8月15日
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帰省ラッシュ横目に“落語ラッシュ”
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今週は忙しかったぁ〜。
折からの猛暑が重なって、少々バテ気味なんですよ。
8月中旬というと月遅れのお盆帰省ラッシュ。
そして落語会はこの時期、興味深い催しが目白押しなんですから。
11日・円朝忌の前後の日曜日、
今年は10日・日曜日に、谷中・全生庵の境内で、
落語協会主催「円朝祭」がありました。
落語中興の祖・三遊亭円朝師が眠るお寺で、
まぁ一言で言うと、噺家さんのバザーですな。
歌謡ショーがあったり(市馬さん)、奉納落語会があったり、
牛丼・カレーライス、冷やしうどん…の屋台を、
噺家さんたちが出して大騒ぎ。
毎年顔を出していますが、折からの落語ブーム。
今年はお客さんが、押し合いへしあい詰めかけて、もうギュウギュウ。
来年あたり、警備をしっかりしないと危険なくらいの混みようでした。
その中でサインをもとめて長蛇の列を作るファンに、
丁寧に一人ずつ答えていた、喬太郎さんには感心しました。
そして定席では、鈴本演芸場「鈴本夏祭り」。
さん喬・権太楼の長講、正楽・のいる・こいる、
喬太郎、一朝、市馬というものすごい顔ぶれ。
新宿末広亭では、昼の部可楽、小柳枝、右紋らで編成された、
ハワイアンバンド「アロハマンダラーズ」のハワイアン演奏。
浅草演芸ホールでは、昼の部、寄席の踊り「納涼住吉踊り」。
亡くなった志ん朝・助六さんの肝いりで始まった、
寄席の踊り、演者全員のかっぽれの総おどり、これは見ものですよ!
それから池袋の昼はおなじみ、
三遊亭遊三門下による「大喜利・二人羽織」…。
都内の定席、どこも大入り満員、立ち見鈴なりてなわけで、
全部に顔出すと、そりゃあ、疲れるわけですな。
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8月 9日
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アメリカと同じ社会でいいのか?
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猛暑が続く毎日、いよいよ北京オリンピック開幕。
時は刻々と流れていきますが、
我が家では、ちょうど2ヶ月前の「秋葉原通り魔事件」の
理不尽な殺人事件が頭から離れません…。
倅の音楽友達、かけがえのない親友、女友達が、
巻き込まれて亡くなりました。
21歳の息子にとって、とても一人では耐えられない出来事でした。
家にもよく遊びに来ていた、明るいお嬢さんでした。
口では「彼女の分まで、人生を充実させないといけない」とは、
言っていたものの、とうとう激しい腹痛と長期間の下痢で、
緊急入院してしまいました。
必死で、現実を受け入れようとしていたのですが、
あまりにも理不尽な事件。
そう簡単には、先を見据えることなんて出来っこないですよね。
しばらく入院加療して、何とか彼女の月末の誕生日までには、
良くなって、お線香をあげに行くと言って、少しずつ回復しています。
我が家全員で、明るく振舞って見守るしかないのですが、
同じような出来事が、
まるでアメリカのように起きるのが悔しくて、残念で…。
格差社会助長が、アメリカとそっくりの
社会構造を作ってしまっていること。
我々マスコミはもちろん、政治を司る政治家の皆さんにも
自覚していただきたいですね。
「お気の毒な…」
他人事ですむような、簡単なことでは終わらない社会現象です。
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7月25日
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羽織の紐のふさが・・・
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来月下旬、ロードショー公開される映画「落語娘」を
試写で観てきました。
落語大好きの私にとって、津川雅彦さんが監督した
「寝ずの番」に次ぐ落語映画の秀作です。
監督した「寝ずの番」のお兄さんの長門裕之さんといい
今回の三々亭平佐役の津川さんといい、
めちゃくちゃな噺家の心情を、
しっかりつかまれているのに、まず敬服しましたね。
落語ブームの昨今、噺家さんの中堅層は色とりどり、
非常に層が厚いのですが、
かつての、名人上手の域の噺家さんは、
残念ながら、現在は一人もいないのではないでしょうか。
そんな中で、津川さん演じる三々亭平佐の口調、
醸し出す高座の雰囲気すべて、名人なのですよ。
こんな口調の噺家さんが、今の落語界にいれば、即名人ですね。
ただ、残念なことが一つ。
平佐師匠のイナセな高座着姿の中で、羽織のひもが…、
上方落語の噺家さんの羽織の紐の房のように、
パァーと広がって大きいのです。
江戸前の噺家さんが一番気をつけている、
羽織の紐のふさが関西風なのが残念でした。
それにしても主人公の女流噺家・三々亭香須美役のミムラさん、
綺麗過ぎるぅ〜!
タイトルは「落語娘」ですが、
あくまでも主役は津川さんだという話の流れでした。
この夏、イチバンのお奨め映画ですよ。
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7月18日
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♪トリデ、ニコウ、トリデニコウ…♪
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超高校級の2年生、清原・桑田のPLを延長戦の末に破り、
大優勝旗を掴んだ「あの時」が、彼の人生の頂点だったんですね。
1984年、夏の甲子園優勝投手、横浜打撃投手の石田文樹さんが、
直腸がんのために、15日、亡くなりました。
取手二高で全国制覇後、早稲田大学へ。
3ヶ月も経たないうちに辞めて、その後、社会人野球の日本石油を経て、
88年、ドラフト5位で横浜大洋に入団。
中継ぎで25試合に登板し、通算成績は1勝0敗。
94年に引退後、打撃投手として、横浜の主力バッターの調整役として、
貢献していました。
高校で全国制覇、早稲田大学進学…。
誰かと経歴、だぶりません?
そう、ハンカチ王子・斎藤佑樹投手とよく似ているのです。
高校時代のコントロールも抜群でした。
去年、六大学野球・開幕戦の時、
「一年生・斎藤が先発したのをどう感じる?」と訊きました。
その時「彼が何で早稲田を中退したのか?」ということも、
ずっと疑問に思ってたんですが、その答えもしてくれました。
「昔と六大学の雰囲気が変わったんでしょう。
俺が一年の時は、先発も厳しい縦割り、年功序列だったんですよ。
俺はそれがどうしても我慢できなかったんですよ。
超高校級の清原、桑田を抑えて、勘違いしてたんですよ。
要するに天狗になってたんです。
そのあとは、苦しいことばかり…」
でも、野球はず〜っと愛してました。
現役では、実績を上げられませんでしたが、
裏方として、バッティング投手として試合前、黙々と投げてました。
春のキャンプを終え、オープン戦に入って、病院に行った時は、
病魔に冒されてしまっていたのだそうです。
奥さんと3人の可愛い子供さんを残して、逝ってしまいました。
たくさんの球友に送られて、旅立ちました。
参列したひとりひとりに頭を下げていた、
長男の翔太君は青々とした丸刈り頭…。
そう、彼もお父さんに憧れて、
地元・川和高校の野球部で、2年生ピッチャーを務めています。
彼のマウンドを、もっともっと見たかったでしょうに…。
黙祷
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7月11日
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ほおずき市 そぞろ歩き
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久しぶりに、浅草のほおずき市へ行ってきました。
「四万六千日、お暑い盛りでございます。」
8代目桂文楽十八番の「船徳」は、この日が舞台。
「この日お参りすると、46000回分のご利益があるといいますが、
これは、米粒一升枡分46000粒なんだそうで、
人の一生とお米の一升を、かけたもののようでございます」
これは、瀧川鯉昇師匠の「船徳」の枕。
落語って、勉強になるでしょ。
名古屋から上京してきた、友人を連れて浅草寺境内へ…。
江戸前の雰囲気を味わったら、
今度は腹にも味あわせないということで、
鶴光師匠行きつけの居酒屋へ。
そらまめ、ぬた、メジマグロの刺身を肴にキクマサの樽酒。
久々、心地のいい酔いに身を任せて歩く浅草の街。
思わず口ずさむは、浅草の唄。
♪強いばかりが 男じゃないと いつか教えてくれた人
どこのどなたか 知らないけれど 鳩と一緒に唄ってた
ああ、浅草の その唄を♪
広島生まれで、19歳まで広島育ち…。
でも、この唄、口ずさみながら、そぞろ歩く浅草の街。
ここが、一番安らぐんですよね。
それにしても、昭和50年代の寂れてしまった浅草が、
今、つくばエクスプレス開通と同時に、
イキイキとよみがえって元気になっています。
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