9月18日
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一之輔さんおめでとうございます
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15日に行われた落語協会理事会で、
来春、春風亭一之輔さんが、
21人の二つ目の先輩を追い抜いて、
真打に抜擢されることが決まり、
昨日スポーツ紙でも報道されました。
いやぁ〜、本当にめでたい!
落語ブームの真っ只中、ここしばらくは、
前座4年、二つ目10年、辛抱すれば、
エスカレーター方式で、みんな順番に
仲良く真打に昇進させていましたが、
実のところ、真打の価値が疑問視されていました。
去年、会長に就任した、小三治会長の意向が強く働いて
今回の抜擢となったのでしょう。
みんな仲良くもいいけれど、互いに刺激し合って
芸を磨いていくのが、そもそも噺家さんの歩むべき道ですからね。
今回の抜擢人事、古くから寄席に通うものとして、大賛成です。
朝佐久時代、妙に縞の着流しが似合う前座さんで、
強く印象づけられ、二つ目に昇進して一之輔になってからは、
つとめて、彼が出演する勉強会に行っていましたが、
行くたびに成長していく様に感心し、満足して帰途に就く、
期待を裏切らない噺家のひとり・・・いや、その筆頭格でした。
様々な意見があるでしょうが、ここ2年くらい、
彼の「あくび指南」「青菜」には、
度肝を抜かれるようになりました。
これまでの、ゆったりとした流れの話に、
強烈な香辛料を効かした演出をして、
爆笑ものに変えていました。
先輩方が作った古典の連綿とした話の流れまで変えて
思い切って演じる高座姿に、陰ながら拍手を送っていました。
これまで鯉昇師匠や喬太郎さんたちも、
挑んでいった古典の壁・・・。
今回の落語協会の抜擢真打に背中を押され、
さらに飛躍する春風亭一之輔に期待したいですね。
そういえば、一門の小朝師匠が、
「九代目柳枝をついでは?」とブログに…。
かつて、ニッポン放送創設時、志ん生師匠と共に専属だった、
柳枝師匠の名跡が空いていますね。
ニッポン放送にもたくさんの、
8代目柳枝師匠のライブラリーが残っていますが、
「御結構の勝っちゃん(8代目の本名を島田勝巳といった)」柳枝の芸風を、
彼なら十分に継いでいけるでしょう。
来年春の真打披露興行で、新真打・春風亭一之輔が、
上野・新宿・池袋・浅草・国立のトリで、
何のネタではねるか、今から楽しみですね。
それはいいけど、来年春といえば、もう一つの協会、
落語芸術協会でも、真打披露興行が・・・。
鶴光門下・笑福亭里光さん、
鯉昇門下・瀧川鯉橋さんの披露も。
それぞれ、肩入れしてきた芸人さんのお祝い事、
こいつぁ〜ご祝儀が大変なことに・・・。
いや、でも、めでたい!
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9月 8日
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枝雀師匠のカセットテープ
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どうやらこうやら、うだるような暑さもひと段落ついて、
巷では、虫の鳴き声が・・・。
夜ともなれば、猫の額のごとき我が部屋にも、
開け放った窓から、心地の良い涼風が吹き抜けて、
柄にもなくおセンチになる、今日この頃です。
我が落語ライブラリーの奥の奥には、
埃にまみれたカセットテープの塊が・・・。
桂枝雀全集をバラして、カセットウォークマンに入れ、
日本全国、プロ野球中継や競馬中継で飛び回っていました。
小型掃除機で、丁寧にテープにこびりついたごみを
取り除いているうちに、ふと思い出したことが・・・。
浪速の爆笑王と言われた枝雀師匠全盛の
80年代から90年代、
東京都内の寄席は閑古鳥が鳴いていました。
枝雀師匠の落語会が、頻繁に東京でも開かれてましたねえ。
あの頃「東京の笑い」まで、
この人がかっさらっていってしまうのでは?というほどの
もの凄い勢いでした。
スポーツアナウンサー時代、よほどのことがなければ、
寄席の定席に顔を出すということもかなわず、もっぱらカセット。
年末決まって、上京されたときに観る
枝雀師匠の高座が楽しみでした。
往時の客席の抱腹絶倒ぶりに触れてみたくて、
今度は、VHSテープを引っ張り出して、
懐かしい花王名人劇場を・・・。
1982年、国立演芸場での「くっしゃみ講釈」をチェックして
夜更けまで枝雀ワールドに浸ってしまいました。
枝雀師匠が亡くなって早12年。
浪速にも定席ができ、東京の定席は、昼席は毎日満員という盛況。
時折、権太楼師匠の高座に、笑遊師匠の高座にも・・・
枝雀さんの魂が漂ってくることがあるんですよ。
あっ、そうそう、浪速の文珍さんの高座にも・・・。
あす9月9日・牛込箪笥区民ホールで
「やみ鍋の会」という落語会が開かれます。
江戸も上方も古典も新作もごっちゃ混ぜの会。
今回はこの会の名付け親・笑福亭鶴瓶師匠がゲスト出演。
マジになって噺家に入門した月亭方生(山崎邦正)、
鶴瓶門下、笑福亭瓶二さんに並んで前田一知さんの名前が・・・。
今は亡き、枝雀師匠のご長男。
確か、ビジュアル系ロックバンドのドラマーだったはず・・・。
今回、プロの噺家さんにまじって一席やるということ。
楽しみですねえ。
このご長男もすでに38歳になるとか・・・。
いやぁ私も、ずいぶん年をとったものだと思ってしまうのです。
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8月28日
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ホーリックス
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27日付の日刊スポーツ競馬面片隅に
「89JCで、オグリと名勝負、ホーリックス死す」の記事が・・・。
ホーリックスと聞くと、今から22年前、
去年なくなったあのオグリキャップと、東京競馬場の直線で
壮烈なデッドヒートを演じた第9回ジャパンカップを思い出します。
当時、ニッポン放送「日曜競馬ニッポン」の総合司会と実況を担当し、
サンケイスポーツレース面で、
土日は「栗村智の実況予想」を書いていました。
下から突き上げる地鳴りのような10万有余の大歓声の中、
双眼鏡の内側に、灰色の馬・ニュージーランドのホーリックス。
外側に同じくグレイホース。
その中、前の週、京都・淀のマイルチャンピオンシップで、
バンブーメモリーをハナ差かわして、無謀と言われた連闘で
臨んでいたオグリキャップが、猛烈な差し足を使って
伸びてきていました。
200メートルわたるまさに一騎打ちのレース後、
東京競馬場の掲示板に、2分22秒2の勝ちタイム表示に、
度肝を抜かれました。
当時の2400メートル、世界レコードでした。
全馬駆け抜けた、晩秋のくすんだ緑の芝の上には、
激闘の余韻が残っていました。
表彰式での銀色に輝く見事な馬体のホーリックス。
そばで欣喜雀躍する若きランス・オサリバン騎手。
引き綱を持ってにっこりする女性厩務員さんの、
かわいらしいポニーテイルのブロンド髪が、
軽くはずむように揺れていたのが印象的でした。
あの当時、36歳・若手スポーツアナウンサー、
必死の思いで実況してから、
22年の歳月が流れたんですねえ・・・。
幸い、そのころのレース実況の模様は、
1991年の3月、テイチクから発売された、
「オグリキャップフォーエバー」というCDの中に、
収録されています。
久しぶりに取り出して、聞いてみました。
「いやあ、技術面でも、発声も若いなぁ」と思う反面、
平日ショウアップナイターでは、古葉竹識監督率いる
横浜大洋ホエールズを担当。
ほとんど休みなく野球に競馬に、日本中を飛び回って、
休みなんて、ほとんどありませんでしたよ。
そういえばこのころ、わが生涯通しての趣味・落語は聞くことも、
定席にふらりと立ち寄る余裕さえありませんでした。
毎日野球・競馬に追われていました。
あの頃に、今のようなゆったりとした遊び心があれば、
実況ももっと聞きやすいものになったのではと、
悔いが残りますね。
オグリキャップに次ぎ、名牝ホーリックスが・・・。
それよりも前に、スーパークリークもこの世から去っていきました。
めまぐるしく動き回ったあの頃が、懐かしく思い出されます。
ちなみに、ホーリックスが勝った、
第九回ジャパンカップの行われた1989年は、
昭和から平成に変わった節目の年。
スポーツ界でも、日本シリーズでは、
近鉄・加藤哲郎投手のインタビュー大放言で、
ジャイアンツが、3連敗から一気に4連勝して大逆転。
海の向こう、アメリカ・サンフランシスコでは、
ジャイアンツ×アスレティックスの、
ワールドシリーズ第3戦開始直前におきた
M7.1の大地震で、ベイブリッジが崩落する大惨事。
シリーズの再開に10日かかったとか・・・。
本当にこの年は、いろんな驚きの出来事がありました。
ホーリックスの死から、あの大変な年を鮮明に思い出しました。
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8月20日
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寄席・夏の特別興行
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あまりの暑さに朦朧とする毎日でしたが、
此処へきてなんとか、暑さの峠は越したようで
ほっとする週末となりました。
東京の寄席・盛夏恒例の鈴本夏まつり、
新宿末広亭・芸人ハワイアンバンド「アロハ・マンダラーズ」
浅草演芸ホール・納涼住吉踊り、
池袋演芸場おなじみの寄席芸・二人羽織、
8月中席の昼席、それぞれ特別興行は、
大盛況のうちに、今日、楽日を迎えました。
毎年「暑い、暑い」とふうふういいながら、
さん喬・権太楼の本寸法&爆笑落語。
相変わらず、美声の小柳枝師匠。
済んだフルートの音色、可楽師匠のハワイアンバンド演奏。
粋で楽しい住吉踊り、
古き良き明治時代は、斯くやを思わせる、
遊三・遊三門弟による「二人羽織」を味わっているうちに、
季節はゆっくりと秋へ・・・。
夜席を終え、追い出しにせかされて外へ出ると
オヤ「蝉の声から虫の声」に・・・。
猫八さんではなく、まごうことなきコオロギの声・・・。
こうして、私の夏は過ぎ去っていきます
今から12年前、芸協の芸人さんで構成された、
素人ハワイアンバンド・アロハマンダラーズ。
前座さんの頃からベースギター担当で参加している傳枝さんも、
無事、千秋楽を迎え、今年も新宿末広亭・8月昼席は
盛況に終わって、ほっと一息。
何しろ第一回のゲストが、今は亡き柳昇師匠。
現在も80近い小柳枝・可楽両師匠がボーカルという、
超高齢化バンドのただ一人の若手だから、
気の遣いようも相当なようでしたよ。
ところで、桂歌丸会長率いる落語芸術協会の芸人さんたちは、
今度は、10月16日(日)第5回芸協らくご祭りにむけて、
若手芸人さん中心に、下準備が始まっているそうです。
元の淀橋第三小学校の校舎・校庭・教室・体育館を改装した、
まるで文化祭のようなにぎわいをみせる、
この催しの今年の呼び物は・・・!
芸協看板芸人によるお芝居、
「稲瀬川の勢揃い」白浪五人男だそうですよ。
誰が弁天小僧で、誰が忠信利平か、
顔付けはまだ内緒だそうですが、
だいたい予想がつきそうですね。
これから、お稽古が始まりますが、
人気者だけに、揃ってのお稽古は、
当日まで一回もなしってぇことになるのでは・・・???
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8月11日
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毎日、落語漬け
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7日・日曜日、谷中全生庵。
本堂と境内が芋洗坂と化す、落語協会・円朝まつり・・・。
落語協会そろいの浴衣をきて参加!
午前9時半会場前から、長蛇の列ができ、大混雑。
あまりの暑さと大変な人出で、
「これでは危ない」てえことで、
10周年の今年を最後に、芸人屋台が並ぶ形式はなくなるそうです。
いざ、なくなるとなれば淋しいですね。
9日・火曜日、国立演芸場。
「4代目春風亭柳好トリビュート・柳好18番集”大座談会で偲ぶ”」
学生時代、大好きだった川崎の柳好師匠を偲ぶ会へ!
5代目柳好・羽織の遊び
市馬・道具屋
喜多八・お見立て
鯉昇・犬の目
小柳枝・青菜
生前好きだった人、お弟子さん達が、
川崎の師匠を偲んで師匠の得意ネタを、
思い出を交えて一席。
なんで小三治門下の喜多八さんが?
学生時代、4代目が好きで、
弟子入りを柳好師匠か小三治師匠にするか迷ったほどで、
前座時代、新宿末広亭で開口一番、
楽屋に誰も来ていないと思い込んで、
「エー落語をやらしていただきます・・・」
4代目柳好のまねで一席をはじめたら、
楽屋で柳朝師匠が聞いていて、
高座を下りてきたら、こっぴどく叱られたという、
思い出をもっているというのが参加の理由。
座談会で4代目の出囃子「おいとこ」で、
市馬師匠が4代目の上がりを物まね。
いやぁ、懐かしかった。
翌10日・水曜日、お江戸日本橋亭。
今、勢いのある二つ目さんの
選りすぐりの顔ぶれが出演する、
伝統の第360回日本演芸若手研精会。
いつもは440人収容の日本橋劇場で開催されますが、
今回だけ、100人収容のお江戸日本橋亭での開催。
そりゃ、いくら猛暑の最中、8月10日といっても
皆さん、活きのいい高座を味わいに、
老骨に鞭打ってやってくるわけですよ。
狭いお江戸日本橋亭は、ぎっしりと満員。
おひざ送りの連続・・・。
最後部に折りたたみ椅子をさらに入れて、ようやく収容。
夢吉「弥次郎」
こみち「熊の皮」
遊一「幇間腹」
一之輔「引越しの夢」
鯉橋「へっつい幽霊」
来年春、真打昇進がきまった鯉昇門下、鯉橋さんが、
師匠そっくりに「へっつい幽霊」。
これから、彼なりの「へっつい」に、
どこまで熟成させていくか、非常に楽しみ。
一之輔さん、たくさんの登場人物を
達者に演じていて、好感が持てました。
ご年配の方が目立ちましたが、
四谷(現・浜松町)の局の大先輩アナウンサー・
Hさんの姿も見受けられました。
さ、明日から、今日から始まった鈴本夏祭りに、
足を運ぶ予定。
おっと、鶴光師匠は、新宿末広亭昼席に出演。
こちらは、芸協夏の呼び物・アロハマンダラーズの
ハワイアン演奏。
昔と違って、寄席の世界は、
ニッパチという言葉は、もはや、死語となっています。
(追伸)
今朝のA新聞で、夏の甲子園出場校・島根の開星高、
野々村監督の記事が・・・。
奔放な物言いが、昨春大問題になって、一年間謹慎。
今回、甲子園に戻ってきて、一回戦突破。
試合後も慎重に言葉を選び、取材に答えていたが、
”反省すべきところは省みて、
抽選会に着流しで現れる個性は変わらない”との記事が・・・。
渡世人でもあるまいに、かつての東映映画でもあるまいに、
寄席の前座さんでもあるまいし、
着流しでは抽選会に来ないでしょ!
抽選会当日、テレビのスポーツニュースで拝見した野々村監督は、
薄物の長着に、黒の絽の羽織、緑っぽい足袋に雪駄。
やや、個性を感じましたが、これが白足袋ならば、
れっきとした礼装ですよ!
着流しなんて、失礼な!!!
最近、和装に興味を持って勉強中ですからね。
これだけしっかりとした礼装を、
「着流し」といわれたら野々村先生が、
いくらなんでも可愛そうですよ。
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