2月 9日
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師弟関係とは
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ついにというか、ようやくというのか、
前・時津風親方が逮捕されましたね。
一人の大切な若い命を摘み取ったこの行為、
師弟関係って何なのか、考えさせられました。
一日も早い真相の究明が、待たれますね。
一方で温かい師弟関係で毎朝ほろりと来てしまうのが、
NHK連続テレビドラマ「ちりとてちん」。
佳境に入ってきましたよ。
ほれてほれて師匠に入門した若手落語家たちの
噺家修行の様子が気になって、毎日ビデオにとって観てるんです。
大相撲と落語界では、かなり違うとは思いますが、
それぞれの持ち味を、切磋琢磨することに違いはありません。
昨日、その師弟関係で、ほほえましい師弟関係を目の当たりにしました。
お江戸広小路亭で開かれた「第十回瀧川鯉昇一門会〜鯉の放し飼い」。
大好きな鯉昇師匠の一門会、七人のお弟子さん総出演、
呑ん兵衛集団のご一門ですから、純米原酒をかかえて楽屋に伺いましたが、
7人のお弟子さん総がかりで、入場者に配るチラシをせっせと揃えながら、
いやまあ、そのにぎやかなこと…。
ちなみに広小路亭の楽屋は、4畳半と3畳の二間だけという狭さでした。
開演の30分前に鯉昇師匠到着。
普通ならここで、楽屋全体にピーンと緊張感が走るのが、ほかのご一門。
ところが、鯉昇師匠を中心に取り囲む7人のお弟子さんは、
まるで、おやじが仕事から帰ってきたのを迎えるような和やかさ!
狭い広小路亭にぎっしりと詰め掛けたお客さんを前に、
ぞくぞくと鯉昇一門がお目通り。
古典落語と正面から格闘してる鯉之助・鯉橋、
北海道なまり丸出しの、へんてこりんな創作落語を操る鯉枝、
名門・明治大学出身ながら、十二支をまともに言えない鯉太その高座は、
助け舟を出したくなるような危うさ…。
元・暴走族の総長鯉斗・つっかえないで、下げまでいけた高座を、
見たことがない入門2年目の鯉八。
そして、唯一の真打・鯉朝。
(この人だけ、なくなった柳昇さんのお弟子さんで預かり弟子)
ほんわか軽〜い芸風の師匠のお弟子さん、
いやぁ、ひとりひとり個性の強いこと。
長屋の花見で高座を締めた鯉昇師匠は、優しそうな目で、
ほほえみさえ浮かべて、弟子たちの芸を、袖で見てらっしゃいました。
師匠いわく「NHKのドラマの師弟関係は、一昔前の修行風景ですね。
うちは一門会の副題通り放し飼いですよ。
のびのび泳いでくれてるうちに、何かつかむでしょう、たぶん…」と。
終演後の打ち上げも除いてみたくなるような、ほんわかとした環境で、
先々、どんな噺家さんに育っていくか、帰りの電車の中でも、
思わず微笑が、浮かんできてしまうくらい心地の良い夜でした。
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1月31日
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久しぶりの春団治師匠
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久しぶりに春団治師匠を聴きに、読売ホールに行ってきました。
「東西落語研鑽会」。
東西で一流の噺家が集まる、小朝さんの声かけで始まった
この落語会も、今年で5周年を迎えるそうです。
上方落語界を建て直した四天王、
(故・松鶴、故・文枝、米朝、春団治)のお一人、3代目・桂春団治師匠。
この四天王も、今や一席務めるのは高齢で難しい米朝さんと、
二人になってしまい、私も東京に来られる度に追いかけているんです。
様子の綺麗な、かつ本格的な上方落語の語り手で、
ライブでは、野崎参り・代書屋・お玉が牛・子ほめ・高尾・皿屋敷・
親子茶屋・祝いのし・平林・寄合酒を、聞いたことがあるのですが、
この日は「いかけや」。
これを聴いて、ほぼ3代目の得意ネタは全部ナマで聴いたことになるのです。
今年3月で77歳になられますが、いつもの、目にも鮮やかな色紋付、
高座に登場して、途中で、羽織を、スパッとぬぐ早業…。
なにからなにまで、ほっとさせる至芸でしたよ。
後から上がった小三治師匠が、先日、NHK衛星第2で放送した、
2006年秋に公開された映画「そうかもしれない」での、
春団治師匠の自然な演技(雪村いずみさんの夫役)を絶賛していました。
これまでも、いろんな映画に、いろんな噺家さんが出演してきましたが、
誰もがスクリーンに映し出されると、どうしても無駄な演技が多く感じられたもの。
でも、春団治師匠の場合は、芸人の年輪がそうさせるのでしょうか。
「自然な演技というものを見せてくれた」と小三治師匠が仰る通り、
客席で「うんうん」とうなずいていた私でした。
何事も「自然に…」というのが難しいのです。
私たちアナウンサーもそうですね。
自然に聞きやすい放送が出来るようになるのは、いつの日のことやら…。
それが出来ないうちは「毎日毎日機嫌よく!」を、
モットーにしていきたいと思います。
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1月25日
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忘れられない笑顔
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かつて阪神・横浜大洋で活躍した「唄って踊れる解説者」、
加藤博一さんの肺がんでの死。
ショックでした。
2年におよぶ闘病生活、最後まで明るく振舞って亡くなられました。
23日、氷雨の中で行われた通夜に伺ってきました。
現役最後のゲーム、「横浜大洋×広島」戦は、私が実況しました。
解説者になられてから、スカパー野球中継でご一緒させていただきましたし、
何より思い出されるのは1994年、
「落合博満野球記念館」のゴルフコンペの司会を一緒にしたこと…。
かつて、毎年シーズンオフの1月、落合記念館のある和歌山県太地町の近く、
那智勝浦カントリークラブに落合博満さんと親しい仲間で開いていたコンペ。
地元に近い人はいいけれど、遠い関東地方からは…。
でも「関東の野球関係者も来ないと淋しいから…」といって、
自費で加藤さんは来てくれました。
その表彰式とパーティーが笑顔で満ちたのは言うまでもありません。
ひょうきんものという反面、野球への熱い情熱と心配りの人でした。
それにしても、56歳の若さで…。
通夜の帰途、東京駅のプラットホームに大阪行のブルートレイン、
寝台急行「銀河」が停車していました。
この「銀河」も3月14日でなくなるのです。
乗換えの電車を待ってるうちに、
昔懐かしいブルートレインあさかぜ号と同じ仕様の車両が、
薄ぼんやりとかすんでしまいました。
「そうだ、大学受験で上京した時、親父が無理して、
広島から東京まで寝台券を取ってくれたんだよなぁ…。
俺の青春の1ページなんだなぁ、ブルートレインって」
月日の流れは早いですね。
あれから36年かぁ…。
うかうかしてはいられません。
一日一日機嫌よく過ごしていこうと、改めて強く思いましたよ。
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1月18日
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コレでいいの?お医者さん
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いやぁ、ここまでとは、思いませんでした。
日本の救急医療体制、休日診療のずさんさ…。
我が家でも首をかしげ、みんなで激怒する事件があったのですよ。
年末年始、女房の郷里・水戸で、家族みんなですごしたのですが、
我が家の“問題児”!
何かと平穏な家の雰囲気をにわかにぶちこわす、
大学3年の息子が、珍しく全然元気がなくおかしいと思ってたら、
大晦日から正月にかけて、のどの奥に口内炎ができてしまったのです。
激しい痛みで、まったく食事ができず、おまけに風邪気味。
とうとう正月2日の夜、38度の熱をだして、下痢の症状もあったので、
まずは食べられないことには仕方ないと、
耳鼻咽喉科の医師が休日でいないかと、
水戸消防署の休日医療相談の電話紹介で、
市内の西のはずれにある公立の総合病院へ。
とりあえず、のどの周りに沢山出来ている小さな口内炎を、
硝酸銀で焼いて、傷口をふさいでもらおうと、
私も付き添って行ったのです。
そしたら、いきなり電話口で、
「診察料のお金を病院が平常に戻る4日までに持ってくると
保障しないと診られません!」という看護婦さんのつれない言葉…。
それでも、東京からやってきているので、
後日、銀行振込するということで納得して貰い、休日診療室に着きました。
命にかかわる重病の方は、幸いにも見当たらなかったのですが、
明らかに、インフルエンザだなとおもわれる高熱に嘔吐し続ける幼児、
胆石の発作に苦しむ中年女性、鼻血のとまらないおばあさん、
頭痛が3日も続いて苦しむおじいさん達で、待合室はいっぱいでした。
看護婦さんも4名くらいが、大きな足音立てて、
“いそがしい、いそがしい…”という態度をあらわに見せながら、
一向に診察は進まないのです。
待合室には、にわかに連帯感が生まれていきました。
みんなそれぞれ、胸とおなかのレントゲン撮影だけはテキパキと…。
えぇ、この人にもウチも…、えっ!ウチにも???
もう、信じられません!
口内炎が拡がって苦しんでるので、応急処置がしてほしくて行ったんです。
なのにレントゲン室へ行って、胸とおなかのレントゲンとは…。
結局、2時間以上待たされて、ようやく医師の診察…。
頼りなさそうな女医さんが、
なぜか息子の肺と腸のレントゲン写真を見ながら、
「う〜ん、肺炎はありませんね、腸に異物もありません。
風の発熱の抗生剤を出しましょう」と…。
って、ドコ診てんのアンタ!
息子も興奮気味に「え〜!!ノド、も一度診て下さい。口内炎あるでしょ?」と
来る前、自分で口開けて撮った写メールを見せて、
ようやくのことで、医師を納得させましたが、そしたら
「口内炎を焼くのは、改めてよその病院でやってもらって下さい」とのこと。
何のためにアンタんトコに行ったんかいな?
しかも、よくよく訊けば、そのお医者さんは「腎臓内科」だそうで。
「耳鼻咽喉科のお医者さんがいます」と聞いて教えてもらったのに…。
挙句の果て、先週、病院から請求の連絡がきました。
レントゲン撮影料、および処置薬剤費「6800円」なり!
医師の不足、貧困な医療体制の中、専門医でない者が診察せざる得ないので、
後々、訴訟騒ぎになった時の備えだけは、万全だったのですね。
えっ、支払いですか?
どうも納得がいかないので、病院側から納得のいく説明を受けてからに
しようと思っています。
いやぁ、聞きしに勝る酷さ!
これが県庁所在地の医療の現場だと思うと、
怒りを通り越して、もう笑うしかありませんね。
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1月 4日
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我孫子駅にて“ハダカの大将”!?
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あけましておめでとうございます。
“いやー早いものですね、ついこの間マッカーサーがやってきたと
思ったら、もう年改まって、4日ですもんねぇ。油断も隙もありませんよ。”
いっけねぇコレ、故・桂文朝師匠のギャグでした。
でも、54歳ともなれば、一日、一週間、一月、一年が早いこと早いこと。
それだけに毎日を、機嫌よくと務めています。
今年もこの「日々機嫌よく」をモットーに頑張っていく所存であります!!!!!
昨年最後の放送終了後、大晦日・三が日と女房の実家で、
のんびりすごしたのですが、新年早々情けない出来事が…。
水戸から帰る途中、乗換駅・我孫子でのこと。
両手荷物でふさがって、駅の階段上り下りして、ポッコリお腹のせいでしょう。
ズボンがずり下がってきたのを直そうと、
プラットホームでベルトを緩めた瞬間、
なっ、なんと!!ポケットの重みでスットンと落ちてしまったのです。
映画のチャップリンみたいに…。
しかも、東京方面へのプラットホームには、沢山の人が…。
あわててズボンをたくし上げてベルトを締めなおし、
澄ました顔で電車が来るのを、わき目もふらず待ったのですが、
こういう時って電車、なかなか来ないんですよね。
そこで、新年早々、もうひとつの誓いを立てました。
それは「ウエストを3センチ縮める!」
以上、今年年頭の誓いについてでありました。
今年もどうぞよろしく御愛聴のほど、隅から隅まで、
ずずずいーと!おん願いたーてまつりまする。
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