1242 ニッポン放送
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みのりの日記
栗村 智
栗村 智
 
diary
12月23日
一陽来復
いよいよ押し詰まってきましたが、
来年は一陽来復して、良い年であることを祈るのみ!

18日(日)午後7時30分〜午後9時30分放送、
「よみがえる立川談志 その芸」お聴きいただけたでしょうか?
談志・円鏡両師の切れの鋭いしゃべり口、
談志さんが最も輝いていらした頃の高座「子別れ・上」「らくだ」、
ニッポン放送に残っている秘蔵音源から、
たっぷりお楽しみいただけたと思います。

さて、今週は歳の納めの「有馬記念」、
注目の枠順が発表されました。
昭和52年、ニッポン放送に入社して、いきなり研修場所と、
競馬場に連れて行かれた経験のある私。
一年も休まず、有馬記念だけは、中山競馬場で
観戦(89年〜95年は、レース実況)しています。

悲惨な大震災もあった今年、競馬開催が中止になった週以外、
毎日曜日のメインレースだけは、馬券を買い続けてきました。
ほかのレースに手を出さなかったのがよかったのでしょうか?
昭和52年の馬券初参加以来、
初めて収支がプラスになるかどうか。
先週終了時、マイナス一万円を少し切っていますので、
有馬記念いかんでは、
初めての収支プラスになるかもしれないのですよ。

史上7頭目、三冠馬オルフェーブル。
最強牝馬の誉れ高いブエナビスタ。
そのほかG1ホースが綺羅星のごとく居並ぶ、
今年の第56回グランプリ有馬記念・・・。
昔、サンスポ紙上で、土日のメインレースの予想を書き、
あまりの当たらなさに、当時のデスクに呆れられたほどの、
予想下手ではありますが、
今年は、去年のダービー馬・エイシンフラッシュの
一発にかけようと思っています。
2005年、ディープインパクトを破ったハーツクライ。
鞍上だった、クリストフ・ルメールの手綱さばきに期待です。
西日を浴びて、黒鹿毛の馬体先頭で、
ゴールに飛び込めば、それこそ、一陽来復!!!
みなさんも、ご幸運をお祈りしております。

25日、ラジオからはこんな実況が聞こえてくる筈・・・。
「200の標識を通過、鞍上ルメールの鞭がうなる!うなる!
西日をきりさいて、黒鹿毛の馬体が、先頭!!!
エイシンフラッシュ!ゴールイン!!!」
12月13日
よみがえる立川談志 その芸
今週日曜日・12月18日、午後7時30分から2時間にわたって、
五代目立川談志師匠を偲ぶ放送を担当することになりました。
かつて談志さんと、長年にわたり番組を制作した
ニッポン放送OB塙宏さんをプロデューサーに迎え、
ニッポン放送に残る秘蔵音源をふんだんに活用し、
家元・談志師匠を偲ぼうというもの。
先日、橘家円蔵師匠(当時の月の家円鏡)を、
有楽町のスタジオにお迎えして、
懐かしい「談志・円鏡歌謡合戦」ライブラリーの中から、
選りすぐりの3本を聞いていただきました。

ラジオが、まさに輝いていた頃の番組です。
落語ファンの間では“伝説の談志・円鏡歌謡合戦”と
語り継がれてきました。
放送されていたのは、昭和44年(1969年)から、
昭和48年(1973年)の間。
談志さんが33歳、円鏡さんが35歳の時に、
放送開始ということですから、
いやぁ、そのキレの良いやり取り!
約40年ぶりにオン・エアーです。
ぜひ、お聴きください。

ちなみに、2部構成の前半1時間は、
伝説の「談志・円鏡歌謡合戦」3連発!
後半の1時間は「お待ちかね!立川談志ひとり舞台」。
談志さん42歳の「子別れ・上」。
そして、極めつけ37歳の「らくだ」・・・。
選りすぐりの落語2席でお楽しみ下さい。

12月18日・日曜日、午後7:30〜9:30の放送です。
12月 3日
石巻・白謙かまぼこ健在なり!
30年来の親友・東北楽天の寮長を勤めている
春日昭之介君から、毎年この時期に届くお歳暮の品は、
仙台名物といってもいいでしょう「石巻・白謙かまぼこ」。
おなじみの笹かまぼこと、揚げかまぼこの箱詰・・・。
今年は、無理だろうとあきらめていました。
東日本大震災で被災し、本店は冷蔵ケースが水没。
3つの生産工場が大被害を受け、
一か月後、本店が営業再開にこぎつけたものの、
しばらくは、全国発送は無理だろうと言われていたそうです。

自慢の笹かまぼこもさることながら、
我が家でとりわけ楽しみにしているのが「白謙揚げ」。
石巻に揚がる白身魚を原料に、
良質の油でさっと揚げた珠玉のかまぼこ。
「ぷりぷり」した食感は、常温のお酒のつまみに、
そりゃ〜もう最高!
楽天に入団した選手のご家族への手土産に。
球団の大切なお客さんに持たせたり、
お遣い物に使われるものなんですよ。

その白謙かまぼこが、今朝、我が家に届きました。
石巻市だけで4000人近い死者・行方不明者を出した大災害から、
間もなく9か月、老舗の味はよみがえりました。
仙台市内の販売店でも営業を再開しているそうで、
楽天でも、再び白謙のかまぼこを
お遣い物に使っているのだそうです。
深い傷跡を残しつつ、町も少しずつ、
元気を取り戻してきているようです。
今年は無理だったサンマも、来年秋には、
かつての活況を取り戻してもらいたいですね。

将来の楽天ゴールドイーグルスをしょって立つ若き星たち、
寮生も間もなく尞での練習を打ち上げ、
それぞれの故郷に帰っていくのだそうです。
それぞれの故郷へ、夢をかけて向かった
東北仙台の地の自慢の逸品を土産に携えて・・・。
11月24日
談志が死んだ・・・
自ら、こんなタイトルの本を出したっけ。
悲しくて、いや、辛くて辛くて・・・
とうとう、その時が来てしまったんですね。

あまりにも勢いがあって、きっぷの良い高座に魅せられて、
学生時代、追いかけました。
病に苦しんでいらした晩年は、
老いていくアイドルをみるようで、
以前のようには、高座を追いかけなくなっていました。
だって、あの談志師匠が年とっていくのって、
絶対見たくなかったんです。
「こんな姿を、弟子どもにみせられるか」の心意気でしょう?
最後は、ご家族だけで送られたとか・・・。
今ごろ、たくさんの談志教の信者の皆さんが、
それぞれのよい思い出を抱いて、
往時を偲んでいることでしょう。

昨日、テレビのニュース速報で知ってから、
ちょうど休日ということもあって、
一人、部屋に閉じこもって、
大音量で師匠全盛の昭和40年代後半から
50年代の高座の録音を聞きました。
「小猿七之助」「鮫講釈」「阿武松」「鉄拐」
「源平」「よかちょろ」「へっつい幽霊」「文七元結」
どのネタも心に深く深く刻み込んである大好きなネタ・・・。
これからもCD・DVDで、十分に偲ぶことが出来るほど、
音源は残ってはいますが、それにしてもねえ・・・。
人間、老いは辛いことなんですねぇ・・・。

談志師匠とのいい思い出を一つ。
昭和49年(1974年)6月3日・紀伊國屋ホール
「第67回・談志ひとり会」。
前もってのネタだし、「包丁」「ずっこけ」「二十四孝」。
満員の当日、開口一番、談十郎。
まずは師匠、一つ目「二十四孝」、ゲスト円鏡「無精床」。

さあ、いよいよ中入り前、談志師匠、
六代目圓生の十八番「包丁」に挑戦と、
客席で固唾をのんでいたら、正札付きの出囃子が・・・。
あの圓生師匠が飄々と登場。
「談志先生のたってのご所望で包丁をやらせていただきます。」って、
こんな演出アリ???
どうしても包丁が、お稽古で納得いくまで仕上がらず、
考えた末に圓生師匠にお願いしたとのこと。
「あいつァー生意気だ・・・」と嫌われるほどの押しの強さと、
「いいものはいい」という潔さも兼ね備えた師匠でした。
こんな「ひとり会」を見せられたら、
惚れてしまうでしょ、談志師匠に・・・。
それからは池袋演芸場でのトリ、紀伊國屋のひとり会、
代々木土曜寄席に休まず通いました。
その頃、私と客席の最前列に争って座った、
若者たちの数人が、師匠に弟子入りしてるんですよ。

ニッポン放送に入社してからは、
ず〜っとスポーツアナウンサーやってましたが、
オフシーズンに「談志・円鏡歌謡合戦」を考案して制作された、
大先輩・塙宏プロデューサーにお願いして、
立川談志、司馬遼太郎を読む「新撰組血風録」、
子母澤寛「父子鷹」の朗読番組のスタッフに加えていただいて、
憧れの談志師匠とご一緒させていただいたのもいい思い出です。
池之端の伊豆栄のウナギがお好みで、
それはもう美味そうに召し上がって、
お重の半分を折詰にして、
大事そうにお持ち帰りになったのもいい思い出です。

昼間の番組で、高田文夫さんもおっしゃってましたけど、
暗くなって涙で送るより、笑顔で明るく送ってあげたいと・・・。
今夜あたり、池之端の伊豆栄で白焼きの松を張り込んで、
素晴らしい思い出を抱きながら、
師匠をお見送りすると致しますか・・・。

立川談志 平成23年11月21日逝去。
自らつけた戒名・立川雲黒斉家元勝手居士、合掌。
11月19日
日本シリーズの実況
早くもストーブリーグに火がついて、
大火事のチームてぇのは残念ですが、
今日から福岡に場所を移した日本シリーズは、
息詰まる僅少得点差の好ゲーム。
プロ野球人気の衰退をよそに、
名古屋と福岡・博多は、燃えに燃えてますね。
やっぱり、反発力の強くないボールに
使用球を変えたのは正解でしたね。
ニッポン放送・ショウアップナイタースペシャル
日本シリーズ第6戦、解説:野村弘樹さん、
実況:山内宏明アナウンサーのリズミカルな実況音が、
心地よく耳に入ってきます。

スポーツアナウンサーにとって、
日本シリーズの実況は、自分にとっての総決算。
実況アナそれぞれが思いをこめて、マイクの前に座るのですよ。
実況の出来がどうであれ、終わった後のスタッフだけでの一杯は、
何物にも代えがたいものがあるんです。
いずれにせよ、今年は福岡で勝負が決まりますから、
試合後、優勝チームの首脳陣・ナインの喜びの声を録り終えて、
深夜、中洲の屋台での乾杯となるんですね。

いやーしかし!
今年は、落合・中日が勝つ時は、
2対1のスコア、まさに辛勝ですね!
1991年(森・西武×山本・広島)から、
2004年(伊東・西武×落合中日)の日本シリーズまで、
マイクの前に座ってましたが、
一番つらかったのは、1998年、西武ライオンズ球場の
「西武対横浜」日本シリーズ第5戦。
4時間15分、17対5横浜の勝ちという、
ゲーム途中からゲームが壊れて、
とんでもない大味なゲームで、
実況も苦労したのを憶えています。
それでも西武球場からの帰り、
新秋津駅前の居酒屋での打ち上げの一杯!
「うまかったなあ・・・・」

そういえば、前回ホークスの日本一を決めた、
2003年日本シリーズ第7戦。
福岡ドームでの王監督の胴上げ中継を担当した後の
中洲でのいっぱいも絶品でした。
日本シリーズの実況を聞きながら、
懐かしい思い出が、走馬灯のように
脳裏によみがえってくるんですよ。
 
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