7月 4日
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いつまでも忘れない、オグリキャップ!
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今週から土曜泊まりの日曜明け。
「さぁてと、徐々にサイクルをあわせていこう」と思っていた矢先、
いきなり報道デスクにオグリキャップ死亡のニュースが飛び込み、
しんみりとした週末に…。
いやぁ、まさにスーパースターでした。
オグリキャップは、バブル真っ盛りの80年代後半、
彗星のごとく、公営笠松から中央にデビュー。
父・ダンシングキャップ。
母はシルバーシャークの肌のホワイトナルビー。
ちょっと見、ダートのマイラー。
まさに砂の公営競馬向きの血統と、
多寡を括っていた人たちがほとんどでしたが、
その走りは、魂のこもった素晴らしい走りでした。
中央で20戦12勝(G1・4勝)。
馬産地の集中した北海道三石町の奥の奥にあった、
小さな牧場の生まれの芦毛のサラブレッドが、
馬券を知らない子供達や女性までも、競馬場へいざなった
あのハイセイコーにならぶスターホースでした。
ちょうどオグリ旋風真っ盛りの1989年、
ニッポン放送・日曜競馬ニッポンで総合司会を務め、
G1レースの実況を担当するようになったため、
私のアナウンサー人生の中でも、
最も思い出深い馬ですからねぇ…。
そういえば、あの頃は馬券の種類も今ほどでなく、
枠連専門でしたから、今ほど馬券が当たらなくて、
頭を抱えるというようなことはありませんでしたが…。
そして、今から20年前の1990年12月23日。
グランプリ有馬記念、中山競馬場に17万人の大観衆の下、
4番人気と評判の落ちていた、彼のラストラン。
天才若武者・武豊を鞍上に、
先頭で直線を駆け抜けた勇姿は、
愛用の双眼鏡を通して、肉眼で実況し、
今でも脳裏に焼きついています。
本馬場入場・ウイニングランでの中山競馬場が、
割れんばかりの「オグリコール」に包まれたあの場面は、
一生忘れることはないでしょう。
当時、オグリキャップの密着レポートも
番組でやっていたのですが、
ラストラン有馬記念当日の朝、中山競馬場関西馬出張馬房で、
担当の池江厩務員(ディープインパクトの池江調教助手のおじさん)に
見せていただいたオグリは、
「燃え尽きたのでは」と言う多くの人をあざ笑うように、
好調のしるし「舟ゆすり」のクセが戻ってきていました。
池江さんが「なんだか闘志が蘇った感じがするんですよ」と、
つぶやいたのを今でも思い出します。
運動中の骨折安楽死ですから、本当に残念なことです…。
でも、芦毛の怪物・オグリキャップ!
君のことを、いつまでも忘れないだろう!
当時大人気だったオグリチャン人形は、
今でも我が家の愛車のリヤウインドウで、
勇姿を誇っています。
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6月26日
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落語とチャンバラと私
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いよいよというか、とうとうというか
「栗村智 あなたと朝イチバン」が、
6月26日をもって、ピリオドを打つことになりました。
なお「時代劇専門チャンネルプレゼンツ・それゆけ!栗奉行」と、
「Dr.トキコのお早うクリニック」は、新番組の中でも、
これまで通り、毎週土曜の朝に、私がお送りしていきます。
「栗奉行」は7:15頃、「トキコ先生」は5:50頃です。
今後とも、よろしくお願いいたします。
さて、今週木曜日は、東商ホールで
藤沢周平原作、平山秀幸監督の「必死剣 鳥刺し」試写会でした。
以前、必死剣の映画については触れていますが、
時代劇、チャンバラファンを満足させるに足る
良い映画に仕上がっていますよ。
モントリオール世界映画祭にも出品が決まっています。
楽しみです。
話変わって私、落語大好きで、お目当ての師匠を追いかけて、
噺を聞くのも好きですが、以前も書いたことがありますが、
真打予備軍、東京落語でいう「二つ目」の噺家さんの成長ぶりを、
観察するのも大好きです。
暇があれば、笑福亭和光さん(鶴光門下)、
春風亭一之輔さん(一朝門下)、
真打になったけど春風亭傳枝さん(鯉昇門下)、
柳家わさびさん(さん生門下)、
桂才紫さん(才賀門下)
春風亭朝也さん(一朝門下)
三遊亭歌太郎さん(歌武蔵門下)
女流講談師神田蘭さん(紅門下)達に連絡を取っては、
たまにお会いして、彼らの修業ぶりを伺ったり、
勉強会にお邪魔したりしています。
このたび「二つ目」の中では、
年季も真打ちにまもなくという「川柳つくし」さんが、
7月4日双葉社から「女落語家の二つ目修業」という本を発刊します。
あの川柳師匠に入門したのが1997年3月。
初めて高座を見たときは、いやぁ可愛いのなんの!
お〜っと、いまもきれいですけど…。
もう、入門13年目にはいりました。
彼女が今、何を思い、何をめざしているか?
先輩噺家・円丈、昇太、志の輔、市馬、喬太郎師への
インタビューもあって、読みどころ満載の本ですよ。
一冊1300円、お近くの書店で、お目に留まりましたら、
お手にとって御覧ください。
「おはよう散歩道」から「あなたと朝イチバン」の3年9カ月。
ありがとうございました。
そして引き続き、よろしくお願いいたします。
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6月19日
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あと2回!
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先週の放送でご案内した通り、
ニッポン放送「栗村智 あなたと朝イチバン」は、
6月いっぱいでお後と交代と言うことに相成りました。
てなわけで放送は、19日、26日のあと2回になりました。
せっかく沢山のリスナーの皆さんと交流ができ、
とてもやりがいのある番組でしたので淋しいですね。
29年間スポーツ中継で、一方通行になりがちだったものが、
この番組を担当することによって、ファミリーができ、
楽しくしゃべることが出来ました。
ラジオパークで、大好きな落語を演じることも出来ましたし、
ま、言ってみれば、好き放題にやらせてもらって幸せでした。
終わりがあるから始まりがあると言いますからね。
また、こんな形で皆さんのお耳にかかれることを、
楽しみにしています。
それにしても、週3回の人工透析治療の合間を縫って、
よくもまあ一回も穴を開けずに出来たもんだと感心すると同時に、
自分のペースを守っていけば、
やっていけるという自信も生まれました。
みなさん、あと2週、のんびり楽しくやっていきますから、
宜しくお願いいたします。
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6月12日
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十代目金原亭馬生—噺と酒と江戸の粋(石井徹也・編著、小学館刊)
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ジャン・ジャン・ジャン・ジャン・ジャンジャンジャンジャン
テテテテテテテテツクテンテン
粋な鞍馬の上がりで泳ぐように踊るように登場する
馬生師匠が大好きでした。
これまで、先代馬生門下のお弟子さんと
志らく師匠の次くらいに
私が好きだと思っていた十代目金原亭馬生が、
こんなに沢山の人たちに愛されていたとは…。
ホール落語の席や定席でよ〜くお見かけする
放送作家の石井徹也さんがお書きになった本を一気に読んで、
懐かしい学生時代がよみがえり、たまらなくなりましたよ。
まず、表紙がたまりません。
着流しの馬生師匠が、
蕎麦屋と思しきお店(池之端の連玉庵では?)で、
一人、コップ酒をチビチビ呑ってるところのショット。
最後の江戸前の噺家さんという居住まいの師匠でした。
談志師匠・新宿末広亭北村社長、娘夫婦中尾彬・池波志乃、
一門のお弟子さんたちがそれぞれ、
思い出、馬生師匠への思いを綴っています。
ともすれば当時、並み居る名人上手の影で
地味だという人もいましたが、
なんと言っていいのか、
座ったときの角度(末広亭・席亭談)、
高座に出てくるだけでイイ!
通り過ぎてもかまわない!って…。
芸人さんを好きになると、
理由は何でもいいのデスヨねえ。
その心情がよ〜く出ていて、
素晴らしい本に仕上がってますよ。
一度、御覧あれ!
そういや、新宿末広亭のトリで、なんと「道具屋」!
これがおかしかった…。
調子がいいときと悪いときの落差がまた凄い!
普通、6月のこの時期、師匠は
「たがや」を良くかけてらっしゃいましたが、
トリでないときの初日は息切れして、
へろへろの「たがや」でガックリ…。
しかし、楽日にあれっ、また「たがや」?と
眉間にしわ寄せて聞いていたら、
これが素晴らしい出来で、
師匠を見直してまた追いかける…の連続でした。
残された高座のCDでは味わえない、
なんともいえない雰囲気の師匠でした。
末広亭の楽屋で、師匠がショートホープを
美味そうにふかしているのを見て、真似して、
ショートホープの小箱を持ち歩いたこともあったっけ…。
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6月 4日
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さよならジュニア
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アメリカ時間、2日・水曜日は、
後世忘れられない日になりましたね。
まず、デトロイト・コメリカパークで世紀の大誤審…。
9回2アウトあと1人で、完全試合の場面。
タイガースの右腕投手、アーマンド・ガララーガ、
最後のバッターインディアンズ・ドナルドの
1〜2塁間のゴロを1塁手が取って送球。
そしてガララーガが、一塁ベースカバーしてキャッチ。
「パーフェクトゲーム!」と思いきや、ナニを取り乱したのか、
22年目のベテラン審判(一塁塁審)J.ジョイスは、
「セーフ」の判定???
どう見ても明らかにアウトだっただけにびっくり!
ただ、アメリカの審判は、毅然とした態度をとりますが、
その実、日本のプロ野球の審判の方が、
判定技術ははるかに上ですからね。
早々とホームラン判定には、ビデオ判定を導入していますが、
ホームラン以外の諸判定にもビデオが必要ですね。
そんな日に90年代を代表するスラッガー、
ケン・グリフィージュニアが引退を発表しました。
塀際でのスリリングな守備も、
打撃に劣らず見事でしたが、
そのアクロバティックな守備による手首・ヒザの怪我で、
2000年代に入ってレッズ時代は、
凄みがなくなったのが残念…。
でも、90年代にマグワイヤ、ソーサと伍して
ホームランを量産していた姿が、
今でも頭に焼き付いています。
身体に巻きつくようなバットスイングは、
ステロイドに助けられたマグワイア・ソーサのパワーとは
まったく違う芸術的なバッティングでした。
初めて彼を間近に見たのは、1997年6月。
シアトルは、キングドーム放送席から見下ろす
バックナンバー24は、きらびやかに輝いていました。
その年に彼は、打率304、56本塁打、147打点で、
アメリカンリーグMVPに選ばれました。
その当時のプレーを、日本で憧れのまなざしで見ていたのが、
イチローですからねぇ。
憧れのスーパースターと2年間、プレーしたお礼とはなむけに、
サヨナラタイムリーを打ったイチローも、
いやはや、大したものですね。
メジャーは、今も脈々と歴史を綴り、世代交代を続けています。
2006年に身体を壊し、渡米がかなわないと諦めてから、
暫くメジャーリーグのフィルムやニュースを遠ざけていた私ですが、
いやぁ、やっぱりメジャーって面白い!
たとえ渡米がかなわなくても、やはり追いかけることにしました。
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