8月 2日
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落語協会夏の寄り合い
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落語協会所属の芸人さん・協会賛助会員(ご贔屓様)・報道関係が、
年に一度、一同に集まって無礼講で暑気払いを行う、
「落語協会・夏の寄り合い」に、報道枠で久しぶりに参加して来ました。
昔は何台もの観光バスをチャーターして
成田詣でをしていた記念写真が残っていますが、
当節は、場所を浅草の観音様に変えて、
懇親会もすぐそばの浅草のホテルに変わっていました。
が、なにしろ史上最多の349名の会員を抱える大所帯、
(修業の身の前座さんが31名)になっちゃいましたから、
そうそうまとまって遠くには行けなくなりましたね。
10日刻みの寄席興行で、一日余る31日ということで、
例年、7月31日に行われます。
まずは浅草演芸ホール前に集合。
みんなで落語協会そろいの浴衣をきて、
柳家小三治会長を先頭に歩いて、
寿司屋通り〜雷門通り〜雷門前〜仲見世〜浅草寺と、
歌舞伎の役者さんのように整然とは行きませんが、
わいわいがやがやぞろぞろとお練り・・・。
前のほうに、協会幹部のご高齢な噺家さんが歩いていますからね。
気軽な若手噺家さんと固まって後ろを歩いている我々は、
何度もノッキングの状態、それでも馬鹿な事を喋ってるうちに、
浅草寺五重塔前に到着。
普段履きなれない雪駄履きで、ちゃらちゃら歩いて、
結構くたびれました。
さあ、続いてはみんなで記念写真。
これが大変!
写真屋さんがシャッターを切る時、 電車の車掌さんのように、
笛を「ピリピリピリーーー」と吹いて、
ようやく大人数の記念写真撮影が終了。
根が口から先に生まれたような連中の集まりですから、
そのにぎやかなこと。
本堂に入ってご祈祷、急な厳粛な気分になったところで、
ビューホテルに会場を移して大宴会。
すばらしいご馳走をたらふく頂戴して、いやぁ、いい気分!
毎度おなじみ、前座さん有志による余興。
昨今は女流噺家さんが増えて、
とにかく裸になっちゃえ!という、無茶苦茶な芸は姿を消し、
かわいらしい余興でした。
11月に晴れて、二つ目に昇進する春風亭ぽっぽチャン演出で、
ぽっぽ・林家扇・林家つる子の三人のかわいらしいミニドレス、
懐かしいキャンディーズ、AKB48ナンバーを、
気持ちの悪い男前座の女装ダンサーをバックに熱唱。
これには、老齢噺家の皆さんまで超興奮!
むっつりして座っていた小三治会長まで、
デジカメ持ち出して撮影する、そりゃあ愉快なショーでした。
昔はいろいろやって、そりゃーよっぽど面白くなけりゃ、
大師匠連が笑ってくれるわけがないと、
終いには素っ裸になって悪受けでも笑いをとるという余興から、
歌謡曲のスーパースター柳亭市馬さんの、
玄人はだしの歌謡ショーへと変わり、
ついには、かわいらしいキャンディーズ、AKB48ナンバーへと、
協会も随分雰囲気が変わりました。
市馬師匠の歌声は、今週7日・日曜日、
谷中全生庵にいらっしゃれば、円朝まつりで、
お昼過ぎには、柳亭こみち・市馬歌謡ショーを、
御覧いただけると思いますよ。
協会そろいの浴衣を作って、楽しい一日でした。
宴会の会場で各テーブルに、浅草寺本堂御祈祷の時、撒いた散華という
小さな紙切れが、お参りのしるしとして配られましたが、
福引のくじと勘違いして、それをばりばりと破って首をかしげる、
若手噺家さんの姿が・・・。
「こっ、この、罰当たり者目が!!!!!」
いやはや、時代は変わりました。
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7月24日
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中田翔のフォームで思い出すアノ男
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日本のオールスターゲームは、今年3試合。
昔ほどでは、ありませんが真夏の祭典らしく、
大きな盛り上がりを見せています。
今年は、2007年ドラフトの高校ビッグ3、
中田翔・佐藤由規・唐川侑己が順調に成長して、
3人そろって出場。
若い力台頭は、嬉しい限りですね。
ところで、今やパリーグ首位タイ、
日本ハムファイターズの4番バッター、
中田翔の成長ぶりには、
目を見張らせるものがありますよね。
元々、長打力がウリものですが、
今年からバッターボックスで、
ガニ股で、広いスタンスで踏ん張って、
ノーステップでスィングする打法が効を奏して、
51打点は胸を張れる数字ですね。
オールスターゲームで久しぶりに見た、
セリーグ観戦中心のファンには、
驚きの目で見られていたのが印象的でした。
日本のバッターのパワーでは、このようなフォームだと、
反動を使えないので、ホームランは大量には望めないでしょうが、
何はともあれ、確実性が備わった中田翔のバッティングフォーム。
これはかつて、横浜にいた種田仁、
いやいや、それよりメジャーリーグのスーパースター、
ヒューストン・アストロズのジェフ・バグウェルのフォーム、
そのものなんですよ。
1991年ナリーグ新人王、1994年ナリーグMVP。
91年〜2005年の15年で449ホームラン、
1529打点の功績で、背番号5は、
アストロズの永久欠番になっています。
アストロズの3番に座り、ガニ股打法で、
かつてのアストロドームで、胸のすくようなアーチを描き、
当時のドジャース・野茂投手をカモにしていたバッターなのです。
外へ逃げるスライダー、縦に落ちるフォーク全盛の
近代野球にあわせたフォーム。
少しでも甘くなればスタンドに放り込むバッティング。
今の中田にそんな長打力が備われば、
第二のバグウェルですよ。
オールスターゲーム、オールパシフィック6番を打つ中田翔を見ていて、
かつてのメジャーリーグの強打者を思い出したわけです。
1997年、ヒューストンアストロドームに、
野茂の先発ゲーム実況の先乗りで、前日に入ってレッズ戦の試合前、
今はなきパンチョ伊東さんにアストロズの選手ロッカーで、
バグウェルを紹介していただき、
彼のゲームでかぶっているキャップに、
金色のフェルトペンで、サインをしてもらいました。
今でも私の宝物ですが「あなたのファンです!」と緊張している私に、
「僕のほかに君が注目している選手は?」の質問に
「抑えの160キロ左腕、ビリー・ワグナー投手です。」
「そうか、ゆっくり楽しんでいってくれ」との会話。
なんとその日、延長14回バグウェルのサヨナラホームランで
決着が付いたのです。
試合後、興奮気味でバグウェルのロッカーへ行って、
「グレイト・ジョブ!ジェフ!」と声をかけたら、
彼の返してきた言葉は、粋でしたよ。
「君が楽しみにしていたビリー(ビリー・ワグナー投手)の
ピッチングが見られなくて悪いことしたなあ・・・」とウインク。
もっと早めに得点して、2〜3点リードして、
抑えのサウスポーストッパー・ビリー・ワグナーを
投入する展開を見せられれば、
もっと良かったのになあ・・・なんて意味で、
ウインクしてきたのですよ。
傍にいたパンチョさんも、
「この野郎・・・かっこいいこというなあ。」と、
二人でひとしきり感心した事を思い出しました。
中田と、ヒューストン永久欠番のバグウェルをダブらせるのは、
ちと飛躍しすぎかもしれませんが、オールスターの打席で、
思い切りの良いスイングを見せる中田翔の勇姿を見て、
14年前の素晴らしいシーーンを、思い出しました。
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7月13日
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人生で、一番暑い日
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いやぁ、毎日毎日、暑い日が続きますね。
浅草寺・四万六千日さまも終わって、
いよいよ東京もうだるような暑い夏に突入です。
2011・MLBオールスターゲームが、
今日(現地時間12日)午前中、アメリカ・アリゾナ州
フェニックス・チェースフィールドで行われました。
11年ぶりに日本人選手が出場しないゲーム、
ブルワーズの4番バッター・プリンス・フィルダーが、
センターバックスクリーン横に逆転の超特大ホームランを放ち、
5対1でナショナルリーグの勝利。
アメリカ大陸でも暑い夏でおなじみのチェースフィールド。
試合前の気温は40℃、ゲーム中も35℃ながら、
アリゾナ特有の蒸し暑さの中・・・、といいたいところですが、
ドームの中は、快適な25℃に調整されていることもあって、
両リーグ好プレーの連続、なかなかしまったいいゲームでした。
ところで、皆さんはこれまでの人生で、
「一番暑かった日」を憶えてますか?
私はなんと言っても、野茂英雄投手が、
オールスターゲームで先発した、1995年7月12日ですね。
所はアメリカ・テキサス州アーリントンの、
ザ・ボールパーク・アーリントン。
正午の気温が43℃。
ゲーム中、仮設放送席の温度が35℃でした。
生まれてこのかた、40度以上の外気を
経験したことがありませんでしたから、
随分驚いたのを、憶えています。
あの時飲んだ「ドクターペッパー」の美味かったこと・・・。
記者席のドリンクサーバーも、
テキサス・アリゾナという強烈に暑い所って、
決まってドクターペッパーとマウンテンデューの
2種類だったのが印象的ですね。
試合前、野茂投手に「暑さは大丈夫?」って訊いたんですが、
涼しい顔で「ナゴヤ球場に比べたら、楽なもんですよ」と、
まったく動じていませんでした。
これくらいタフでなければ、
メジャーリーグは勤まらないんですねえ。
以後、いろんなスタジアムに行きましたが、
あの時ほど暑かったことはありません。
今から16年前の出来事でした。
そういえば今回、MVP
(アーチ・ウォード賞:第一回オールスターを企画した、
シカゴトリビューンの報道部長の名前)を獲得した、
プリンス・フィルダー選手って、
元・阪神タイガース〜デトロイトタイガースで活躍した、
セシル・フィルダー選手の息子なんですよ。
阪神甲子園球場のロッカーを、
お父さんそっくりの体系の5歳のプリンスが、
駆け回っていたのを思い出します。
その後お父さん、ギャンブルにうつつをぬかし
倅の契約金に手をつけてしまい、
絶縁状態だということが、以前報じられましたが、
その後どうなったんでしょうね?
オールスターゲームを見ていて、
ふと、あの16年前のわが人生で、
一番暑かった日を思い出しました。
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7月 5日
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高田ファウルの歓声
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♪君は早起きしたのが、さも得意そうに、
寝惚けまなこの僕を朝食に追いたて、
「ねえ また巨人が負けたってさ」って、
高田の背番号も知らないくせに♪♪♪
長嶋さんが現役引退の翌年、
監督になっていきなり最下位の1975年に作られた
グレープの「朝刊」と言う唄・・・。
そうなんですよ・・・あの頃って、
流行歌の歌詞にプレイヤーの名前が出るほど
野球熱が高かったんですよね。
ナイター中継がない夜、7時から9時までお送りしている
ナイタースペシャルのゲストに
あのジャイアンツV9戦士・高田繁さんをお迎えして、
今日たっぷりと収録させていただきました。
昭和20年生まれ、地元浪花商業から明治大学。
そしてV9の4連覇目から参加した
華麗な球歴の高田さんから見た「ON」。
常勝軍団・巨人の前に立ちふさがった、
外木場・平松・松岡・江夏・星野・・・。
対戦チームのエースたちの思いでもたっぷりに、
その後の日本ハムのGM時代、フロントの時の
ダルビッシュ・中田との入団交渉時の話などなど、
2時間番組ながら収録に3時間近くかけて、
楽しくお話を伺えました。
内容はナイターのない夜のお楽しみですが・・・、
高田さんが収録時、ぽつりと仰った言葉が耳に残りました。
「ぼくは三塁線に強いライナーのファウルをよく打って、
高田ファウルなんていわれたけど、
そういえばあの頃、お客さんの歓声って、
自然にドーーーッて響いて、
ぎりぎりのファウルにウホオオオッていう嘆息の渦、
後楽園いっぱいに響いてたよねえ。
今はみんなで一緒に盛り上がろうっていう感じの
応援が多いねえ。随分、野球の楽しみ方が変わったなあ…」と。
独り言のように・・・。
そう、球場でお目当てのチームに、
楽器と声援でリズムをとる応援が、
今の定番になっているけれど、
それぞれにいろんな観戦の仕方があるはず・・・。
やっぱり野球人気が、以前より深くなくて、
浅くなっていってるんではないでしょうかねぇ。
高田さんのこの一言に、随分考えさせられました。
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6月22日
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着物をさわりたい!
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アナウンス室の後輩・飯田アナの華燭の典もめでたく終えて、
先ずは、御両人末永くお幸せに。
披露宴は、ジューンブライド、梅雨の真っ只中で、
参列者も足元が気になる時期でしたが、
幸いにもお天気に恵まれて、お日様の下、新郎・新婦幸せそうに、
フラワーシャワーを浴びていたのが印象的でした。
当方も迷いに迷って、あわせの色紋付で参列、
汗みどろになるのではと心配しましたが、
心地の良いエアコンが効いてて快適でした。
かえって、ノースリーブのドレスを着ていた
女性陣のほうが、寒がってましたよ。
夏場の着物、浴衣で済むところはいいけれど、
これからの時期が難しいんですよね。
いわゆる薄物ってえ、やつですよ。
絽とか、紗、麻織物・・・。
ほら、法事の時にお坊さんが着てるやつですよ。
あれの「黒くないやつ・・・」っていえば、
お解かりになると思いますが、
いまでもDVDで偲べる、志ん朝師匠の夏の高座着姿は、
今でもため息が出るほど粋ですよ。
本当は、それをまねしたいと、呉服屋さんをうろうろ。
ひェ〜!なっ、なんと!
Mデパート、色染めの薄物反物だけで、ゲェッ!!!
「自動車買うんじゃないんだよ〜、たっ、たか〜〜い!」
絽の紋付なんて、高嶺の花なんですよね。
そこで、円太郎師匠に相談したら、
「今は洗える着物で、充分に絹物と変わらぬ反物がありますよ」と。
重宝な化繊(ポリエステル製)を、
扱う呉服屋さんを紹介してもらい、
俄然、わたしの和装リフォームに、拍車がかかりました。
やっぱり平気で洗濯機で洗える着物があれば、
夢のようなものですよ。
にわか雨も、へえっちゃらですからね。
今の噺家さんも結構着てるのだそうですよ。
晩年、志ん朝師匠も、時折、お召しになっていたんだとか。
絹物に比べれば相当安いとはいうものの、
上質なものは、かなりのお値段ですけどね。
てなわけで、高座着姿の本職の噺家さんに逢えば、
着ている着物をさわらせてもらうのがクセになり、
今、私、とっても噺家さんに嫌われて(?!)ます・・・。
この間、内幸町ホールで、
第6回楽橋亭・瀧川鯉昇独演会の楽屋に伺うと、
開演前、前座の鯉ちゃくんが開演準備で、せっせと着替えを…
「あれェ〜、鯉ちゃ、きみいい着物着てるねえ」
鮮やかな水色の絽の着物を着てるんですから、驚いたんですよ。
だって、前座さんですよ!
夏場、楽屋仕事は浴衣でOK。
(高座は浴衣では許されませんが…)
それが高級品の絽ですからねえ…。
ドコで作ったのか問いただしたら、
伝法院通りの古着屋さんのつるしを、
15000円でゲットしたんだそうですよ。
最近はリサイクルショップも、寸法さえ合いさえすれば、
男物の古着を、相当安く買えるのだそうですよ。
なんでも、芸協のある前座さん、
リサイクルショップで着物買ったら、
「初めてのお客様サービス券・1000円」もらって、
1050円の吊るしの着物を買って、
今、高座で着てるそうです。
そういえば今、私が時折着る黒紋付の羽織は羽二重で、
やっぱり、浅草伝法院通りの古着屋さんで
7000円で買ったものでした。
そうだ、いいものはいいのだ!
古着屋さんにも、足をのばそ〜うと!
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