ち見でございます。」ですって!
いくら柳家喬太郎・入船亭扇辰・柳家三三・三遊亭白鳥と
若手実力噺家が揃う、なかなかの顔ぶれではあるのですが…。
中は熱気むんむん、あの旧式のクーラーの音が悲しくひびいていた、
“秘密クラブ”池袋演芸場とは思えない賑わいでしたよ。
確かに、着実に、寄席ブームはやってきていますね!
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