8月14日
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バターケーキ
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月遅れお盆には、ちょっとだけ早かったのですが、
墓参りで郷里・広島に帰ってきました。
新幹線でまもなく広島というところで、
ビルの谷間から、以前は実家が見えたものですが、
さすがに今は…。
でも、車窓の進行方向左側に、
去年出来た「マツダスタジアム」の勇姿が
目に飛び込んできて、いやぁ、感動しましたね。
昔、新幹線からグラウンドの中まで見えて、
しかもスコアボードで得点までわかる
「ナゴヤ球場」もよいものでしたが、
自分のふるさとのシンボルに、
「マツダスタジアム」がなるとはねぇ…。
スポーツアナ時代は、一年で何回も出張ついでに
帰郷できたのですが、今回は、久しぶりでした。
ふるさとに帰ったら「ちから」で、
中華そば、肉うどん、赤飯おにぎり・おいなりさん。
夜は「おこぜ」のお造りを食べよう…。
なんて思っているうちに、一泊二日は瞬く間にすぎて、
結局「優々」のお好み焼きだけに終わっちゃいました。
でも、万難をはいして、
広島名物「長崎堂のバターケーキ」は買って帰りました。
おふくろが生前、中心街に出掛けるたびに
お店の前に並んで買ってきてくれた、
思い出のバターケーキ。
戦後、焼け野原の広島の人たちが、
「元気に、丈夫に、美味しいものを頬張って
笑顔が絶えないように…」と、長崎のカステラ作りを参考に、
純粋バターと、卵たっぷりで焼き上げたのが始まり。
初代店主が、何度も試し焼きをした末に作り上げた、
「広島の至宝」と言っても過言ではない絶品ですよ。
実はニッポン放送ショウアップナイター解説の
江本孟紀さんも大好物。
阪神のエースピッチャーだった現役の時、
広島市民球場の先発登板の当日、長崎堂の調理場で、
御店主が焼き上げたばかりのバターケーキを
牛乳ワンパック抱えながら食べて、
先発のマウンドに上がっていたのだそうですよ。
きっかけは、法政大学の先輩・山本浩二さんから紹介されたことで、
親爺さん(今は二代目)に気に入られてからは、
お酒の飲めない江本さんを連れて、
一緒にお好み焼きを食べにいくほどでした。
10日、お店に行ったら、朝9時の開店前から
お客さんが待っていました。
以前は行列でしたが、なるほど…。
今は整理券を配って、販売するようになりました。
とは言っても、開店2時間後の11時には、
売り切れている事が多いとか…。
相変わらずの人気でした。
皆さんも広島へ行かれたら「長崎堂のバターケーキ」を
一度、お試しになってはいかがでしょうか?
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8月 5日
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ステテコ万歳!
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いやはや、毎日暑いですねぇ…。
昨日の夕飯に、旬の黒メバルの薄造りに冷酒を少々。
ちと贅沢でしたが、こうでもしなければ、
この暑さ、しのぎきれませんからねぇ。
さて、先日、日刊スポーツを見てたら、
巷ではこの猛暑で、男性用下着「ステテコ」の売り上げが
前年比3倍に急激に伸びてるんですってね!
そうでしょうねぇ…。
高温多湿の東京で、パンツのすぐ上にズボンを履くと、
汗でぐっしょりくっついて、歩きにくいですもんねぇ。
斯く言うわたしは、30歳からステテコの愛用者なんですよ。
映画俳優をまねして、素肌にワイシャツ着て、
汗でべっとり肌にくっついた若者の姿を街中でよく目にしますが、
これだけ暑くなると、かえって、下着のうえに汗を防ぐものを着るのが
日本人男性のエチケットですよねえ。
このステテコ、私は落語研究会に入って、
着物・浴衣の下に、ステテコは欠かせない下着と教わりました。
着物着用時は、昔から着ていましたが、
本格的に一年通じてステテコを愛用するようになったのは、
結婚して、義母から買ってもらってからですね。
当時、同僚達にステテコなんて爺くさいと言われてイヤでしたが、
寒い日、暑い日、3時間以上野球場や競馬場で座りっぱなしで喋る
スポーツアナウンサー稼業には、
快適で欠かせないものになってるのですよ。
何となくステテコというと、
腹巻き・はげかつら・すいか・加藤茶と連想しますよね。
あと…サザエさんのお父さん・磯野波平とか…。
夏だけでもステテコのよさが認められて嬉しい限りです。
元々、このステテコの名前の由来も、
噺家、初代三遊亭円遊(鼻の円遊)が、
明治時代に、このステテコをはいて、
極端に大きい特徴のある鼻をもいで捨てる踊りの動作が
大人気になった「ステテコ」踊りから来ているんですよ。
さあ、花火大会や、夕涼みの彼女とのおデートに
浴衣をきてみようとお考えのあなた。
浴衣の下に、ステテコはお忘れなく!
日本人男性のエチケットですよ!
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7月29日
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三花繚乱
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博品館劇場で上演された
「吉沢京子・西崎緑・桑江智子三花繚乱」に行ってきました。
いやぁ、なつかしかったあ…。
あの頃(昭和44年頃)、ブロマイド売り上げトップだった、
スーパーアイドル・吉沢京子さん。
「旅愁」で大ヒットをとばした
日本舞踊西崎流名取・西崎緑さん。
そして「私のハートはストップモーション」の我らが桑江さん…。
桑江さんは、このイベントの時だけ「知子」ではなくて
本名の「智子」で登場しているんです。
当時のアイドル、売れっ子歌手が時を経て、
円熟した女性として、熟成した芸の味…。
歌あり、踊りあり、語りありの色とりどりのステージでした。
三人とも新たな芸域にも挑戦して、
さらに生まれ変わろうとしている???
いや、原点に戻ろうとしているのか?
そのあたりに、桑江さんが本名の「智子」で出演している
謎解きが隠されていそうです。
7月27日〜28日の博品館公演が大好評で、
さっそく、次回の「三花繚乱」の公演が決まったそうです。
次は10月22日(金)午後7時開演の回と、
10月23日(土)午後2時開演の回。
場所は、亀戸カメリアホールです。
チケットは5000円。
地元の老舗・升本さんのお弁当つきのチケットもあるそうですよ。
【問い合わせ】
■東京労音:03−3204−9933
■桑江知子さんのホームページ
http://www.kuwae.cc/
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7月22日
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最後の忠臣蔵
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「必死剣 鳥刺し」もう御覧になりましたか?
“今どき、時代劇?”なんて言わないで、
ご覧になってみてください。
この時代劇に関連して、私、栗村の思い出の書が映画化されました。
4年前に体調を崩し、病院生活の折、池波シリーズを読み通して、
「はて、何か…」と思い、書店で手にしたのが、
「47人の刺客」「最後の忠臣蔵」をはじめとする
池宮彰一郎作品なのです。
元々、講談の名作「二度目の清書」に出てくる
足軽・寺坂吉右衛門に興味がありました。
特に「最後の忠臣蔵」では、
日本人なら誰でも知ってる「忠臣蔵」の角度を変え、
赤穂浪士の討ち入りで主君に殉じた中、
密かに生き残った瀬尾孫左衛門と寺坂吉右衛門に焦点をあてて、
描かれているところが、ジツに面白い作品なんです。
それを「北の国から」を手がけた杉田成道監督が、
役所広司さん、佐藤浩市さんを起用して、映画に仕上げました。
試写会に行ってきたばかりですが、とにかく御覧あれ!
内蔵助の忘れ形見、可音を演じる桜庭ななみちゃんの
凛とした美しさ、たまりませんよ。
「さても、その夜は、極月14日、夜討ちの勝負は、
かねての計略、うち発つ時刻、丑三つの、
軒の棟木に降り積もる雪の明かりが、味方の松明、
鎖帷子一着なし、籠手脛あては、覚えの手の内、
しころ頭巾な頭にいただき皆一様ないでたちにて、
地黒の半纏、だんだらすじ、白き木綿の袖印、
白山足袋に武者わらじ、銀の短冊襟につけ、
表に浅野匠内頭家来、なんの誰がし享年何歳、
君恩のため討ち死としたためしを、
おのおの背中に結びつけ、投げがま投げ槍縄梯子、
半弓、なぎなた管槍、手槍、なかにも大高源吾殿、
得てたるカケヤ引き下げて…」
講談「二度目の清書」が、戦前戦後、
6代目貞山で、一世を風靡したのもむべなるかな…。
日本人なら、こりゃたまりませんよ。
映画を観る前に、原作「最後の忠臣蔵」(角川文庫)を、
是非読破してください。
一味違うと思いますよ。
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7月13日
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オグリキャップ、フォーエバー!
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相撲界が野球賭博で存亡の危機の最中、亡くなったオグリキャップ。
あれから1980年代の後半、バブル華やかな頃の
世相を反映しながら、オグリキャップにまつわる、
競馬雑誌の臨時増刊号が、本屋さんの店頭を賑わせています。
オグリキャップの強さは、
当時、タマモクロスという、オグリと同じ芦毛馬の存在で、
さらに縁取られた感がありました。
レースの馬券は、よほどのアクシデントが起こらない限り、
オグリキャップ・タマモクロスというほど“テッパン”でした。
特に88年10月30日の第98回天皇賞、
88年12月25日の第33回有馬記念は、
疑う余地なしと言うくらいでしたが、
競馬に”絶対はなし”という悪魔がささやいて、
斯く言う私も一点では買えませんでした。
でも、競馬場の放送スタッフで技術のM先輩は、
当時55歳、会社で定年延長嘱託初年。
「え〜い、ままよ!」と天皇賞で、
オグリキャップ・タマモクロス枠連100万円一点貼りで「240万円」に!
そして、有馬記念で今一度、
枠連350円大勝負「100万円」一点張りのおみごと〜!!!!!
当時、Mさんのお膝元・西船橋で
ご馳走になったことを思い出したデスヨ。
あれ以来、あんな気風のいい馬券の買い方をする人はいませんねぇ…。
オグリはそれほど強かったのです。
オグリキャップが引退した91年3月に、
テイチク・サウンドハウス発売元で
「OGURICAP FOREVER」というCDが出ました。
収録されているのは、当時、ニッポン放送「日曜競馬ニッポン」の
エンディングテーマとしても流れた、
安西美穂子作詞の「オグリキャップの歌」。
そして、オグリキャップの中央デビュー後のレース実況。
この思い出のCDを、その死から1週間以上経った今も、
ゆっくり聞き直しています。
いやぁ、改めて思います、稀代の名馬でした!
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