1242 ニッポン放送
HOME > 栗村智あなたと朝イチバン > 栗村智 朝のひとりごと
みのりの日記
栗村 智
栗村 智
 
diary
5月20日
映画鑑賞ダブルヘッダー
久しぶりに平日休みで、お昼前に自宅近くのシネコンへ。
カフェで、ゆっくりと・・・シアトル本店のお店で、
クロワッサンにチキンローストにサラダで遅めの朝飯。
どれを観るという当てもなく、上映スケジュールをにらみながら、
「駆け込み女と駆け出し男」、
10分後に始まる「ビリギャル」のチケットをシニア料金で購入。
休日映画鑑賞”ダブルヘッダー”を決断。
学生時代にゃ日活ロマンポルノ3本立て二回りなんて、
へ〜っチャラでしたからね。

まっ、年も年だから、もし面白くなかったら、
「途中で出てしまえばいいや」くらいの気持ちで、
シートに身を沈めましたが・・・。
いやぁ2本とも面白くて、一気に時間が経っていました。
満島ひかりの眉なし、お歯黒の体当たり演技。
大泉洋.樹木希林も、絶妙。
今年ここまで見た映画で、一番という面白さでした。

続いて観た「ビリギャル」。
去年、原作の本が出版されて、一気に読んだ作品の映画版。
モデルになったさやかちゃんが、偏差値30から、
一年後、慶応大学の総合政策学部に合格するという実話。
でも、実はさやかちゃんって、
名古屋で一番の女子中高大学一貫校なんだから、
一年頑張れば、私学の雄・慶応に受かっても不思議はないんでしょうが、
映画を見てるうちに、我が卑屈な暗かった高校生活を思い出して、
滂沱の涙にまみれてしまいました。

私は、広島の私立の進学校の深海魚でしたから・・・。
先生に「調子に乗って、落語バッカリやってたら大学ドコモいかれへんど。
そのまま、噺家になるんかい?」といわれ、
文科系のクラスで、ケツから2番目の模擬テストの、
用紙をたたきつけられた苦い思い出がありましてね。
当たり前のように、浪人生活に入った私も進学塾の先生とめぐりあい
「『腐っても鯛』じゃ。やるだけ一年やってみい!」という言葉に、
必死で浪人生活を送った40年前の思い出が、
走馬灯のようによみがえってきて涙が止まらず・・・。

一人で観に来てよかった。
こんな姿、誰にも見せられませんからね。
私にとっては、2本とも感動の
今年一番の映画に巡り合えた充実感で大満足でありました。
誰にも苦い思い出ちゅうもんはあるもんでして・・・。
4月18日
ついに、テッパクへ!!!
今年はナイター中継バックアップのスタジオ担当が多く、
帰宅時期は大体、夜10時前後でしょうか?
ガード下で一杯やって家路につく人たちで溢れる
有楽町駅のプラットホーム。
東海道線を軽快に新橋方向へ行き過ぎる夜行列車が・・・。
今や唯一の東京駅始発となった夜行寝台特急「サンライズ出雲・瀬戸」!
ついに、雄姿を拝む幸運に恵まれました。
2月にカシオペア乗車が叶い、さてその次はと狙っているのが、
「サンライズ出雲」での出雲旅行なのですよ。
東京駅を午後10時に出て、出雲市と高松に向かう列車を
有楽町駅で見送って頭をよぎったのが、翌日が木曜日だということ!

「そうだ!テッパクに行こう!」

2007年の秋、埼玉に鉄道博物館が出来て、
「乗り鉄」を気取りながら、まだ一度も行っていないのは、
鉄道ファンとして、不名誉極まりないじゃあないですか。
祝祭日・土日は大変な混雑になると聞いて、
そのままになっていたのですが、
平日の休日を利用するチャンス!
思い切って16日に行ってきたのです。

柏から、東武アーバンパークラインで大宮まで。
そこから埼玉新都市交通で一駅。
広大な土地に広がる、鉄道博物館の建物に敷地。
入口に向かう足取りが、どう考えても空いているという
安心感があるのに、次第に速くなり、Suicaで料金払うと、
小走りになっている自分に思わず、苦笑してしまいましたが、
好きなものは、しょうがないではありませんか!

まずは、ヒストリーゾーンに先日から展示された、
鉄道ファンあこがれの「EF55」。
戦前にわずか3両、特急列車牽引用に製造された流線形の電気機関車。
てっちゃんは「ムーミン」と呼んで、親しまれているんです。
神々しいお姿を拝んでから、広い館内を隈なく見て、
テッパク自慢の鉄道ジオラマの部屋で、
なんとラッキーにも、大好きなサンライズとカシオペアが、
フル編成で走っていたものですから、まさに随喜の涙が・・・。
いつもは満員で、行列を作る人気のコーナーに、
14〜5人というゆったり感に甘えて、
3時間たっぷり、ジオラマの世界を堪能しました。

そして、デゴイチ運転シュミレーターに。
空いているのにまた、駆け足・・・
ゲーー———誰も並んでない!!!
500円払って、汽笛を連発・連発・また連発。
振動がも〜う、たまらん!!!!
プラットホームの停止線にぴたりと止められず、
これは次回の宿題に!
丸々一日、童心に帰った、
それはもう楽しい一日でありました。 
また行こ・・・。
3月 3日
神田藪そばでごきげん!
このところ、寒暖の差の激しさにはまいりましたねえ。
暖かいなと思ったら”鼻水たら”あり、花粉症が・・・。
こいつぁ冷えるなというような今日は、
喉がつらくなって風邪気味に・・・。
どっちにしても、喉を使うアナウンサーにとって、
いやぁな季節ではありますね。

こういう時には美味しいものをいただいてリフレッシュ!
てなわけで、火事になってから行ってなかった、
「神田藪そば」の暖簾をくぐりました。
早めに会社を上がっての楽しみは そば味噌舐めながら、
まずは菊正の冷やをなめるように・・・。
この季節は鴨、合焼き・・・。
久しぶりに来たのだから「穴子焼き」を注文。

「日本酒冷やいちぃ〜、合焼きいちぃ〜、穴子いちぃ〜」

藪そば名物女将の注文確認の艶のある声・・・、
いやぁ、うれしかったですね。
仕上げに「せいろういちぃ〜〜」!
大好きな志ん朝師匠がご贔屓だった、
女将のいつもに変わらぬ声と共にそばをたぐって、
ほろ酔いで連雀町を徘徊して、家路につきました。
次回は、甘味の竹むらの粟ぜんざいといきますか・・・。
三代目の三木助、志ん朝を気取って歩いてるうちに、
活力がわいてきましたね。

「梅〜〜は咲いーたか?桜はまだかいな。」

ご機嫌になっちまいました。
てへっ!
2月11日
カシオペアに乗ったぞ!
広島で生まれ、19歳まで育った私は、
憧れの東京への行き来には、必ず使っていたのが寝台列車。
いわゆる「ブルートレイン」です。
いやぁ、随分乗りましたね。
16歳で小さん師匠に弟子入りをお願いに行った時も、
往復「あさかぜ」。
2度にわたる大学受験は「みずほ」「はやぶさ」。
そして、夢のような大学時代は「さくら」、「はやぶさ」、
「富士」「みずほ」「あさかぜ」「あさかぜ51号」・・・。
広島〜東京間を走っていたブルートレインを、
毎回とっかえひっかえ乗って「乗り鉄」を謳歌したものでした。

もちろん、B寝台の三段の上段を選んでました。
乗ったら何号車だろうが、1号車から電源車
(客車内の電気・暖冷房を一気に引き受ける車両)をのぞいてから、
A寝台、「あさかぜ1号」にあったA寝台個室(ルーメット)、
さらに食堂車を、狭い通路を伝ってのぞきながら、
最後尾・16号車まで行くというのが恒例になってました。
その頃から、今日まで、ず〜っと恋焦がれていたのが、
当時「あさかぜ」くらいにしかなかったA寝台個室。
いつか乗ってやろうと思いつつ、忙しさにまぎれ、
移動には、飛行機・新幹線を使わざるを得なかったわけであります。
61歳の今まで、本懐を遂げられずに来たわけですね。

その間に続々、寝台列車が姿を消し、
一時は、最も贅沢だと云われていた「北斗星」までもが、
この3月で引退とのニュースが舞い込み、悲しい気持ちに・・・。
そんなところへ、娘から・・・
「カシオペア・さっぽろ雪まつりと小樽雪明りの路」と書かれた
旅行社のパンフレットを手渡されました。
これを見るなり私の「乗り鉄」の虫が、
むくむくと頭を持ち上げたのですね。

60歳の定年を迎えた時に、ようやく二人とも自立した長女・長男が、
妻に婆さんまで巻きこんで、去年は病気でかなわなかったけど、
1年遅れの定年祝いとして、旅行社の予約まで取ってくれていました。
そんな、贅沢出来ないと口で言いつつ、
チケットに、カシオペア10号車、
カシオペアツインシングル使用21号室と刻んであるのを見たら、
手が遠慮なくでていました。

2月と言えば、スポーツアナウンサー38年、
毎年、沖縄・鹿児島・宮崎と、専ら南国に足が向かっていたのですが、
やおら、北へと進路を取ったのですよ。
3泊4日初日は、2月7日早朝、東北新幹線「はやぶさ」号で
東京を後にして、新青森で「スーパー白鳥」に乗り換え。
函館で「北斗」に乗って洞爺駅まで、
上野を発つこと7時間30分の長丁場。
洞爺湖を見下ろす展望露天風呂は絶景!
「ザ・レイクビューTOYA 乃の風リゾート」に宿泊。
翌日はバスで支笏湖氷濤まつり(氷のさまざまなオブジェが幻想的)に向かい、
余市で「マッサン」のニッカウヰスキー余市蒸留所見学。
小樽に戻って、雪明りの中で運河に浮かぶ行燈が、
美しい「小樽雪明りの路」。
締めは、すし屋通りで北海の味に舌鼓。
札幌駅前のホテルに宿泊。
翌日、フリータイムの「さっぽろ雪まつり」を早朝駆け足で見て、
琴似駅前にある、透析クリニックでオイル交換。

そして、いよいよ恋焦がれた「カシオペア」が待つ札幌駅に・・・。
ディーゼル機関車、重連の「DD51」が牽引する
「カシオペア」の優雅な車両が近づくと血圧どっと上昇、超興奮状態に!
かつてのブルートレインと比べると、寝室にキャパをとられ、
通路が狭いかな(!?)てな感じ。
個室に入るとツインのシングル使用だけにゆったり。
揺れもかつてのものとは違い、快適。
ただ、2000年製造だけに、掃除が行き届いているとはいうものの、
車体が古くなっているのを感じました。

テレビの「相棒」スペシャルで見たダイニングカーでは和食。
朝は車両満席で、5時50分スタートで、順番にブレックファースト。
クロワッサン生地のパンが美味でありました。
食後のコーヒーを、すすりながら眺める車窓から、
日の出も拝める大ラッキー!
三泊四日ぜいたくな一人旅。
「ふ〜ぅ、極楽、極楽・・・」
家族の心遣いに深く感謝の4日間は、あっという間に過ぎ去っていました。

う〜む、今度は出雲まで「サンライズ出雲」に乗るのもいいなあ・・・。
なりを潜めていた乗り鉄の虫が、一気に騒ぎ始めちゃいましたよ!
1月 8日
一陽来復、みなさんの今年が良い年でありますように。
早いもので、あっと言う間に七草もすぎ、
新しい年・2015年が、流れ始めました。

去年はプロ野球公式戦が始まってすぐの4月に
図らずも脳出血を発症し入院リハビリ。
いきなり、競馬じゃありませんが出遅れてしまった一年でした。
比較的軽めで、麻痺も残りませんでしたが、
無常を実感した一年でもありました。

いちばん大切なことは、毎日を機嫌よく、
愉しくすごすことにとどめを刺しますね。
でも、これまでの経験をいかして、
野球中継にも競馬中継にも、
現状で出来うる限りの取り組みでトライしてみるつもりです。
まわりの人たちは、「無理をせず気楽に!」と言ってはくれますが、
そうはいってもねえ・・・・やっぱり、がんばりますよ。
私・・・体調が許すかぎり!

今年もよろしくお願いいたします。
 
Copyright(c) Nippon Broadcasting System,Inc.All Right Reserved