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みのりの日記
栗村 智
栗村 智
 
diary
11月26日
円山町の真ん中で「癒し」のひと時!
スポーツ新聞の記事を見て「面白そうだ!」と思い、
タレント・スザンヌさん主演の映画「いぬばか」を観に行ってきました。
まずは、映画館をネットで検索。
東京では、渋谷の一館だけしか上演しておらず、
普段はあまり足が向かない渋谷へ…。
就職してからまもなく昭和56年から61年まで、
駒沢学園通りに住んでいたので、
当時は渋谷の隅々まで迷わず行けたんですが、
いやぁ、変わりましたね。

「109」あたりから派手すぎる若者が群れを成し、
久々に訪れたオジさんには、刺激が強すぎました。
目指す映画館もネットの地図を見ながら歩いているうちに、
ひえェ〜!昼下がりのホテル街の真ん中を歩く羽目に…。
「いやぁ、私は違いますよ。たっ、ただ映画を観に…」
思わず、叫んでしまいたくなりました。
やっとのことで目指す映画館に。
中へ入れば、あれれ〜3人だけ???

でも、そこはヤングジャンプに連載されていた漫画の映画化。
出てくるワンちゃんの可愛さに、楽しく観ることが出来ました。
スザンヌさんの演技も自然でよかったですよ。
白い柴犬、ポメラニアン、チワワ、ブルテリア、マルチーズ、
ラブラドールレトリバー、ゴールデンレトリバー…。
「いぬばか」のタイトル通り、続々と登場して、
可愛さに目を細めているうちに、アッという間に終わってました。

特にスザンヌさんと共演したルパンという白い柴犬が
いきいきと演技していました。
(携帯電話のCFのカイ君は北海道犬ですが、そっくり!)
彼は一度飼い主に見捨てられた後、
成犬譲渡で幸せをつかんだ、超ラッキーなワンちゃんだと知って、
ますます愛しくなってしまった次第ですよ。
要は「犬は責任を持って飼いましょう!」ということなんですがね。
犬がお好きな方は、是非御覧になっては?
肩のこらない癒しにも、もってこいの作品です。
11月19日
祈・お相撲スター誕生!
「大相撲九州場所」をチラチラとアナウンス室のテレビを見てて、
ありゃ、りゃぁ〜。
中入り後のはずなのに、土俵のちょっと上のほうがガラガラ。
行司さんの声が、場内に甲高く響いて…。
思わず、30年くらい前の後楽園球場。
しかも、パリーグのスタンド風景のような…。
川崎球場とまでは言いませんがね。

今や、モンゴル・ヨーロッパ育ちの役力士ばかりですからねぇ…。
私が、必死に初代・豊山さんを応援してた頃、
幕内最巨漢は、若秩父さんの150キロちょっとだったのですが…。
今では160キロが、普通になってしまい、
かけ技、投げ技の変化のある相撲が姿を消してしまっては、
観てても、そう感動しないのですよ。

しかも、決まり手は、押し出し・突き出し・突き落とし・寄りきり。
体重が重すぎて、より倒されたお相撲さんが、
怪我して起きられない土俵下…。
この時期の九州場所は、水が冷たくなり、海のもの山のもの。
たくさんの部屋への差し入れが、かつてはあったそうですが、
今はねぇ…、おまけに不景気だし。
(大きなアラ、クエともいう高価な超美味な魚の差し入れを、
力士は楽しみにしてたもんだそうですよ。)
テレビでは升席の隣の空席に、観戦土産の軍配や焼き鳥の入った
大きな紙袋が置かれていて…。

一日も早く、これぞ日本男児というような、
筋骨隆々たる体つきのお相撲さんが現れることを、
祈らざるを得ません。
閑古鳥が鳴いていた「男子ゴルフ」のギャラリーが、
遼くん一人の出現で、あれだけ変わるんですからねえ。
スター誕生が待たれます。
11月13日
ご心配いただき、ありがとうございます!
左でん部外側の筋肉を傷め、図らずも先週は、
スタジオからの番組スタートになってしまい、ごめんなさい。
御心配いただき、メール・はがき・ファックス…
本当にありがとうございます。

おかげさまで、かかりつけの、
スポーツマッサージの先生の治療の甲斐もあり、
ようやく木曜日からゆっくり歩けるようになりました。
透析患者の中で、多くの方が苦しんでいらっしゃるようですが、
季節の変化、冷え込みなどで、いたるところに
急に痛みが出てくるんですよ。
以前はかかと、今回はでん部。
生来、左利きなだけに、左側が痛みますねぇ。

透析医の先生はCRP5・4(身体の中の炎症の度合いの数値・正常値)は、
0点台だから「痛かったでしょ?」と目を丸くしてはいましたが、
治療は、湿布薬を出してくれるだけ…。
街のスポーツマッサージの治療院が繁盛しているのが、
よくわかりますねえ。
透析医の先生曰く「栗村さん、左足の痛み…、
年齢による老化のせいもありますよ!」とのこと。
「先生、お言葉を返すようですが…右足も同い年なんですがねぇ?」
アハっ、コレ、彦六師匠のギャグでした…。

しかし、高齢化社会で、足を痛くして感じたんですが、
地下鉄ほか、都心の交通機関には、
エスカレーターなしの階段の多いこと!
段差もいたるところにあること!!
こりゃあ、痛い足には響きましたよ。
何とかならんでしょうかねぇ。
11月 6日
ついにゴジラ、ニューヨークで頂点に!
いやぁ、よかったですね。
ワールドシリーズで頂点を極めるために、
常勝が義務付けられたようなアメリカで一番の伝統あるチームを選び、
左手首、両膝手術と度重なる試練にも耐え、苦節7年。
あくまでもヤンキースに執着した松井のスピリットに感動しました。
来年は、阪神タイガースでプレイするのではという
この夏の報道が嘘のように、終盤、指名打者で大活躍!
日本人でMVPを、取ったのも大快挙ですねぇ。
さあ、ヤンキース来季の契約は???

私はヒザに極端に負荷がかかる人工芝の球場が一つもない
ナショナルリーグに移って、
両リーグでワールドシリーズ制覇をめざしてほしいですね。
ドジャースのユニホームもいいですよね。
天燃芝ばかりのナショナルリーグなら、
守備についてもさほど負担にはならないでしょう。
ワールドシリーズが終わったばかりですが、
もう来季のゴジラ松井が、
どこのチームのユニホームを着ているのか楽しみです。


さて、今月に入って、各大学・専門学校で、
学園祭が盛んに行われていますね。
街中にも、焼き鳥・焼きそば・お好み焼きのにおいが漂ってきて…。
思わず、3日・文化の日、神田のビル街の間にある、
とある大学の学園祭をのぞいてきました。

おのずと落語研究会の部屋に足が動いてしまうのですが、
50人収容の小講義室。
お客さんは、部員の親御さんらしき人、
彼女・彼氏らしき人30人くらい。
高座には、11月なのに浴衣で、え〜「死神」。
ウールの着物に足袋なしの素足で「平林」。
トリで、化繊の着流しにどてら羽織って、え〜「芝浜」。
客席で、じっとしていられない、く、苦しい…。
ものすごい「落語(?)のようなもの」を見せられ、聞かされ、
目まいを憶えてしまいました。

トリの素人噺家クン、出し物が出し物だけに、大熱演。
着物のすそが乱れ、あれェ?襦袢着ないで、素肌に着物きてるぅ。
ナマ白い内モモが、ゲェ、気持ち悪い…。
私たちも、学生時代、落研で素人落語を楽しんでいましたが…、
私たちの時は、中央大学落語研究会で、9代目桂文治師匠が顧問。
指導役6代目柳亭燕路師匠、翁家さん馬師匠、桂才賀さんが、
定期的にクラブの集まりに来て下さいました。
そして、イロイロ素人なりに落語を楽しめるよう、
教えて下さったんですが…。

高座で、まるで温泉旅館の宴会の酔っ払いのような恰好では、
いくらなんでも学祭の高座には上がりませんでしたよ。
情けないというより、腹が立って、
終演後、部長らしき学生クンをつかまえて、
「キミぃ〜、落語を楽しんで、人前で見せるのなら、
最低限の恰好、上下、言葉遣いなど、
どなたか、指導役はいらっしゃらないの?」
「いやぁ、連絡先が判らなくて、OBの方にも、
どうやってお願いしたらいいのか判らなくてえ…」と、
平身低頭、頭をかいていました。

何とかしてやってくださいよ〜、このあわれな後輩たちを!
ネ、喬太郎師匠!
先輩なんだから、一度顔出してやってくださいよ。
ネ、柳朝師匠。
そうは言っても今は、噺家さんもスケジュールが詰まっていて、
とても学生を、相手に時間を割くのは、ムリですよねぇ。
昔は何日でも、我々、学生たちと遊んで下さる
噺家さんが、たくさんいらっしゃいました。
それほど若手の噺家さんのほとんどが、
暇をもてあましてたんですねぇ。
10月31日
円楽師匠を悼む
29日朝、五代目・三遊亭円楽さんが肺がんのため亡くなりました。
76歳でした。

チャーンチャチャーンチャカチャカチャン
にぎやかな「元禄花見踊り」にノって、
177センチの長身を軽く折り曲げて高座に登場…。
と、同時に高座がパアっと明るくなる派手な芸風でした。
新宿末廣亭・上野鈴本・浅草演芸ホールで、
ほかの芸人さんの間に挟まって登場する円楽師匠が大好きでした。

「悋気の火の玉」(これがナンバーワンでした)
「風呂敷」「野ざらし」「くやみ」「かつぎや」
「目黒のさんま」「阿武の松」…。
声のよい、滑舌のいい高座が目に浮かんできます。

昭和53年、落語協会分裂騒動で、
師・円生と行動を共にしてしまい、
その後は、日本全国渡り歩いての落語会。
「三遊亭円楽」の看板でお客様を呼ぶため、
いつも大ネタばかりになってしまい、
以後、とても残念に思っていました。

寄席の定席でトリではない時の、
円楽さん自らも楽しむような、軽い落語を演じる師匠が、
際立って、面白かったものです。
夏場、絽の紋付が、ものすごく似合って…。
実家がお寺さんですからねぇ、“陽気な坊さん”という感じ。
高座終わったら、そのままスクーターに乗って、
次の法事の会場へ行くのではないかという風貌でした。

10年間にわたる人工透析、脳梗塞、胃がん、肺がんと
病気続きの晩年でしたが、すでに立派なお墓も、
六代目円楽の襲名も決まり、2年前に現役引退を宣言され、
晩節を汚さず旅立たれました。
師匠の派手な楽しい寄席定席での高座、鮮明に憶えています。
師匠、長きにわたる闘病生活、お疲れ様でした。

そして、楽しい高座…。
「ありがと〜ございました、ありがと〜ございました。
でれれんでれれん、でれんつでん、でん、でん・
カラカラカラ、カラカラカラ。(撥ね太鼓)」
 
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