1242 ニッポン放送
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みのりの日記
栗村 智
栗村 智
 
diary
6月12日
あーあ、お引越し・・・
わがニッポン放送は、今、社内人事異動で、
大掛かりなひっこしが、週末、ワッ〜という勢いで行われています。
めいめいに配られた段ボール箱へ。
この際、入らないものを、あっさり捨ててという、
総務部からの指示は、重々わかっているのですが・・・。
入社35年目、有楽町ー〜お台場〜有楽町と、
何度となく引越しを重ねながら、
現在、身の回りに残されているものを捨てるというのも
こりゃ、難しいもの。
案の定、ロッカーや引き出しから
移動用の段ボール箱へしまう作業が、なかなか進まないのですよ。
ある程度の、スリム化をはかり、
前回のお台場から有楽町に帰ってきたときに、
思い切って捨てて、身軽にはなっているのですが、
いきなり、ロッカーの私物入れの底敷きにしてあった、
黄色に変色した古新聞を広げて、びっくり!
もうそこで引越し作業の手が、ピタリと止まってしまいました。

入社2年目、スポーツアナウンサーとして初めて参加した、
プロ野球日本シリーズの中継取材。
最終戦の翌日、ヤクルトスワローズ初優勝日本一!
「白球はファウルだった」「上田監督辞意」の見出しが躍っている
昭和53年10月23日付の日刊スポーツでした。
このシリーズ、広岡ヤクルトと上田阪急の間で行われ、
ヤクルトの4勝3敗日本一。
勝負を決めた第7戦、6回に大杉勝男さんが放った
レフトジャンボスタンドに飛び込んだホームラン。
レフトポールの上か・・・左横か・・・。
富沢塁審は「ホームラン」の判定。
これに「ファウルだ!」と激しく上田監督が抗議。
実にその抗議時間は1時間19分!
日本プロ野球史に残る大変な試合を伝える新聞だったのです。
写真は、ポールの左を通過する
大杉さんの打球がデカデカと載っていました。

あの日、駆け出しのパシリの坊やとして、
後楽園球場のニッポン放送のゴンドラ放送席に、
実況アナウンサー枇杷坂先輩の後ろに控えていました。
(大学野球と日程が重なるため、神宮球場が使えず
ヤクルトが後楽園球場を借りて行われた)
ディレクターの指示で、放送席を飛び出して、
ホームランボールが飛び込んだジャンボスタンドへ飛んでいって、
ボールの飛び込んだ付近に座っている観客、
ラッキーにもホームランボールを拾った
親子連れの人たちに話を聞きに行きましたよ。
そういえば、あの時み〜んな、口角泡をとばして、
『間違いなくファウルだ!』と言ってましたね。
審判の判定は、一度出せば翻らないのはわかっていても、
のるかそるかの判定ですからねえ。
駆け出しアナウンサーの私がこれまた、
観客に輪をかけた取り乱しようで、
「これは絶対ファウルです。みんなファウルって言ってます」と、
しどろもどろのレポートをして、放送終了後、深澤先輩に
こっぴどく叱られた苦い想い出も蘇ってきたわけですよ。

でもあの頃って、プロ野球の注目度といったら、
それはもう、いまとは比べ物にならないほどの熱狂度でしたよ。
ページをさらにめくっていたら、
菊花賞トライアル、京都新聞杯、
伏兵・メジロイーグル、逃げ切り勝ち!!!
410キロという小さな牡馬で、鋭い逃げ足、
レース前の気合、満身にみなぎったつる首!
大好きだったメジロイーグルが、
勝った日でもあったんですねえ。

そういえば、オーナーブリーダー名門牧場メジロ牧場が
馬主さんでした。
そのメジロ牧場も、スピード重視の競馬社会に行き詰まり、
今年で馬主から、撤退するのだとか・・・。
う〜ん、昭和も遠くなりにけりか・・・。

てなわけで荷物の整理、一向に進まないのです。 
5月27日
映画館で観る落語と和装のススメ
ゲッ、関東地方もう入梅ですって?
最近どうも天候不順で、気が重くなりますね。
鬱陶しい空模様の日は、映画館にこもるか、
寄席の客席に腰を沈めるのが一番と、
月間かわら版をめくっていたら、
恰好の催しを見つけました。

場所は、東銀座・東劇。
そう、この間お奨めした柳家わさび主演「落語物語」を、
上演していたところですよ。
元々、シネマ歌舞伎・シネマ落語上演という
嬉しい劇場ですが、この5月21日から6月10日まで
「落語研究会・昭和の名人 弐」を上映しています。
ホール落語の老舗、国立小劇場の「落語研究会」の
懐かしい映像を大スクリーンに映し出してくれるんですよ。

今回は・・・
三代目古今亭志ん朝「船徳」(昭和58年)。
十代目金原亭馬生「臆病源兵衛」(昭和54年)。
六代目三遊亭円生「引越しの夢」(昭和45年)。
八代目林家正蔵「中村仲蔵」(昭和47年)。

いずれも全盛を極めた頃の録画、
それぞれ絶品といわれた得意ネタで、
特に正蔵師匠の中村仲蔵はよかったですねえ。
昔はよっぽど体調が良いときでないと、正蔵師匠の高座は、
居眠りしてしまうことが多かったのに・・・。
昔はテンポのいい笑いの多い高座が大好きでしたが、
いやぁ〜、私も歳をとりました。
ゆったりとした語り口が心地よく、
サゲのところで、うっかり涙が浮かんでました。
お時間のある方は、是非、御覧あれ・・・。
とても気分がいいので、帰りに大奮発して、
竹葉亭によって鯛茶大盛りでいただきました。

歳のせいといえば、最近ポッコリと出たお腹で、
ズボンがずり下がって仕方がなく、
かといってチャップリンじゃあるまいし、
サスペンダーでもないでしょ。
そこで、今年に入ってから、少しずつ着物を揃えています。

先日は、知り合いの結婚披露宴の司会を頼まれ、
先方も、畳屋さんの若旦那ということもあり、
私、色紋付で進行をつとめました。
タキシードも仕事柄あるのですが、
このお腹ですからねえ・・・。
腹話術の人形みたいになってしまうので、
思い切って和装に変えました。

お召しの色紋付は、びっくりするほど高かったんですが、
最近は着物生地で、洗える便利な格安のものも出回っており、
噺家さんも利用しているので、
今度は夏物の着物を作ろうと、
本職の噺家、柳家わさび君に頼んで、
仕立て屋さんを紹介してもらいました、
先ずは手始めに、落語協会から売り出された、
そろいの浴衣地を買って、今、仕立ててもらっています。
エコが特に強く叫ばれる昨今、蒸し暑い夏を涼しく過ごす、
日本の伝統の知恵を借りようと思ってます、ハイ・・・。
5月15日
平成23年5月技量審査場所
外国人が上位を占め、人気下降の大相撲が、
八百長問題でさらに窮地に陥り、
通常興行を控え、ばん止むを得ず開催した、
技量審査場所に行ってきました。
両国国技館に入って、実際に相撲を見るのは、
ほぼ初めてといっていいでしょう。
入社直後、相撲実況練習で、
当時ニッポン放送の大相撲実況の第一人者だった、
檜山信彦先輩に何度か連れて行ってもらったのは、
前の蔵前国技館でしたから、
今から33年も前のことなんです。

少年時代は、大鵬・清国の大ファン。
当時、広島準本場所と称して、
一年に一回の巡業が行われていた頃、
当時、小結だった清国関に、
広島県立体育館前で握手してもらったぐらいの
相撲小僧でした。
ニッポン放送は相撲中継を放送していませんでしたから、
国技館から足が遠のいていたんですね。
我々が小学生の頃は、6時限目の授業が終わるや否や、
テレビの相撲中継を見ようと、
ランドセルをさかさまに背負うくらい、
急いで学校を飛び出して、帰っていたくらい。
ですから、今の相撲の衰退振りをみるのは、
悲しくてつらいものですよ。

今回は、古くからの友人が、
ラッキーにもコンピューター抽選に当選。
なっ、なんと、桝席を引き当てて、
座布団一人分あいてるからと誘われて向った両国国技館。
両国駅を降りたら、やぐら太鼓が墨田の川にひびいて、
正面口から、にぎやかなお茶屋さん。
いっぱい相撲観戦のお土産を陳列している売店・・・。
名物地下で焼く焼き鳥のにおい・・・。
従来の国技館定番の舞台装置がすべて省かれた、
いやまぁ、そりゃぁまあ、質素な薄暗い空間に変わっていました。
(焼き鳥は自粛ではなく、被災地岩手の鶏肉を使っているので、
材料が間に合わず、場所6日目まで営業できなかったのだそうです)

しかし、十両土俵入りあたりから、
お相撲さんのつややかな肌、色とりどりの締め込み、
化粧回しを目の当たりにして、
再び、あの頃の大相撲の華やかな美しさを思い出しました。
ここまで勝ちっぱなしの新入幕、
ブラジル出身・魁聖を露払いに登場した、
白鵬の横綱土俵入り。
ジツに均整の取れた土俵入りといい、
大相撲のすばらしさを、今一度再確認しました。

そして、危機が訪れている角界にも、
時代を背負って立ってくれそうな大器が誕生し、
すくすくと育っているのを目の当たりにしました。
その関取の名は隠岐の海・・・。
190センチ、152キロ。
隠岐島の出身で、東前頭4枚目。
7日目終了現在、魁皇、日馬富士の両大関を破り、4勝3敗。

楽しみなお相撲さんも出てきています。
一日も早く、あのやぐら太鼓が、
景気よく町中に流れるガチンコほんものの大相撲を
見せてほしいですね。
このたび、技量審査場所を観戦して、
つくづく相撲はニッポンの国技でなくっちゃ・・・と思った次第です。
5月 5日
GW都内寄席見てある記
東日本大震災から、まもなく2ヶ月。
これまでが明るすぎただけに、
東京の街は、節電で薄暗くなり、
特に地下街を歩いていると、
いまだ気持ちが重〜くなりますよね。
自粛もほどほどに…。
東北の酒をバンバン呑みましょう!!!
なんて言われてもねぇ。
日本人として、それはできませんよねぇ。

ゴールデンウィークも、
そうそうは賑わいを見せないのでは…と、
思っていましたが、各地の盛り場は、
ほぼ元気を取り戻しつつあるような趣となりました。
これまで、各地の落語会、地域寄席が自粛、
あるいは会場が避難所になったりしてキャンセルが相次ぎ、
芸人さんにとっても、厳しい毎日だったようですね。
てなわけで、ゴールデンウイーク・都内の寄席見てある記!!!

新宿末広亭は、昼の部「桂 歌丸芸歴60周年記念興行」。
客席は通路まで立ち見客で、まるで満員電車…。
こりゃたまらん!と、楽屋に逃げ込もうと、
鶴光師匠を訪ねれば、中入り後の口上直前で、
米助・竹丸・米丸・鶴光・特別出演円楽さんという、
そうそうたるメンバーが黒紋付に袴姿で、準備に大童。

ならばときびすを返して上野広小路へ!
上野・鈴本演芸場は1〜5昼席、1〜10夜席、
全席前売指定席。
それでも、夜席に立ち見のにぎわい…。
夜席は、ゴールデンウイーク特別興行…。
64歳・権太楼一笑懸命10日間。
10日間ネタだしで、3日火曜日・素直にケラケラ笑う、
それはそれは素直なお客様ぞろい。
後ろに14〜5人の立ち見のお客様を前に、
金比羅船の陽気な出囃子にのって権太楼師匠の登場。
大師匠目白(5代目小さん)の18番「猫の災難」を、
権太楼風にディフォルメを効かして場内は大爆笑!

一方、浅草演芸ホールは、小三治師匠が夜の部で、
木久扇師匠が昼の部のトリ…。
場所といい、顔ぶれといい、立ち見は必定…。

じゃ、ここはどうだろうと有楽町線に乗って覘いたのが、
出演者の人数といい、持ち時間といい、
ゆったりとした構成の池袋演芸場。
やってきたのは、こどもの日・昼の部。
桃太郎さん企画構成の顔ぶれで、
昼の部12時30分開演前に、ちょうど80人くらい。
トリの平治さんの上がりの時には立ち見のお客様という、
嬉しくなるような賑わいでした。

中入り後に登場した、笑遊師匠「くしゃみ講釈」は、
お客様がひっくりかえるほどの大爆笑。
最近客席で一番無邪気に、
腹をかかえて笑わせてくれる爆笑噺家…。
「ちびまる子ちゃん」のおじいちゃんみたいな容貌で
客席を引っ掻き回すほどの大熱演。
私・栗村、目下一押しの噺家さんですよ。
おススメは「片棒」「やかん」「祇園祭」「くしゃみ講釈」…。
まっ、一度お聞きになってください。
何もいいことのない、昨今、笑遊ワールドにドップり浸かり、
それはもう心地の良い、23分の高座でした。
とはいっても、笑遊師匠も生モノですからね。
たまには、ハズすことも…。
ですから、何回か通ってみてくださいね。

ゴールデンウイーク都内寄席定席は、
相変わらずの心地の良い空間でありました。
4月21日
カープ20年ぶりの日本シリーズだ!
やせ馬の先走りといわれようが、早すぎようが…。
カッ、カープが、いっ、今、横浜スタジアムの乱戦をものにして、
ロッ、6連勝で、首位を驀進していますっ。

昭和50年、地元カープ初優勝に刺激されて
プロ野球アナウンサーになった私にとって、
30年間にわたる取材生活を通じて、
いろいろなチームの選手・首脳陣と知り合い、
その関係チームを応援してきましたが、
こうして、現場から離れると初心に帰るというか…、
負けても、負けても、応援し続けたあの頃の思い出が蘇り、
赤ヘルカープのゲーム結果に、
一喜一憂してしまうものなんですねぇ。

ピッツバーグパイレーツの本拠地、
PNCパークをお手本にして作られた
マツダスタジアムになって2年目。
野村カープは、キャッチフレーズ「逆襲」を旗頭に、
好スタートをきりました。
故郷広島でお医者さんをしている親友から、
「おい、広島ははあ、優勝ムードでぇ!
市内を走りょうる電車も勇ましいで!
宇品行きの新しいグリーンムーバーマックス言う、
新鋭路面電車は花電車になっとるでえ!」との電話。
なんでも今シーズン開幕と同時に、
カープの今年のキャッチフレーズ「逆襲」の文字や、
劇画調のカープ坊やを車体に張った派手な電車が、
市内を練り歩いているのだそうです。
今シーズンいっぱい、応援を続けるのだそうです。
もちろん一緒に「頑張ろう日本」も並べて
記されているそうです。

開幕2連敗のあと6連勝。
全米ドラフト1位でメジャーに入り、
1勝しか出来ず芽が出なかったブライアン・バリントンが2勝。
2010年・ドラフト1位今村猛。
2011年・ドラフト1位福井優也。
2007年・高校ドラフト1位前田健太。
2008年・ドラフト1位篠田純平…。
6連勝中の勝利投手は、皆、何がしかの
ドラフト1位の栄光に輝いた若者達なんですよ。

よその畑から既成戦力をお金でひっぱってくるチームとは、
勝ち方が違うだけに、余計に愛情が深くなるんですよ。
ちなみに、今日の横浜スタジアムの、
スターティングラインナップスは…。

一番ショート・梵英心30歳、
二番セカンド・東出輝裕30歳、
三番ライト・広瀬純32歳、
四番サードチャド・トレーシー30歳、
五番ファースト・栗原健太29歳、
六番レフト・岩本貴裕25歳、
七番センター・丸佳浩22歳、
八番キャッチャー・石原慶幸31歳、
九番ピッチャー・ブライアン・バリントン30歳。

ビッグネームは一人も名を連ねてはいませんが、
なんともバランスの取れたオーダー。
気が早いといわれようが、なんだろうが、
1991年(平成3年)以来20年ぶりの
日本シリーズが…!
ま、長〜い目で見守っていかなきゃなりませんが、
投手構成・打撃構成ともに、
楽しみな顔ぶれになっていることは事実ですよ。

実は私・栗村、アナウンサー生活で、
初めて日本シリーズの実況中継を担当したのが、
1991年10月24日の広島市民球場。
西武との日本シリーズ第5戦・解説平松政次さん、
ゲスト解説仰木彬さんで、
3対0でカープが勝って、
3勝2敗と王手をかけたゲームでした。
放送席から見る市民球場のスタンドは真っ赤…。
さながら、宮島のもみじ谷の紅葉を
見るような美しさでしたよ。
新しいマツダスタジアムにあの光景をもう一度!
早すぎようが、やせ馬の先走りといわれようが、
応援し続けますよ!
 
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